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歩きながら活断層を体感する(大阪の活断層を巡るツアー)

3月11日から開催してきたサーチプロジェクトvol.5「ニュー "コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」。最終日も目前の6月25日は、ナビゲーターに本展アドバイザーである惑星地質学・鉱物学研究者の佐伯和人さん、ゲスト解説者に活断層研究者の廣野哲朗さんをお招きして、「大阪の活断層を巡るツアー」を開催しました。 

 

当日、通天閣の下にツアー参加者の皆さんが集合。ゲスト解説者である廣野さんの服装から、活断層を巡るというこれからの道のりの険しさを想像して、身が引き締まります。

 通天閣の下で説明をする佐伯先生と廣野先生通天閣の下で集合

 

まずはじめに、通天閣に登って上町台地を俯瞰しながら、これから巡るルートの解説を伺いました。

通天閣俯瞰

 

続いて地上に戻り、次のポイントへ向かいます。向かいながら安居神社の急な石段を上り下りしたり、坂道を歩いたりしながら、上町台地の高低差を体感しました。 

次のポイントは清水寺の「玉出の滝」です。流れ出る滝と崖を見上げながら、断層の解説を伺います。

玉出の滝

 

続いて、清水寺墓地の「清水の舞台」へ向かいます。玉出の滝からさらに急な石段をあがって、清水の舞台へ到着しました。
舞台の下の地域は、以前は海だったそうです。潮位の変化の話から解説は宇宙へと及びました。寒冷期と温暖期の変動があるのは、地球の自転軸や公転の軌道が、同じく太陽のまわりをまわっている他の惑星の引力の影響でぶれること。また、太陽系が銀河の中を移動する際に受ける引力の影響すら関わっているそうです。地形の変動と宇宙の営みがつながっているとは!壮大な話に、皆さん熱心に耳を傾けられていました。

清水の舞台

 

坂を下り、どんどん歩きます。歩きながら、上町台地にはとてもたくさんの寺社があることにも気づかされます。

続いては、「大江神社の階段下」にたどり着きました。こちらの神社には狛犬ならぬ狛虎がいて、タイガーズファンの参拝が多いそうです。大江神社への階段は、やはり急な石段が101段もありました。

 

そして最後に「昔の海浜跡」を眺めます。周囲には建物が立ち並び、海の面影はありません。けれどよく見ると道路が大きく波打っていて、かつてここが海であった名残を確かに見ることができました。

 

知識として知るだけではなくて、活断層の史跡を歩きながら巡ってみることで改めて地形を体感したり、地球や宇宙の営みに想いを馳せたり。生憎の雨天でしたが、とても新鮮で充実したツアーでした。

「海の文化と気象判断の知恵について」(漁師・池尻宏典さんと民俗学者・川島秀一さんをお迎えして)

6月24日(金)。今日は、民俗学者として気仙沼を拠点に全国のカツオ漁師や漁撈伝承を長年取材している 東北大学の川島秀一さんと、神戸・新長田で漁師をしている池尻宏典さんをゲストにお迎えし、人間と海との関わりについて、民俗学的な視点と海という現場に身を置かれている漁師さんの視点が交わる対話プログラムを開催しました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「海の文化と気象判断の知恵について」ゲスト:尻池宏典(尻池水産)、川島秀一(民俗学者、東北大学災害科学国際研究所 教授)

川島さんは、元々漁師さんとお話しするのがお好きで、 今まで論文発表等関係なく交流を深めてこられたそうです。
漁師さんの言い伝えをカレンダーにするというユニークな活動もされています。

一方、現役の漁師である尻池さんは、おじいさんから始まり3代わたっての漁師一家。
阪神・淡路大震災後に改めて家族の大切さを痛感し、何かおこったときにもそばに居られるようにと漁師になる道を選ばれました。
現在は大阪湾でイカナゴやシラスを主に獲り続け今年で20年、都会派漁師と名乗ってらっしゃいます。

そんなお二人が「嵐と凪(ナギ)」について興味ふかいお話をされました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「海の文化と気象判断の知恵について」ゲスト:尻池宏典(尻池水産)、川島秀一(民俗学者、東北大学災害科学国際研究所 教授)

いまの漁師さんは荒れたら海には出ないものだが、当時の漁師さんは荒天時には 全員出漁することになっていて、 凪の時には逆に出漁をやめていたそうです。
魚を尊敬する、魚の覚悟を感じている、人間の接し方でも魚の動きは変わってくるそうです。

漁師さんは旧暦と潮の流れをみます。潮の周期を頭の中に入れておかないと漁はできません。
「潮をとる(潮目をみる)ことが魚をとることで、魚をとることが潮をとる(潮目をみる)ことだというくらい、 とても大切にしている。」と川島さんは仰られました。
さらに、漁師さんは災害と大漁は繋がっていると 捉えられています。
大きな災害が起こるとミネラルが豊富な川の水が大量に海に流れ込み、 海水が掻き回されるため、短い目で見ると魚は減るが、長期的に見ると大漁をもたらすということに驚きました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「海の文化と気象判断の知恵について」ゲスト:尻池宏典(尻池水産)、川島秀一(民俗学者、東北大学災害科学国際研究所 教授)

今回の展覧会では、川島さんが漁師さんから聴いた三陸地方につたわる諺を日めくりカレンダー のようにして展示しています。
トークでは、川島さんが"諺カレンダー"を1枚ずつめくりながら丁寧に 説明してくださいました。
()内は、尻池さんのコメントです。

「春の雪は掃いて乗れ」
→春の雪は、あまり沖が荒れることはないから、そのまま漁に出てもいいという言い伝え。
「二月と駒の頭(かしら)は荒れたほうがいい」
→2月に大風が吹くと豊作になる。馬も気が荒いほうが働く馬だという例え。
(大阪湾では、12月に西風が吹けばイカナゴが豊作になると言われていて、 ちなみに、昨年の12月は暖かかったため今年のイカナゴ漁は不漁でした)
「三月水は脛(すね)割り水」
→3月は海水温が一番低い。 脛を割るくらいに冷たい水という例え。
(大阪湾では、2月が一番冷たくなります)
「春南(はるみなみ)くろがねを通す」
→春の南風、鉄をも通すくらい冷たく強い風が吹く。
「五月海に家を建てろ」
→5月は凪が多いので、海に家を建ててもいいという例え。
「雨三粒風千石」
→春先に雨がちょっとでも降ると風邪が強くなる。
「八月海には、一人子乗せるな」
→8月の海は荒れるので、一人っ子などは亡くなるので乗せるな。
「枯れ木の靄(もや)は時化(しけ)の元」
→落葉した頃は、霧やモヤのあとには台風やしけが来る。
「冬至寒(とうじかん)の北は、手の平返し」
→冬至と夏至の間に吹く風は吹いている方向が急に変わって、危ない風だから気をつけろ。
(大阪湾でも、海に出ていると前線が通過しているのがよく分かる)

さらに、大阪湾で漁をされている尻池さんは、「南から雲が走ってきたら、あと数時間以内に波が高くなり危険になる」ということを紹介してくださいました。

場所が変われば、海の状況も漁の方法も全く異なります。
漁師さんは、先代から伝わる伝承やご自身の経験と勘により海や気象の状況を知り、 魚を獲る術を身につけています。
一方で、現代ではGPSや魚群探知機など様々な科学技術も用いられています。
尻池さんは、そうした最新機器と経験と勘、 どれかに頼るのではなくどれも上手く使っている人が一番魚を多く獲ると言われます。

尻池さんは、大阪湾でGPSも使われるそうですが、どこに浅瀬やブイがあって、 どの辺りに魚がいるかは体が覚えていると言われます。
そして、GPSよりは、 山立てが一番信頼できるそうです。
「山立て」とは、海岸沿いにある建物などを目印にして、 漁師さんたちが船の位置を把握する技術です。
大阪湾では、焼却場の煙突や大きな構造物、 港の街灯を目安にしているそうです。大阪湾は灯りが多いけれど、明るさや色の違いで判断されるそう。
一方、川島さんがご出身(現在も拠点をおかれている)の三陸地方では、高い防潮堤ができてしまって、 海から目印が見えなくなり山立てができなくなっている所もあるそうです。
津波から住民や街を守るための防潮堤ですが、「海がみえなくなることによって、 より危険性がますのではないか」と川島さんは危惧されています。

  

そしてお話は少し深い部分へと進んでいきます。
自分たちの生きるサイクルの中で起こりうる、自然と死との関わりについて。
夜の闇を感じ取るチカラや危険を察知する能力など、わたしたちが都市生活で忘れている感覚はたくさんあります。
そういった感覚は、きっと自然と対峙した時にも命を有効に生かしていくための大きなチカラになるのではないでしょうか。
そこで、自然のなかで生きて死んでいくという家族の死生観、
海という自然に家族の命が失われることについて、川島さんに伺いました。

「東日本大震災で被災された方のお話に、
遺体に『うに』がついていて、震災後、しばらくうには食べられないという話がありました。
もちろん、2、3 年は漁師をやめようとか、海で亡くなり、あがらない人は魚が食べているから、まして身内の人間が亡くなった人は、自分の身内を食べた魚は食べられないという話は聞きます。
一方で、海で死んだ人は魚になるんだ、カニになるんだという言い伝えもあります。
それは、生命の輪廻を海をとおして考えているということです。
もう一つ、言い伝えのようなものに、津波のあとはイカが大漁に採れると言われています。
大きな目で考えると、津波で人間を奪ったから、今度は魚で返すといったように、漁師は広い視野で 海と向き合う考えをもっていました。
あるおばあさんから聴いたお話に、こういうのがありました。
『海は人を殺さないから。両面をもっている。災害も与えるが、大漁もあたえる。 人の生活や命を奪っても、次の年は魚で返して、人を生かす』 
そんな大きな考え方をする人が日本にもいました。
大きな時間で命の循環をとらえる、ということです。」

  

漁師さんたちのなかには、水死体を引き上げる際の作法があるそうです。
まず、1:声をかける。2:上(頭)からあげる。
そして現役の漁師さんである尻池さんもよく聞くそうですが、
「水死体をひろった船は大漁にあたる」といわれています。
さらに、身元不明者をひろった漁師は、その人が喪主になる、ということも実際にあるそうです。

 

トークも終盤を迎え、会場にいらっしゃるお客様からの質問タイムに。

「東日本大震災の後、高い防潮堤を建てるということが話題になりました。しかし、防潮堤で壁をつくったからといって、災害が防げるとは思えません。漁をする上で、最新機器と経験や勘を両方活かす人がいい漁をするのと同じように、 土地の物語のなかにどう科学を盛り込むか、東北に関する物語のなかに、どう科学を取り込むかということが重要ではないですか」というご質問がありました。

それに対して川島さんは、このように仰られました。

「生活のなかでの当たり前だと思っている安全性をどう科学と組み合わせるかということですが、 これはその土地土地で組み合わせていくしかない。ハードにばかり頼ってもいけない。 マニュアルはつくるが、それを固めてしまうと、今後も被災する人間は増えると考えています。 そんな時でも、臨機応変な危機察知能力を持つのは漁師さんだと思っています」

一方、神戸港を拠点にする尻池さんの周辺では、 元々大阪湾に津波がくることは予測されていなかったそうですが、 今は見直され、津波に備えた訓練なども行われているそうです。
一般的には、津波が来る前に船を沖に出す「沖出し」をしなければならないと言われていますが、 地震が起こってから大阪湾に津波がくるまで約1時間と想定されている中で、 沖出しが逆に危険ではないのか、どうするのが良いのか、未だ答えを出せていない状況、と言われます。
それに対して川島さんは、東日本大震災では沖出しして助かった人もいれば、出して亡くなった方もおられると言われます。
「今回の津波の時は、沖出しした方が助かると言われていた。しかしすべてはタイミング。 この判断が非常に難しい。これは車での避難はいいのかわるいのかというのと同じこと。 これも考える必要があります。」

最後の質問の時間に、参加者のみなさんから今回のトークの核心に触れるような内容を ゲストのお二人に投げていただき、会場も一気にぎゅっと引き締まっていく空気になりました。


そんななか、最後に川島先生がおっしゃった言葉がとても胸に残りました。
「今の防災の在り方は、近代防災の在り方で、昔その地域でどういうことがあったのかを抜きに進んでいます。 上から目線で「こうしろ、ああしろ」という防災意識が強く、昔の人たちの考えを活かした防災意識が少ない。 地域の風土や歴史を知ることが、まずは防災への第一歩ではないでしょうか。昔はこの地域はどういうかたちだったのかとか、その土地に住むひとから話をきちんと聴く。そういった中から真の防災意識が芽生えてくるのだと思います。」

 

自然と人間の間の曖昧な部分に身を置き、 目を凝らし、海や魚や自然と対話し、時に危険に身を晒しながら生きている漁師の方々。 今回のお話を通じて、都会に生きるわたしたちが漁師の方々の自然観や死生観から学ぶべきものは とても多いと感じました。それは、ときに脅威ともなる自然(地球)の営みとともにどう生きるか、 ということに繋がります。そのための一つの術が、防災・減災ではありますが、科学技術に頼りすぎる社会の傾向や、 既存の物(防災グッズ)や与えられる情報に頼るわたしたちの意識は、 なにかとても大事なものを失っているのではないでしょうか。
現代においては、ある意味でパッケージ化されつつある「防災」について、 そのあり方を根本から考える、とても貴重な時間でした。

科学技術の使い方、その考え方(科学技術社会論・中村征樹さんトークプログラム)

6/21(火)、サーチプロジェクトvol.5関連プログラムとして「科学技術」をテーマに、大阪大学全学教育推進機構准教授で科学技術社会論・科学技術史の専門家である中村征樹さんをゲストにお呼びして、対話プログラム(グループディスカッション)を開催しました。
中村さんによる天気予報からみる科学の捉え方
最初の導入では、科学技術に対する考え方・捉え方について、天気予報を例にしたお話がありました。
現代の生活では、数日先まで降水確率が何パーセント、ということが当たり前に示されています。
しかし人によって傘を持っていくかどうかは違います。
少しの確率ならば荷物になる傘は持っていかない人、絶対に濡れたくないので必ず持っていく人など。
このように、同じ技術の使われ方でも捉え方は様々です。

イギリスの理科の教科書について 科学技術とリテラシーについて
もう少し複雑な問題として、イギリスの学校で教材として使われている「理科」の教科書の紹介がありました。
そこでは、科学技術の使用には倫理的な問題を孕んでいること、科学リテラシーを学ぶことも含めて、科学を学ぶこととされています。
具体的な例として「出生前診断を行うことは正しいことか?」という問題について、賛成・反対含めたくさんの意見が載せられていました。
科学技術を使う上で人によって様々な考え方があり、答えはひとつではない、ということを考える教材となっています。

「なにを考慮に入れて だれがどう決める?」

今回のキーワード
これが科学技術社会論を考えるキーワードであり、今回のグループディスカッションのテーマです。
このことを考える上で、今回はあるひとつの記事を題材にしました。
その記事は、東日本大震災で津波の被害を大きく受けた気仙沼で、津波対策として10m近い巨大な防潮堤を浜に設置するということに対する様々な問題が取り上げられたものです。

防潮堤
ディスカッションに展覧会場を活かして「寝室」「食事室」「庭」の3つの部屋でそれぞれ5名ずつほどで意見を出し合いました。
今回のディスカッションは、問題に対して何か一つの答えを出そうという訳ではなく、どういった事が考えられるか、意見を出し合って考えを深める、ということが目的です。

30分ほどそれぞれのチームで意見を出し合ったあと、最後にまとめとして各チームで話された内容のあらすじを発表し、本日のプログラムは終了となりました。
「防潮堤の高さの必要基準は誰が決めるべきか」
「そもそもそこには今後誰が住み誰を守るために作られたのか」
「そこに住む人が幸せになる選択は防潮堤があることなのかないことなのか」
「科学的に『何m~までの津波が来ても被害を押さえられます』ということが求められているのか」
「海と一緒に生きてきた住人の方から海のすぐ近くでの生活を奪ってまで防潮堤を作っても、生きている意味はあるのか」
「この巨大な防潮堤の設置に賛成なのはどういった理由があるのか」
などなど、ここに挙げきれないほどたくさんの事柄が話されました。

寝室での話し合いキッチンでの話し合い


この防潮堤の問題のように、災害と科学具術に関する問題には、すぐに答えが出るような簡単なものはありません。
だからこそ、人と意見を交わし合い、考えを深めていくなかで対立する意見からどちらかの「正解」を選ぶのではなく、より良い考えを見つけ出して行くことの重要さが今、求められているように感じます。
それは科学技術に限らず、生活、食、政治、経済などすべてのことに共通であり、いままで関連プログラムとして開催したトークイベントでもそういった考え方が様々な切り口で、まさに「所作と対話」展としての大事な在り方が提示されているように思えます。
そういう意味でも今回のグループディスカッションは、とても象徴的でした。
今回の展示やトークプログラムを通して、これから先の日々を災害も含めてどう考え、どう過ごしていくかのきっかけが何か得られれば、と感じました。

全体でのまとめ

「災害ボランティアのいま」渥美公秀さんをお呼びして

6月14日(火)、現在開催中の企画展「サーチプロジェクトvol.5」関連プログラムとして、 大阪大学大学院人間科学研究科の渥美公秀さんをお迎えして、トークイベントを開催しました。
渥美さんは、災害ボランティアの仕組みや活動環境の改善を目的に、 被災地に赴き現場の当事者とともに実践的研究を続ける"グループ・ダイナミクス"の専門家です。
今回のトークでは、災害ボランティアの過去から現在の状況を通して、 その課題や可能性についてお話いただきました。

渥美さんは、1995年の阪神・淡路大震災を経験されてから、 全国のみならず世界各地で災害ボランティアの活動をされています。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)

災害ボランティアの活動を行う上で、渥美さんは次の5つのことを大切にされています。
・ただ、傍に寄り添うこと。立ち去らないこと
・被災者中心
→当たり前のことのように思うけど、制度や法律が中心の人、自分中心の人がおられるそうです
(熊本地震ではボランティアセンターが中心だったといわれます)
・声なき声に耳を傾ける
・注目が集まらなくても
→メディアに取り上げられている場所にばかり人や物資が集まる、明星災区の問題
・支援から交流、そして復興へ

今回のトークでは、4月に発生した熊本地震での活動をもとに実際の活動の様子を ご紹介いただきました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)

全国から集まるボランティアの窓口となるボランティアセンター。
ここでは、被災者のニーズに合わせて、人手を要している場所にボランティアを派遣していきます。

では、そのニーズはどうやって集まってくるのでしょうか?

それは、住民の方々に「ニーズ」と書かれた紙が事前に配られ、その中の項目に被災者がチェックを入れます。
その紙がボランティアセンターに集められ、そのニーズに合わせてボランティアを現場に派遣する仕組みになっているそうです。

でも実際には、予め設定された項目に当てはまらないことや、言い出せないニーズがあります。
例えば、「水を汲んできて欲しい」「話を聞いて欲しい」「ペットを散歩に連れて行って欲しい」など、 些細なことでも個人にとっては、とても切実な問題でもあります。

渥美さんは、そういった既存の制度では解消できない個々人が抱える問題に対して、 自ら被災地に赴き、被災者の声を聴き、寄り添うことで、被災者が本当にしてほしいことを聴いてから作業を行います。

その活動の一つとして行っているのが被災地での「足湯」です。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)

足湯と言っても、そこでマッサージ等をするわけではなく、ただお湯に足を付けて、 ボランティアが話し相手となって様々な話をする場です。被災者同士ではないからこそ、 他愛もない世間話ができ心の痛みが和らげられるといいます。

その活動は、とても行政や企業ではできないことです。

「災害ボランティア」という言葉が日本でも定着して数年が経ちますが、 渥美さんいわく、 現在は「災害ボランティアの二極化」が進んでいると言われます。
「秩序化を求める動き」と「被災者に寄り添う遊動化の動き」。
そして、社会的には秩序化にドライブがかかっていることに警鐘を鳴らされます。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)

また、渥美さんは救援時だけでなく、被災地で築かれた人との繋がりをずっと維持し続けられています。
その活動は、長い長い復興の道のりを手助けするだけでなく、 新たな活動の芽吹きや人材の育成、そして全国に広がるネットワークづくりにも繋がってもいます。

長期的な支援の仕組みの一つとして、 八戸、弘前、関西の有志が立ち上げた「チーム北リアス」というネットワークがあります。
これは、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県の北リアス地域の復興を長期的にお手伝いするために、 岩手県野田村で活動をしている団体・個人が互いに情報を共有したり、 知恵やノウハウや人脈を提供しあったり、ときには一緒に活動するためのネットワークです。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)

このチーム北リアスを窓口として、大阪大学の教員・学生が復興交流活動に継続的に参加していく仕組み が生まれました。
そして2013年には、未来へと繋がるさらなる研究・教育の拠点として大阪大学の 「岩手県野田村サテライト」が誕生します。
ここでは、遠隔教育システムを配備し、長い復興の道を歩んでいる地域だからこそ見えてくる未来の 共生社会のあり方について、地域での活動を通して研究を展開していく拠点として、 様々な活動が行われています。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授) ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)

さらに、渥美さんは世界各地での災害ボランティアの活動を通じて、防災や救助のあり方も研究されています。

阪神・淡路大震災の時、約35000人の方が生き埋めになりました。
そのうち、約27000人の方は住民により救助され、 自衛隊や消防隊員により救助された方よりも圧倒的に生存率が高かったそうです。
そのことから、自衛隊や消防隊だけに頼るのではなく、 今後の災害ではこの27000人を1人でも2人でも多くしていくことが必要ではないかと渥美さんは仰られます。

そのための仕組みづくりの一つが、『地震イツモノート』(木楽舎 、2007)です。
ここでは、「いつも防災のことを考える」のではなく、「いつもやっていることが防災になる」という考えのもと、 日常生活の一部として防災が考えられています。
例えば、隣の人と挨拶をする。ご近所付き合いをする。そんなごく普通の日常が防災に繋がります。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授) ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「災害ボランティアのいま」ゲスト:渥美公秀(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)

これからの防災を支える上では、「専門家から市民というベクトルの修正が必要」であり、
「専門家が「正解」なわけではない、市民が「成解」をひねり出すしかない」
という渥美さんの言葉がとても印象的でした。

その他、トークでは、台湾集集地震(1999)、イラン南東部地震(2004)、中国四川大地震(2008)、ロマプリエータ地震(1989)など、 世界各地の復興の事例も紹介してくださいました。

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"ボランティア元年"といわれた1995年の阪神・淡路大震災以降、新潟中越沖地震や東日本大震災などを経て、 その存在が定着した「災害ボランティア」。
ですが、現代においては、メディアのあり方、行政による管理や規制、教育機関との関係などなど、 様々な要因が弊害となり、純粋に助けたいという気持ちに抑制がかかったり、 参加動機が歪曲したり、本当に助けて欲しい人に手が届かなかったりと多くの問題もはらんでいます。

しかし、行政や企業の活動では汲み取れないような、声なき声に耳を傾け、被災者に寄り添い、 既存の支援制度からこぼれ落ちるものに手を差し伸べる、そんな網の目のような柔軟性に富んだ支援ができるのは 災害ボランティアだけだと思いました。

何が正解で間違いではなく、行政、企業、住民、そしてボランティア、 それぞれが享受/奉仕の立場のみに陥ることなく、支援や防災、救助のあり方を考えること。 そうすることで多層的で目の細かい社会の仕組みがつくれるのではないでしょうか。

「災害ボランティアのいま」を通して見えてきた問題は、決して災害時のみに関することではなく、 大きな社会の傾向やそれに左右されるわたしたちの意識の問題でもあり、
人と人とのコミュニケーション、地域コミュニティ、行政と住民の関係、メディアのあり方、制度と規制と管理等々の問題です。 だからこそ、「災害ボランティア」の問題に向き合うことは、 わたしたちの未来の社会を考えることに繋がるのだと知らされた、とても貴重な時間でした。

「写真家/畠山直哉との対話」

6月11日(土)、現在開催中の企画展「サーチプロジェクトvol.5」関連プログラムとして、写真家の畠山直哉さんをお迎えして、トークイベントを開催しました。

 160611畠山さん1

畠山さんの本展への出展作品《陸前高田》は、会場の入口の正面にあります。たくさんの方が、立ち止まったりベンチに腰掛けて、静かにその写真に見入っておられます。

畠山さんは、ご自身がこの陸前高田のご出身です。ご実家も被災して家の土台だけが残っていたそうですが、それも壊して別の土地へ移転しなければいけなくなった、と土台だけになったご実家の写真を映しながらお話をしてくださいました。

 160611畠山さん2


出展作品《陸前高田》の写真には、畠山さんのご意向で、撮影された日付が一枚一枚それぞれに入っています。

畠山さんは、「当初は日付の重要性を感じていなかった」とおっしゃいます。

けれど2014年、この陸前高田の写真を本にすることになったとき。一連の写真をざっと見直して、これらの写真には日付が必要だ、と思われたのだそうです。

同時期に撮影された写真でも、一方では瓦礫の片付けが進み高台造成がはじまっている写真もあれば、もう一方では手付かずで物が散乱したままの校舎内部を写した写真もあります。畠山さんはこういった手付かずの状況を撮った写真も見せたいと思われました。でも、整備の進んだ状況の写真の後に未整備の写真が出てくると、見る人が前後関係がわからなくなって混乱してしまう。

それを避けるために、写真集のページには全て日付を入れたのだそうです。

 

今回出展されている200点のスライドショーの写真に日付を入れたのもそのためです。と、畠山さんはおっしゃいます。「あぁ、5年たってもあまり変わっていないんだな」等、写真を見た人がそれぞれに考える助けとしての日付なのだと。

そのお話を伺いながら、展覧会へご来場くださった方々が、畠山さんの作品の前で、写真と日付を静かにじっとご覧になっている後ろ姿を思い返していました。畠山さんの作品を見ながら、来場されたおひとりおひとりが様々なことを考えられています。そしてそこから、一緒に来られた方々や会場スタッフとの対話が日々生まれています。

  

そして畠山さんは、「自分は災害写真家ではない」とおっしゃいます。"被災状況を伝えたい"という他の人とは違って、まさにこの場所で生まれ育った、その自分の想い出やある種の嘆きと共に撮っているのだと。

そんな中、畠山さんの事情を知らない人が写真を見て、「この人はこの土地に何か関わりのある人だ」と会いに来てくれたことがあったそうです。

言語情報を越えて、写真から多くのことを受け取ってくれたことが嬉しかった。と、畠山さんは笑顔でおっしゃっていました。

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会場からも、たくさんの質問が挙がりました。その中のひとつに、「畠山さんにとっての風景とは?」という質問がありました。

畠山さんは、風景とは元々中国の言葉で「風光」とほぼ同義語であるとおっしゃいます。草原にぼんやりと立っていて、ふと風が吹いて草がなびき、太陽の光を受けてキラキラと反射する。そんな今、ここのあなたの心を問題にした言葉だと。

けれどヨーロッパ語的な「ランドスケープ」や「ペイサージュ」は、土地や国、領土の眺め。つまり出来事から距離をとって俯瞰して観察する態度のことなのだと話を続けられます。そして畠山さんは、ご自身がヨーロッパの風景芸術の歴史に親しまれているので、どちらかいうとランドスケープの感覚で風景を理解されているのだそうです。

でも、他の日本の方はもう少し心や心理に近い風景観を持っている可能性がある。そう言いながら、「山」を例に出してさらにお話を深めてくださいました。

山は物体であり、岩が盛り上がっているだけ。でもそこに物体以上の意味、ある種の気持ちを込めて山と呼ぶのだと畠山さんはおっしゃいます。そしてそのように、人間の精神と物質世界がまじわるところにあるのが風景なのだと。

ランドスケープの西洋にあっても、自然の中に身をおいた人間が何かを感じるのは世界共通。けれどその感じ方には地域性時代性がある。そしてそれを考えるためには、「風景芸術」はいい入口になるのだそうです。

最後に、「陸前高田の『風景』は、これらの話から推測してほしい」そうおっしゃって、畠山さんはお話を締めくくられました。

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畠山さんのお話から、充実した対話が繰り広げられました。

 

今後もサーチプロジェクト関連プログラムは続きます。

皆さんで対話を行う機会を共有してみませんか?

会場へのご来訪をお待ちしております。

SF的災害考ー地質学者・佐伯和人さん、中野昭慶さん(特技監督)作を中心に大いに語る。

6月3日、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『日本沈没』からみるSF的災害考 ー 中野昭慶さん(特技監督)作を中心に大いに語る。」を開催しました。 

当初のタイトルは「『日本沈没』からみるSF的災害考 ー 中野昭慶さん(特技監督)をお呼びして」でしたが、中野さんが体調を崩されたため、出演が困難となり、急遽「 ー 中野昭慶さん(特技監督)作を中心に大いに語る。」に変更し、惑星地質学・鉱物学研究者の佐伯さんにSF映画を専門的考察を元に、マニアックに語っていただきました。

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隕石研究や惑星探索、火山の観測などで活躍されている佐伯さん。
まずは、SF映画に多大なる影響を受けて科学者を志されたとまで仰る佐伯さんの、SFをはじめとする映画・テレビ三昧の生い立ちから。
第一線で活躍する研究者となられた今も、映画やテレビで未来・科学への憧れを養った少年の頃の熱意を忘れることなく当時の作品を愛している事、いまの佐伯さんのベースになっている部分があることが伝わってきました。

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そして、本日の主題、特撮を多数手がけられ、「爆破の中野」との異名をもつ中野監督作品の紹介に。
参加者の方々に中野監督作品をご覧になったことがあるか尋ねてみると、多数の方が挙手。初期の作品も多く見られてる方もいらっしゃいました。
当時、映画制作会社に出入りされていた方もおられ、当時の話や、レンタルではなかなか見かけない作品の話など、皆さん語りに熱が入ります。

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佐伯さんから、新旧「日本沈没」、「大地震」、「地震列島」、そして「妖星ゴラス」。中野監督作品を含む、災害パニックの名作をご紹介いただきます。

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ネタバレしない程度の設定や絶妙なポイント紹介、登場人物の背景設定や、時代背景による地震発生メカニズムの学説の変化など、佐伯さんならではの考察も盛りだくさん。全作品、すごく見たくなりました。

「日本沈没」や「大地震」でのガラスの破片が顔中に刺さったショッキングなシーンは地震発生時には建物に近づいてはいけないことを、「地震列島」のエレベーターが宙吊りになるシーンではエレベーターの危険性を、見た人に伝えていました。

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また、「日本沈没」では当時としては新しい説だった「プレートテクトニクス」について語られていることに言及され、地震多発地帯・日本で地震がテーマの映画を見ることで、地震に対する知識が自然と身につき、私自身も影響を受けていたことに気付かされます。

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いまや誰もがスマホで写真・動画の記録ができる時代。ならではの映像表現とはなんでしょうか。
最近の災害や事故では、一般の方が撮影した事故当時の動画や写真がニュースで多く見られます。映像を撮ることに注力するあまり、逃げ遅れてしまうこともあります。映像を撮るより前に安全を確保すること、逃げることを最優先することを、いまの時代へのメッセージとして締めくくられました。

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最後はYoutubeにアップされている、今日紹介した過去の名作たち、劇場公開間近の「シン・ゴジラ」のトレーラーを鑑賞し、今回のトーク「『日本沈没』からみるSF的災害考ー 中野昭慶さん(特技監督)作を中心に大いに語る。」を終了しました。

今回のトークで、中野監督作品やSFパニック映画への予備知識をしっかり仕込めたので、次回の開催は是非、快復された中野監督にお越しいただき、制作サイドからのお話しを聞かせていただきたいです。

当時の時代背景と絡めながら、ユーモアたっぷりに語っていただいたSF的災害考。
佐伯さんの好奇心と探究心に惹かれ、観たい映画がたくさんできました。


帰りにレンタルショップへ立ち寄られた参加者の方、多いのではないでしょうか。

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薄れていく記憶やバラバラになっていく個々人をつなぐアーカイブ(せんだいメディアテーク学芸員・清水チナツさんをお迎えして)

5月27日、「記録と想起/災害とアーカイブ」というテーマで、せんだいメディアテーク学芸員の清水チナツさんをお招きして、対話プログラムを開催しました。
「カフェマスターの久保田テツさん、参加者のみなさんを交え、紡いでいけたら」とおっしゃる清水さんのあいさつから、プログラムはスタートしました。

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せんだいメディアデークは「美術や映像文化の活動拠点であると同時に、すべての人がそれらを使いこなして自由に情報のやりとりを行うこと」を支援する公共施設です。せんだいメディアテークでは、市民協働を掲げ、市民が自らスタジオ機能を持つメディアテークを利用し、たとえば、昭和の街の風景が記録された8m/mフィルムなどを収集し、デジタル変換し、それらの成果がメディアテークに保管、ライブラリーに公開され、また新たな市民の活動に利用されていくことなどに主眼が置かれています。
東日本大震災後、部分的に再開する際にもこのモデルを活用し、市民協働での「3がつ11にちをわすれないためにセンター(わすれン!)」プロジェクトがスタートしました。わすれン!には、実際にたくさんの方々が参加され、清水さんはこの方向で進んで行くことに見通しを持ったそうです。

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市民が主体となっていく中でいろいろな課題が現れました。
たとえば、その経験のなさゆえ、職業としてカメラマンをしている人々に交じって記録をすることに委縮してしまったり、あるいは、記録はしたいがそもそも手段を持たなかったり。こういった場合には、わすれン!のロゴが入ったプレスキットを渡したり、ビデオカメラの基本的な操作を教えるワークショップなどを開くことで、「記録活動」へのアクセスを図ったそうです。
また、集まった映像の公開も早い段階から着手し、来館者からアーカイブを見たいという声も増え、アーカイブの一部を英訳したものも公開したといいます。

こういった取り組みは、時間の経過とともに当時の経験が語りづらくなっていくことへの抑止になり得ます。また、受動的に映像を浴びるのではなく、自らが能動的に「まなざす(眼差しをもつ)」主体へ回帰を促すという点でとても重要です。

また、活動は「記録」だけにとどまらず「てつがくカフェ」など、さまざまな立場を超えた対話の形もとられました。ここでは、「震災を語ることへの負い目」「震災の当時者とは誰か」「故郷(ふるさと)を失う?」などの問いから対話が進められました。
5年経った今でも、原発事故により広域避難を強いられている方がいて、その課題に向き合うために、一年目の対話「〈ふるさと〉を失う?」を文字起こして冊子にまとめ、当時の感覚を多くの人に呼び戻した上で対話するてつがくカフェも予定されています。

こういった、活動のなかで清水さんは人々の力を実感したと言います。
「こういった活動から寄せられる記録はマスメディアの映像や写真と比べ、一見とても小さく、個人的な記録のようにも思えます。ですが、個人の視点を手放さない記録は、見るひとに「そこに自分たちのことが映っている」という実感を生みます。そういった記録が公の場へ持ち込まれ、多数の個人の目に触れる機会があると、それを見たひとのなかに埋もれていた感情や記憶を呼び覚ます装置になっていく。」

また「誤解を恐れずに言うならば」、と前置きした後に清水さんは以下のように続けました。

「震災はとても辛いことや、悲しいことがたくさん起こりました。けれど、同じくらいのユーモアもあったと言う方もいます。過酷な日々が続くなか、それを跳ね飛ばすように生まれたユーモアはつらい状況を乗り切るうえでは大事なことだったと感じました。」
アーカイブは悲しみや悲惨さに焦点が当たりがちですが、そうなると、向き合うこともつらくなり、距離をとることでしか、守れなくなってしまう。そうならないためにも、今後はその裏に流れていたユーモア、力強さにも焦点をあてていきたい。そう切々と語る清水さんの姿が印象的でした。

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会場を交えたトークに移ると、「当事者」と「非当事者」を巡って問いかけがありました。
震災後、自分よりも被害を受けた人々への気配りがあるがゆえに、語ることを躊躇(ためら)われる方も多くいらっしゃったと言います。しかし、語りつぐことが困難になると、今後重要になってくるであろう共有、蓄積ができなくなってしまいます。
また、「非当事者」でない人間が震災を語ることで、考えや経験が伝えられる一方、また別の意味を帯びてしまうという難しさもあります。 こういった課題には、肯定、否定の二択ではなく、「獲得される当事者性もある」という気づきを得ながら、どう肯定していくのか、どのような向き合い方の可能性があるのかが話し合われました。

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清水さんは、今後の活動について、まず震災アーカイブを震災だけに結晶化する方向ではなく、地域のアーカイブとして統合していく取り組み。そして、被災地の外での発信を挙げられました。もちろん、被災地の外への発信は、受け取り方に差がでてしまうという側面もありますが、同じように災害を経験した土地やそこから歩き出そうとする人々がいる。地域や災害の種類で分類していくことよりも、すこし抽象度をあげて、そこにある困難や課題に対して対話出来る場をつくり、薄れていく記憶やバラバラになっていく個々人をつないでいくことはやはり重要な課題といえます。

当事者・非当事者の二分法を抜けて、私たちはどう考え、どうつながりを構築していったらよいのか。正解のない問いを考えるうえで、とても大切な時間となりました。

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分からないものを形に描き出すこと。

「災害にまつわる所作と対話」をテーマに開催している展覧会「ニュー"コロニー/アイランド"2」。会場では、展示作品や災害にまつわる資料をきっかけに、来場者の方々と様々な対話が繰り広げられています。そこで、このブログでも会場で重ねられてゆく対話の記録を、会場運営を支えるサポートスタッフの視点からご紹介します。

今回のサーチプロジェクトvol.5「ニュー"コロニーアイランド"2」のサブタイトルは「災害にまつわる所作と対話」。ちょっと重いイメージもありますが、会場に足を運んでいただくとそこには、2011年の東日本大震災だけでなく阪神淡路大震災や室戸台風、スマトラ沖地震に関する作品や資料があり、見応えのある展示内容となっています。
その中の一つに、漫画家のしりあがり寿氏が東日本大震災後に立ち上げたプロジェクトから出来上がったクッションがあります。
みなさんは「漫符」ってご存知ですか?
マンガには感情や場の雰囲気、自然現象など見えないものを可視化する便利な符号があります。それが「漫符」です。
この「漫符」の描かれたクッション、会場内の寝室やソファに溶け込んでいますが、あるイメージを元に募集して描かれた漫符から作られたものです。さて、何をイメージして作られたものでしょうか。

居間の漫符クッション居間の漫符クッション②

会場では、「この漫符、何だと思いますか?」と問いかけると、「微生物」と答えてくださったお客様もいらっしゃいました。
3.11の後、しりあがりさんは、放射能を表現した漫符がないことに気づき、これから必要になるであろう放射能の漫符を一般の方から募集するプロジェクトを立ち上げました。
本展では、プロジェクトで集まった漫符のスケッチをファブリックにプリントアウトしてオリジナルクッションを制作。会場の居間や寝室のスペースにそっと置いてあります。
お客様に答えをお伝えすると、「へぇ!」と驚かれたりご納得されたりします。
今回の展示では、このようにスタッフと対話を交えながら作品をご覧いただければと思います。

さらに会場では、今回ご来場いただいた方々からも漫符を募集しています。
これまでに玄関のポストに投函(=提出)していただいた漫符の一部を、ここでご紹介します!

漫符スケッチ①漫符スケッチ②居間の漫符クッション③

漫符スケッチ④漫符スケッチ⑤漫符スケッチ⑥

あたまの中にぼんやりとあるイメージをスケッチすることは、個々の思いや考えを他者と対話することと似ているな、と思います。 
これも今回の展覧会の対話のひとつの形。何が描かれているか、じっくり拝見させていただいています。
災害についての思いや考え方を表現することは決して容易いことではありませんが、スタッフとの会話や、来場者ノート、漫符スケッチなどで、対話の形跡を残していただけると嬉しいです。

ご来訪、もしくはまたのお越しを、お待ちしております。

サーチプロジェクトvol.5特設サイトhttp://search5.jimdo.com/

書籍との対話から気づくこと

 2016.5.28(B1事務局 サポートスタッフ)

こんにちは。アートエリアB1サポートスタッフの竹花です。

サーチプロジェクトvol.5「ニュー"コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話」は、オープンからおよそ2カ月半が経ちました。
わたしは昨冬の展覧会、鉄道芸術祭vol.5ホンマタカシプロデュース「もうひとつの電車 ~alternative train~」にもサポートスタッフとして参加していたのですが、その時とはまた違う層の鑑賞者の方々にお会いし、美術の様々なアプローチの仕方を感じています。

今回はリビングにある本棚を紹介いたします。

書籍の閲覧中

居間の本棚

本棚には、3がつ11にちをわすれないためにセンターの「わすれン!レコード」、小田山徹さんの《握り石》、出展者のみなさまの関係書籍、災害に関する書籍が配架されています。 展覧会の初日からさらに書籍の種類が増えました!再度いらした際はぜひラインナップをもう一度見直してみてくださいね。
鑑賞者の皆様も時折足を止めて、写真集や雑誌をご覧になられています。

災害史、津波史などの災害に関する書籍の中には、『被災ママ812人が作った 子連れ防災実践ノート』『生き延びるための非常食[最強]ガイド』といった、災害に備えるための書籍も置かれています。
私も空いている時間にめくって、「これやってみよう」「これは買い足したほうがいいかも!」などなど防災のヒントを探したりしています。 ちなみに次にやってみたいことは常時持ち歩きの避難グッズの用意です!

こうした書籍や、contact Gonzoさんの《shelters》などを見ながら、「災害が起こった時にどうするか?」を考えることもまた、「災害にまつわる所作と対話」の一つだな、防災の方法も、災害と防災の繰り返し、「災害にまつわる所作と対話」のなかで生まれたものなのではないか、と考えました。
「災害にまつわる所作と対話」という言葉を与えられて、「これがそうだったのではないか」と気づくことが時折あります。
同様に今回の展示が、皆様のそうした気づきのきっかけ、災害に対する備え(地震に限らず!)を考えるきっかけとなってくれるといいなと思います。

6月26日(日)まで、様々なイベントと共に展覧会は続きます。ぜひ一度ご来場ください!
サーチプロジェクトvol.5特設サイトhttp://search5.jimdo.com/

惹かれてやまない「石」の魅力!(鉱物学者・佐伯和人さん×美術家・小山田徹さんトークプログラム)

5/20(金)、惑星地質学、鉱物学の専門家でありサーチプロジェクトvol.5アドバイザーの佐伯和人さんと、同展覧会出展者の美術家・小山田徹さんをゲストに迎え、対話プログラムを開催しました。
今回の対談は、展覧会場内の一番奥、佐伯さんの書斎をイメージしている、月球儀や鉱石、ドローンのある(佐伯さんの研究室からお借りしています)部屋を背景にしての開催でした。
かなり天気がよく夏日なみに気温の上がったこの日、会場内も少し蒸すような空気でしたが、それとは別の、「石」に対する情熱が人一倍強いゲストお二人からの熱気が静かに出ていたように思います。

小山田さん×佐伯さんトーク


この日が初対面だったお二人は、自己紹介を兼ねて、まずご自身の活動についての紹介をすることに。
小山田さんからは、人と人が対話を行える場所づくりを行っていることについて。
人の集まるコミュニティーを芸術の側面から捉えるという枠組みをつくり、焚き火をおこしたり、《握り石》を使った対話WSを行ったり、共有スペースの設置で機会をつくっていく活動を説明されました。

小山田さん×佐伯さんトーク

そして佐伯さんからはご自身の研究の専門領域の惑星地質学、鉱物学の説明をされてから、科学的な視点から見た「石」についてのレクチャーがスタートしました。

「石」や「鉱物」とは、そもそも何を指すのでしょうか。
それらの持つ形や色味、触った時の感触などの性質から学術的に分析した場合の詳細を、実物を映像で投影したり時には参加者の皆さんに触ってもらい、紹介頂きました。
レクチャーは「岩石」と「鉱物」の違い、形での分類の仕方などから始まりました。
「岩石」とは、「鉱物」の集合体のことを言います。
「鉱物」は物質の性質が現れてくる最小の単位で、地球上に元々ある、あらゆる物質の基となるものです。(人工物はその限りではありません。)
「鉱物」を半分に割った場合に対称になるかどうか、割って対称になるカット面がいくつあるか、などの分け方があります。

小山田さん×佐伯さんトーク小山田さん×佐伯さんトーク
さらに詳細に、鉱物の強度について。この場合の硬さというのは「ひっかいた相手にキズをつける」という意味で、衝撃による割れやすさは別の要素なのです!
「モース硬度計」という硬度の標準となる鉱物10種(柔らかい順に、滑石、石膏、方解石、蛍石、燐灰石、正長石、石英、トパーズ、コランダム、ダイヤモンドで、柔らかいものから1~10の数字が割り振られている)を使って説明されました。
鉱物好きは知らない石について調べるとき、まずこのモース硬度がいくつになるのか、というところが気になるそうです。

小山田さん×佐伯さんトーク

また、鉱物には方向による割れやすさの性質があり、実際に割ってみましょう!ということに。
佐伯さんは鉱物用ハンマーを取り出し、今までに説明のあった石を解説とともにガツンガツンと叩き割られました!

小山田さん×佐伯さんトーク 小山田さん×佐伯さんトーク
割れたあとの形や割れやすさについて説明する佐伯さんは、まるで実験をする子供のようで、とても楽しげなご様子!
レクチャーや実演が行われている時折、小山田さんからは「たまらんですねぇ。。」という言葉が何度も漏れ、お二人の石に対する情熱があふれていた瞬間でした。(石を割るため下に敷いた図鑑の紹介を佐伯さんがされると、小山田さんからすかさず「僕も持ってます!」とのお答えが。本当に楽しげでした。)
そして、宝石などに見る鉱物の光り方や温度、触感の不思議へとお話は続いていきました。
小山田さん×佐伯さんトーク

佐伯さんの鉱物レクチャーの後、佐伯さんと小山田さんの対談となりました。
小山田さんが科学とは違う石の種類の分け方として最初に出されたものに漬物石がありました。これは生活のなかで使う為の種類分けの例で、科学的にどういった種類や性質を持った石であるかは問題ではありません。ある程度の重みがあり漬け物に乗せるのに丁度いい大きさの石がそう呼ばれます。ほかにも宗教の場合で神様に見立てたりする石の使われ方など、人との関係の上で呼称され、使われる「石」のあり方からお話は展開していきました。
なぜ「石」に惹かれるのかや「石」に関する活動の具体例として佐伯さんの所属する「火山学会」と小山田さんの所属する「洞窟学会」での活動など、淡々とお二人の「石」に対する付きない興味のお話がひとつ、またひとつ、と続きました。
何時間でも話していられると仰るお二人は口調は静かながら、とても目が爛々としていました。
小山田さん×佐伯さんトーク
最後に参加者の方々からの質問の時間に。
「もしお二人の大好きな石が存在しない世界に行ったらどうするか?」という質問がありました。それに対し、この世界を構成する要素の大部分が鉱石なのできっと私は惹かれている。もしなかったらその場所を構成する別の要素を発見して、それを調べてみたい。という佐伯さんの答えがとても印象的でした。

地球を構成する要素の大部分が鉱石ということはあまり考えたことがなく、普段生活している身の回りには人工物ばかり、という事実に不思議な気持ちになりました。
私たちが日常で接している部分は地球の本当に表皮の部分でしかなく、その本質は鉱物や岩石でできています。それらによって地球は構成され火山や地中のマグマなどの活動をしています。
地球の日々の活動の結果で島や大陸は出来ており、それは時に地震や津波のような災害をも起こしているのだと、地球の活動の膨大な時間の積み重ねで生成された鉱物についてを知ることで「石」の持つ不思議な性質に考えを巡らせ、少し気づきがあったように思います。
そして、そんな「石」にかける思いが非常に強いお二人の熱が、静かに迫ってくる、対談でした。

小山田さん×佐伯さんトーク

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