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分からないものを形に描き出すこと。

「災害にまつわる所作と対話」をテーマに開催している展覧会「ニュー"コロニー/アイランド"2」。会場では、展示作品や災害にまつわる資料をきっかけに、来場者の方々と様々な対話が繰り広げられています。そこで、このブログでも会場で重ねられてゆく対話の記録を、会場運営を支えるサポートスタッフの視点からご紹介します。

今回のサーチプロジェクトvol.5「ニュー"コロニーアイランド"2」のサブタイトルは「災害にまつわる所作と対話」。ちょっと重いイメージもありますが、会場に足を運んでいただくとそこには、2011年の東日本大震災だけでなく阪神淡路大震災や室戸台風、スマトラ沖地震に関する作品や資料があり、見応えのある展示内容となっています。
その中の一つに、漫画家のしりあがり寿氏が東日本大震災後に立ち上げたプロジェクトから出来上がったクッションがあります。
みなさんは「漫符」ってご存知ですか?
マンガには感情や場の雰囲気、自然現象など見えないものを可視化する便利な符号があります。それが「漫符」です。
この「漫符」の描かれたクッション、会場内の寝室やソファに溶け込んでいますが、あるイメージを元に募集して描かれた漫符から作られたものです。さて、何をイメージして作られたものでしょうか。

居間の漫符クッション居間の漫符クッション②

会場では、「この漫符、何だと思いますか?」と問いかけると、「微生物」と答えてくださったお客様もいらっしゃいました。
3.11の後、しりあがりさんは、放射能を表現した漫符がないことに気づき、これから必要になるであろう放射能の漫符を一般の方から募集するプロジェクトを立ち上げました。
本展では、プロジェクトで集まった漫符のスケッチをファブリックにプリントアウトしてオリジナルクッションを制作。会場の居間や寝室のスペースにそっと置いてあります。
お客様に答えをお伝えすると、「へぇ!」と驚かれたりご納得されたりします。
今回の展示では、このようにスタッフと対話を交えながら作品をご覧いただければと思います。

さらに会場では、今回ご来場いただいた方々からも漫符を募集しています。
これまでに玄関のポストに投函(=提出)していただいた漫符の一部を、ここでご紹介します!

漫符スケッチ①漫符スケッチ②居間の漫符クッション③

漫符スケッチ④漫符スケッチ⑤漫符スケッチ⑥

あたまの中にぼんやりとあるイメージをスケッチすることは、個々の思いや考えを他者と対話することと似ているな、と思います。 
これも今回の展覧会の対話のひとつの形。何が描かれているか、じっくり拝見させていただいています。
災害についての思いや考え方を表現することは決して容易いことではありませんが、スタッフとの会話や、来場者ノート、漫符スケッチなどで、対話の形跡を残していただけると嬉しいです。

ご来訪、もしくはまたのお越しを、お待ちしております。

サーチプロジェクトvol.5特設サイトhttp://search5.jimdo.com/

書籍との対話から気づくこと

 2016.5.28(B1事務局 サポートスタッフ)

こんにちは。アートエリアB1サポートスタッフの竹花です。

サーチプロジェクトvol.5「ニュー"コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話」は、オープンからおよそ2カ月半が経ちました。
わたしは昨冬の展覧会、鉄道芸術祭vol.5ホンマタカシプロデュース「もうひとつの電車 ~alternative train~」にもサポートスタッフとして参加していたのですが、その時とはまた違う層の鑑賞者の方々にお会いし、美術の様々なアプローチの仕方を感じています。

今回はリビングにある本棚を紹介いたします。

書籍の閲覧中

居間の本棚

本棚には、3がつ11にちをわすれないためにセンターの「わすれン!レコード」、小田山徹さんの《握り石》、出展者のみなさまの関係書籍、災害に関する書籍が配架されています。 展覧会の初日からさらに書籍の種類が増えました!再度いらした際はぜひラインナップをもう一度見直してみてくださいね。
鑑賞者の皆様も時折足を止めて、写真集や雑誌をご覧になられています。

災害史、津波史などの災害に関する書籍の中には、『被災ママ812人が作った 子連れ防災実践ノート』『生き延びるための非常食[最強]ガイド』といった、災害に備えるための書籍も置かれています。
私も空いている時間にめくって、「これやってみよう」「これは買い足したほうがいいかも!」などなど防災のヒントを探したりしています。 ちなみに次にやってみたいことは常時持ち歩きの避難グッズの用意です!

こうした書籍や、contact Gonzoさんの《shelters》などを見ながら、「災害が起こった時にどうするか?」を考えることもまた、「災害にまつわる所作と対話」の一つだな、防災の方法も、災害と防災の繰り返し、「災害にまつわる所作と対話」のなかで生まれたものなのではないか、と考えました。
「災害にまつわる所作と対話」という言葉を与えられて、「これがそうだったのではないか」と気づくことが時折あります。
同様に今回の展示が、皆様のそうした気づきのきっかけ、災害に対する備え(地震に限らず!)を考えるきっかけとなってくれるといいなと思います。

6月26日(日)まで、様々なイベントと共に展覧会は続きます。ぜひ一度ご来場ください!
サーチプロジェクトvol.5特設サイトhttp://search5.jimdo.com/

惹かれてやまない「石」の魅力!(鉱物学者・佐伯和人さん×美術家・小山田徹さんトークプログラム)

5/20(金)、惑星地質学、鉱物学の専門家でありサーチプロジェクトvol.5アドバイザーの佐伯和人さんと、同展覧会出展者の美術家・小山田徹さんをゲストに迎え、対話プログラムを開催しました。
今回の対談は、展覧会場内の一番奥、佐伯さんの書斎をイメージしている、月球儀や鉱石、ドローンのある(佐伯さんの研究室からお借りしています)部屋を背景にしての開催でした。
かなり天気がよく夏日なみに気温の上がったこの日、会場内も少し蒸すような空気でしたが、それとは別の、「石」に対する情熱が人一倍強いゲストお二人からの熱気が静かに出ていたように思います。

小山田さん×佐伯さんトーク


この日が初対面だったお二人は、自己紹介を兼ねて、まずご自身の活動についての紹介をすることに。
小山田さんからは、人と人が対話を行える場所づくりを行っていることについて。
人の集まるコミュニティーを芸術の側面から捉えるという枠組みをつくり、焚き火をおこしたり、《握り石》を使った対話WSを行ったり、共有スペースの設置で機会をつくっていく活動を説明されました。

小山田さん×佐伯さんトーク

そして佐伯さんからはご自身の研究の専門領域の惑星地質学、鉱物学の説明をされてから、科学的な視点から見た「石」についてのレクチャーがスタートしました。

「石」や「鉱物」とは、そもそも何を指すのでしょうか。
それらの持つ形や色味、触った時の感触などの性質から学術的に分析した場合の詳細を、実物を映像で投影したり時には参加者の皆さんに触ってもらい、紹介頂きました。
レクチャーは「岩石」と「鉱物」の違い、形での分類の仕方などから始まりました。
「岩石」とは、「鉱物」の集合体のことを言います。
「鉱物」は物質の性質が現れてくる最小の単位で、地球上に元々ある、あらゆる物質の基となるものです。(人工物はその限りではありません。)
「鉱物」を半分に割った場合に対称になるかどうか、割って対称になるカット面がいくつあるか、などの分け方があります。

小山田さん×佐伯さんトーク小山田さん×佐伯さんトーク
さらに詳細に、鉱物の強度について。この場合の硬さというのは「ひっかいた相手にキズをつける」という意味で、衝撃による割れやすさは別の要素なのです!
「モース硬度計」という硬度の標準となる鉱物10種(柔らかい順に、滑石、石膏、方解石、蛍石、燐灰石、正長石、石英、トパーズ、コランダム、ダイヤモンドで、柔らかいものから1~10の数字が割り振られている)を使って説明されました。
鉱物好きは知らない石について調べるとき、まずこのモース硬度がいくつになるのか、というところが気になるそうです。

小山田さん×佐伯さんトーク

また、鉱物には方向による割れやすさの性質があり、実際に割ってみましょう!ということに。
佐伯さんは鉱物用ハンマーを取り出し、今までに説明のあった石を解説とともにガツンガツンと叩き割られました!

小山田さん×佐伯さんトーク 小山田さん×佐伯さんトーク
割れたあとの形や割れやすさについて説明する佐伯さんは、まるで実験をする子供のようで、とても楽しげなご様子!
レクチャーや実演が行われている時折、小山田さんからは「たまらんですねぇ。。」という言葉が何度も漏れ、お二人の石に対する情熱があふれていた瞬間でした。(石を割るため下に敷いた図鑑の紹介を佐伯さんがされると、小山田さんからすかさず「僕も持ってます!」とのお答えが。本当に楽しげでした。)
そして、宝石などに見る鉱物の光り方や温度、触感の不思議へとお話は続いていきました。
小山田さん×佐伯さんトーク

佐伯さんの鉱物レクチャーの後、佐伯さんと小山田さんの対談となりました。
小山田さんが科学とは違う石の種類の分け方として最初に出されたものに漬物石がありました。これは生活のなかで使う為の種類分けの例で、科学的にどういった種類や性質を持った石であるかは問題ではありません。ある程度の重みがあり漬け物に乗せるのに丁度いい大きさの石がそう呼ばれます。ほかにも宗教の場合で神様に見立てたりする石の使われ方など、人との関係の上で呼称され、使われる「石」のあり方からお話は展開していきました。
なぜ「石」に惹かれるのかや「石」に関する活動の具体例として佐伯さんの所属する「火山学会」と小山田さんの所属する「洞窟学会」での活動など、淡々とお二人の「石」に対する付きない興味のお話がひとつ、またひとつ、と続きました。
何時間でも話していられると仰るお二人は口調は静かながら、とても目が爛々としていました。
小山田さん×佐伯さんトーク
最後に参加者の方々からの質問の時間に。
「もしお二人の大好きな石が存在しない世界に行ったらどうするか?」という質問がありました。それに対し、この世界を構成する要素の大部分が鉱石なのできっと私は惹かれている。もしなかったらその場所を構成する別の要素を発見して、それを調べてみたい。という佐伯さんの答えがとても印象的でした。

地球を構成する要素の大部分が鉱石ということはあまり考えたことがなく、普段生活している身の回りには人工物ばかり、という事実に不思議な気持ちになりました。
私たちが日常で接している部分は地球の本当に表皮の部分でしかなく、その本質は鉱物や岩石でできています。それらによって地球は構成され火山や地中のマグマなどの活動をしています。
地球の日々の活動の結果で島や大陸は出来ており、それは時に地震や津波のような災害をも起こしているのだと、地球の活動の膨大な時間の積み重ねで生成された鉱物についてを知ることで「石」の持つ不思議な性質に考えを巡らせ、少し気づきがあったように思います。
そして、そんな「石」にかける思いが非常に強いお二人の熱が、静かに迫ってくる、対談でした。

小山田さん×佐伯さんトーク

アートプロジェクトの記録とその意味(映像家・岸本康さんトークプログラム)

現在開催中のサーチプロジェクトvol.5関連プログラムとして、出展映像作品「ジョルジュ・ルース「廃墟から光へ」(Ufer! Art Documentary) 」の監督をされた映像家の岸本康さんをゲストに、対話を行うトークイベントを開催いたしました。


この作品は阪神淡路大震災後に被災地で行われたアートプロジェクトのドキュメント映画です。現在は被災地の復興支援として一般的となった地域のアートプロジェクトですが、当時はほとんど前例もなく、このプロジェクトはそういった活動の先駆けとなったプロジェクトであり、作家の目線だけではなく企画主催者、支援者やボランティアを交えた目線で記録されている貴重な映像作品です。

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まず岸本さんの「映像家」としての活動の紹介がありました。
岸本さんは今回出品されているような美術作品の制作プロセスを記録した映像作品の制作をされていて、これまでに森村泰昌さんや杉本博司さん、田中敦子さん、束芋さんなどの日本を代表する美術作家の記録を制作されています。
美術作品の記録は写真が多く、なかなか映像で残すところまで予算が出るプロジェクトは少なく、自らの作品としての自主制作が多いとのこと。

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また、作品に映像を使用する美術作家の機材面・システム面など、映像作品を出力する際のテクニカルの仕事もされています。トーク会場では束芋さんの2011年ヴェネチアでの作品制作を追ったドキュメンタリーをご紹介頂き、円筒状に映像を出力する作品の、スクリーンの制作からプロジェクターの選定やレンズ、出力の方法の考案など作家と共同でテクニカルスタッフとして作品制作に関わられている姿をご紹介頂きました。
「美術家」と言うと一人ですべての制作を行っているような印象受けますが、実際には様々なテクニカルスタッフの協力で成り立っている作品も多く、演劇の場合で言うと美術家は演出家のようなポジションであることが多いそうです。

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このように、岸本さんは様々な形で映像に関わるお仕事をされているのでご自身の肩書きが難しく、今回考案した「映像家」という肩書きを使用していきたいと仰っていました。

美術作品の制作プロセスを記録撮影するということについてのお話で、いわば作品の舞台裏とも言える制作現場を見せたがらない作家さんもいらっしゃるそうです。作品として最高の瞬間を残すことを目指しているため、中途半端な状態を残し公開することを嫌う作家さんと意見が対立することもあったそうですが、何度も制作記録のあり方を話し合った結果、現在は映像制作を許可されているという経験もあった、と仰られていました。

制作記録の映像は、作品を紐解く貴重かつ重要な資料となりうるという話もありました。どのような手順や状況でその作品が制作されたのかを映像で残すことは、作品に込められた思いやコンセプトを、作品そのものを鑑賞することとは別の角度から、写真や文章などより更に具体的に残すことが可能で、制作された作品を時間が経過してから再度考えていく場合など、とても重要な手がかりとなります。

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美術作品の制作へ関わることはない方々にとって、作品展示だけでは知り得ない制作の過程や作家さんやスタッフの思い、コンセプトに触れる機会があるということは、展覧会などで展示されている作品を鑑賞するよりも、さらに奥まで知る事の出来る(作家に話を直接聞くなどを除いては)作家を近くに感じる事の出来るとても有意義なものだと感じました。記録映像には作品を一見しただけでは気づかないようなこだわりや構造が、作家自身の姿や所作、またその時代背景などと合わせて映り込んでいる場合があり、とても興味深かったです。

肉眼で見えないものを撮る(写真家・志賀理江子さんトークプログラム)

5月14日(土)、サーチプロジェクトvol.5出展作家のお一人で写真家の志賀理江子さんをお招きして、対話プログラムを開催しました。
今回のプログラムは志賀さんの写真作品《螺旋海岸》が背後に望める「庭」での開催となりました。

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志賀さんは2008年に宮城県へ移り住まれ、名取市北釜という小さな地域で地元の写真屋さんとして暮らすとともに、住民の方々の昔語りを記録し、それを基に住人の皆さんと共同で写真作品《螺旋海岸》を制作されました。今回の展覧会ではその一部が展示されています。


志賀さんが写真という表現メディアを選んだ理由からお話は始まりました。
写真というメディアの気軽さとそれの持つ問題について。
初対面でも写真を撮ればその人のイメージが手に入ってしまう、知れるという手軽な一面と、そのある種万引きのような気まずさを共に感じながらも、写真というビジュアルイメージの持つ強さに惹かれていったそうです。


そしてお話は宮城・北釜へ移り住まれたことへ。
移り住む前と後では、写真の価値観が大きく変わり、そこには写真で地域の皆さんの為に出来ることがたくさんあったそうです。
北釜の町の写真屋さんとして町の会合や婦人会、夏祭りなどを撮影していくうちに次第に人々と打ち解け、だんだんと家族写真や飲み会、亡くなった方との最後の写真、などとてもプライベートなオファーが増えていきました。

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今まで見たどんな写真や映画よりもずっとパワーを持っているという北釜の人々と家族のような生活をしていくうちに、年配の方から昔のことを聞かせてもらう機会が増え、90年前は現在といかに違い、その時代を生きてきた人々の激しさとドライさに触れていくうちに、その昔語り(オーラルヒストリー)を記録させてもらうようになりました。
その膨大な昔語りに、志賀さんは目に見えない力を感じ、大きな影響を受けたそうです。

そして、その目に見えないすごい力、北釜の人々が持つ「地霊」のような肉眼に写らないものを写真に撮らないといけないと感じ、「螺旋海岸」シリーズの制作が開始されました。
昔から町で行っている神社などの儀式では、皆さんが獅子舞や司会など普段とは違う役割を「演じて」います。
写真ではそれに則り、儀式として、お聞きした昔語りを基に何かを「演じて」もらい、「地霊」を呼び出して、撮影されています。

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そうして、たくさんのことをみんなで共有しながら、共同して作品を制作するなか、2011年に東日本大震災が起こり、海辺に位置していた北釜は津波で大きな被害を受けました。
「津波は誰にも平等に来て、被災の個人レベルが違い過ぎ、残酷だった」と志賀さんは言われます。

しかし避難所では意外にも笑いが溢れていたことや、一方で土地の再建計画から見える「資本」の暗い部分、住む場所がなく生活習慣がぽっかりなくなり、痴呆になる方もいたという身体と記憶のお話、震災以前と以後は繋がっていて括って分けるのは違う、といったお話が続きました。

避難所で生活しながら、志賀さんは津波で流された写真を倉庫へ集めて洗い、持ち主へ返す活動に参加されていました。
家と家族を津波で流された方が写真を探しに来られ、家族の姿を見られる唯一のものである写真は、その方にとって生身の家族と同じ価値を持つものになっていました。その一方同じ場所で、自分のいらない写真を捨てる人もいて、その方にとってはそれはただの紙。
ただの紙から生身の人間まで、写真の価値は様々に変わり、目に見えない価値が揺れるからこそ関わり方次第で意味が違ってしまうのが重い、と仰られていたのが印象的でした。


最後に参加者の方からの質問の時間となりました。
志賀さんの作品は北釜の人々にどう見えているか?どれだけ北釜の方々が語ったオーラルヒストリーは事実だったと思うか?インディペンデントな小さなメディアについてどう思うか?などの質問が出ました。
志賀さんはひとつひとつの質問に丁寧に答えられ、どこで何が起こるか分からない、全て同じ星で起こっている事で、ありとあらゆることが生きていることに繋がっている実感と、今まで沢山の人が生きてきた時間の中で、自分が生きているという時間の感覚を思う、というお話で終わりました。

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志賀さんの作品は一見すると「ホラー」などとみられてしまうような、不思議な色・暗さや雰囲気を持っていますが、その根底、コンセプト、制作には非常に人との繋がりが強く結びついています。
「〈北釜の生活展〉みたいにしたらたぶん意味が違っていた」と志賀さんは話されていましたが、北釜の生活や人生、エピソード、その土地に脈々と受け継がれた目に見えない何かが輪郭を変えて、確かに写真に写り込んでいるように感じました。
震災や津波などを実際に体験されたその場のお話を聞くと、自分では想像もし得ない現実をまざまざと目の当たりにし、言葉が出て来ない、ということがありますが、その現場の感触を何万分の一かでもお話から受けるとる、ということがこれからの自分たちの災害への関わり方、所作へと繋がる大事なことだと感じます。

身近な防災を考える場「中之島から防災・減災を考える、その1」

12日の夜、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「中之島から防災・減災を考える、その1」が開催されました。

中之島まちみらい協議会の方々と大阪府都市整備部の美馬さん、中之島に来られる方、働く方たちが集まり、具体的なシミュレーションやデータを元に意見を重ね合う、貴重な場となりました。「中之島から防災・減災を考える、その1」会場全体

5月12日(木)19:00-21:00
ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト
「中之島から防災・減災を考える、その1」
http://artarea-b1.jp/archive/2016/0512922.php

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大阪府都市整備部の美馬さんからの大阪府の防災対策についてお話いただきました。
数年後か、数十年後か分かりませんが、いずれ起こるであろう災害を、「防ぐ」ことは難しく、被災したときにどうするかを考える「減災」という言葉を主流に考えられているそうです。

大阪市エリアの南海トラフ地震が発生した際の被害シミュレーション「中之島から防災・減災を考える、その1」被害シミュレーション

地震そのものよりも、その後に引き起こされる津波での死者数の方が圧倒的に多い想定になるそうです。
水都大阪と言われますが、水に近いということは水害が起こる可能性もあるということ。
考えてみれば当たり前のことですが、はっとするお話でした。

淀川という大きな川がある大阪市。
大きい川は雨が降ってから水位が上がるまで時間がかかりますが溢れた時の破壊力は凄まじく、浸水エリアは広範囲に及びます。

また、都会ならではの地下空間の危険性についてもお話していただきました。
集中的に降った雨で道路が冠水したり、ここ数年各地で発生しているゲリラ豪雨などで起こる「内水浸水」。
水はポンプアップして下水道に流れてから処理施設、川に排水されますが、そのポンプの対応能力を超える雨量が集中すると、水が溢れ出してしまいます。
水深30㎝で、人は歩くことも困難になってしまうそうです。

色々なエリア・水量を変えての浸水シミュレーションを見せてただきました。「中之島から防災・減災を考える、その1」被害シミュレーション2

大阪府では防災マニュアルを市町村で各戸配布しています。
しかし居住者にしか配れていないので、中之島のような都心部では昼間に働く人や来訪者の多くには届けることができていません。
大阪府ホームページでは、ページ左上に「危機管理情報」をかためて表示しています。
http://www.pref.osaka.lg.jp

「中之島から防災・減災を考える、その1」大阪府HP紹介
大雨の際には、河川の様子を見に行って流されてしまう、という事故が起こりがちなので、危険な川に見に行ってしまわないように河川の水位と、動画でも確認できます。
大雨の際は外に出ずに、ここを見てください!
http://www.osaka-pref-rivercam.info/index.html
この春にリリースされた大阪市防災アプリもお薦めだそうです。
http://www.city.osaka.lg.jp/kikikanrishitsu/page/0000345020.html

「中之島から防災・減災を考える、その1」アプリ紹介

会場のみなさんに美馬さんからの質問。「みなさん、どうやって災害情報を得ていますか?」

プッシュ型の緊急時速報エリアメールはとても有効な手段ですが、大きなエリアにしか送れません。
地下やビルなど機密性の高い室内にいるとサイレンも聞こえない可能性があります。
減災のため、情報伝達のためには、ビルの持ち主=会社、と行政がタッグを組んでいくことが重要になってきます。
また行政のハザードマップなどでも「この地域が危険」は表現できても、「この側溝が危ない」位ピンポイントの情報は地元の方々しか知り得なかったりします。
情報を絞って、適切な情報をエンドユーザーに送るため、試行錯誤されていることを聞き、
逆にエンドユーザー側として、できることが沢山あることも分かりました。
いざという時、個々がバラバラに動いて、さらなる大きな事故に繋げてしまわぬように、自分の逃げ方を常に考えていることが大切です。

まず意識をして、普段から話をする。
一人と話すことが、明日は二人から四人に。

確実な答えがないからこそ、中之島単位でより密接に対話して、動いていけると良いし、そうしていきましょうと、
次につなぐ形で「中之島から防災・減災を考える、その1」は21時を迎え、終了しました。

私自身、大阪市北区民なので、自分ならどうするか、リアルに考える機会になりました。
こういった場を重ねることが大事ですね。

「中之島から防災・減災を考える、その1」対話の場

サーチプロジェクトvol.5
「ニュー"コロニー/アイランド"2 ~災害にまつわる所作と対話~」
[特設サイト]http://search5.jimdo.com/
[アートエリアB1サイト]http://artarea-b1.jp/archive/2016/0626784.php

今日、誰となにを食べて、なにを話しましょうか。(美術家・小山田徹さんトークプログラム)

4/23に開催した対話プログラムでは、サーチプロジェクトvol.5出展作家のお一人である、美術家の小山田徹さんをお迎えして、参加者の皆さんを交えて「食」にまつわることについての対話を行いました。

様々なところで対話の場所/機会をつくる活動をされている小山田さんは、東日本大震災で被災した宮城県女川町で対話工房という団体に参加され、地元の方々とともに色々なことを行いながら対話をする機会を作られています。

このプログラムは、小山田さんの作品《握り石》《巡礼》《実測図》が展示されている会場内「居間」エリアで開催しました。ソファに座りながら、皆さんとテーブルを囲んで話すことでゆったりとした、まるで親しい知り合いの家に来たかのようなアットホームな雰囲気が流れていました。

160523小山田さんトーク1

まず最初に、小山田さんからこの対話の趣旨について「これが正しいとか、こうあるべきという結論を出さずに話す時間にしたいと思います。」という言葉がありました。
日々の生活にも、災害時という非日常的な状況にもなくてはならない「食」をテーマに、参加者の皆さんの思うこと、今考えていることをお話ししてもらい、それぞれが抱える悩みや現代の食を取り巻く状況に対する問題意識などを共有しながら、結論を急がず「食」にまつわる様々なことがらについて、話していきました。

参加者の皆さんからは「共同キッチンで料理を作り、みんなで食べること」「家族での食事であっても毎日の献立を考えることがプレッシャーになること」「拒食と過食について」「みんなでする餅つきが好きなこと」などといった話題が出ました。
そこからは、過剰包装や孤食、少々過剰な衛生面への意識など「食」を取り巻く社会的な問題や、現代にみんなで食事をする機会とその重要さなどへと話は繋がっていきました。

小山田さんから災害時に人が集まることと繋がりについてのお話も。
東日本大震災の時、避難所という非日常では、ただ食べること生活することが困難となり、お互いに協力し合わなければ生きていくことができませんでした。
その中で、食事や暖をとるために自然と焚き火が起こり、そこに集まってきた人たちが互いに話をする場が生まれ、みんなで話していくなかで、コックや看護師などそれぞれの職業を活かして協力し合うための仕組みが独自に出来上がっていきました。
こうした繋がり・仕組みができるかどうかは、それぞれの避難所の規模によって違っていたとのこと。
また、仮設住宅に移ると壁が出来たせいなのか、その繋がりは途絶えてしまったそうです。

そういった人との距離や繋がりから起こる問題を、対話する機会からゆっくりと考えていけるような活動を小山田さんはされています。
原発をはじめとした、難しい、すぐには答えの出ない問題がたくさんあるからこそ、対話をする機会をつくり、賛成と反対の二項対立ではない、違った考え方を探しながら「楽しく問いたい」、みんなで「美味しく食べたい」という小山田さんの言葉が印象的でした。


今回話題にのぼったどの問題も、人との繋がりが重要なポイントになってくるように思えました。
現代社会全体が"大量生産大量消費"の大規模なシステムに向かうとシステマティックにならざるを得ず、人と接する機会が減り、繋がりが薄くなっていっていることが根底にあるように感じます。
互いに顔が見える人数だとそれぞれがギブ&テイクで協力し合えるものの、大人数の「群衆」となってしまうと個人が感じられなくなり、またその群衆に対応するシステムへ社会全体が傾いているために個人に適応できない事が、問題として噴出しているように感じました。
そこを対話をすることで考えていこうという小山田さんの活動はとても人間的で、それぞれが少しずつでも良い方向へ進めるような、そんな対話になっていたと思います。

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小山田さんはこういった対話の機会を設ける時、本来は「焚き火」を囲んで行うそうです。このプログラムでは駅の中ということで焚き火は叶いませんでしたが、小山田さんの作品《握り石》を皆さんには握って貰いました。「たなごころが良い石」を握りながら話すと、不思議と話し口調が柔らかくなるというこの石を、トークの前に皆さんそれぞれに選んでもらい、握りながらの対話となりました。

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小山田さんには再度、5/20(金)サーチプロジェクト関連トーク「惑星地球の石を語る、惑星地質学者と美術家」に登場して頂きます。
日本洞窟学会会員でもある小山田さんと、サーチプロジェクトvol.5アドバイザーであり惑星地質学・鉱物学研究者でいらっしゃる佐伯和人さんとの「石」を巡る対談となります。
今回、石についてもお話したくてウズウズされていた小山田さん。(次回へ譲るということで今回は少なめでした。)
ぜひ次回もご期待下さい!

優しく、漫画でたたかう しりあがり寿さんの「"あの日"からの......」

この日のラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクトのゲストは出展者のお一人、漫画家のしりあがり寿さんでした。
東日本大震災の後、原発や被災地の事をテーマにマンガを描き続けてきたしりあがりさん。開催中のサーチプロジェクトvol.5では、
・戸惑って、その後笑って、支援する。ボランティア擬似体験できる《ボランティア顔出し》
・見えないものを可視化するマンガの手法「漫符」を用いた放射能の表し方を一般の人に描いてもらい、その漫符をクッションカバーにプリントした《放射能可視化》
・しりあがりさんが震災直後に震災から50年後の未来を描いたマンガからの一コマを子ども室の壁紙にプリントした《海辺の村》
の3作品が展示されています。

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ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト
「"あの日"からの......」

4月13日[水]19:30─21:00
ゲスト:しりあがり寿(漫画家)
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東北大震災以降、人々の心情を描き続けてきたしりあがりさんを迎えてのトークは、おのずと作品にも深く関わっている原子力発電の話題が中心になりました。

しりあがり寿さん「"あの日"からの......」①しりあがり寿さん「"あの日"からの......」②

代表作「真夜中の弥次さん喜多さん」「地球防衛家のヒトビト」の紹介から始まり、深刻な災害の最中に震災を題材にすることの難しさや、笑いの持つ攻撃性に言及されました。
当事者の方々にとってはマイナスに受け止められる可能性もあり、フランスで起きた風刺画を巡る問題にも絡めながらお話いただきました。
(出展作品であるクッションカバーにプリントした《放射能可視化》を手にお話をされるしりあがり寿さん)しりあがり寿さん「"あの日"からの......」③

しりあがりさんが広告メーカー勤務時代に、制作したCMに数件のクレームがきて映像を差し替えた、というエピソードを話していただきました。
ネット社会になり簡単に「個人の正義」が発信できるようになった今、クレームを受ける側は守りに入らざるを得ない状況が出来上がっていますが、クレームを受ける側ももう少しタフでいいのではないか、としりあがりさんは語ります。

会場からの質疑応答では、震災ボランティアに対する疑問や迷いの話も出ました。
受け入れ態勢の整っていない所に行くことは、現地の負担にならないだろうか?それでも行くべきだろうか。との問いかけに、「偽善と言われることを恐れるあまり、色々なことを考えてしまうけれど、善は偽善の中に含まれることだから、行けばいいんだよ。でも、行かなくてもいい。」という正しいか間違っているかで結論を出してしまわない、しりあがりさんらしいコメントを聴くことが出来ました。

しりあがり寿さん「"あの日"からの......」④会場からの質問では更に、「火力発電と原子力発電、どっちがいいですか?」とのストレートな質問もありましたが、
賛成か反対かで答えを出すのではなく、それぞれが異なる意見を出し合える、ラボカフェらしい貴重なトークだったと感じました。

しりあがり寿さん「"あの日"からの......」⑤

災害碑から受け継がれる時間と災害の記憶(街の災害碑を巡るツアー)

ただいまアートエリアB1で開催中の企画展・サーチプロジェクトvol.5「ニュー "コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」。その展覧会にアドバイザーのお一人としてご参画頂いている、民俗学者の川島秀一さん(東北大学災害科学国際研究所 教授)をナビゲーターに、土地に刻まれた災害の記憶である「災害碑」を巡るツアーを4月9日に開催しました。

晴天に恵まれた当日。一行は、JR大正駅をスタートして、浪速区「大正橋」〜西区九条地域の3箇所の災害碑を見てまわりました。

1箇所目は大正駅から歩いて5分ほどの、大正橋のたもとにありました。

「大地震両川口津波記」

街の災害碑を巡るツアー/大地震両川口津浪記

この石碑は、安政元年(1854年)に発生した地震とそれに伴う津波の犠牲になった人々の慰霊と、そのときの教訓を後世に語り継ぐことを目的に建てられています。

碑文には、地震の後、船に避難した人々が津波の犠牲になったこと、この地震の148年前に起こった宝永地震(1707年)にも同じことがあったのにその教訓を活かすことができなかったことが記されています。さらに碑文の最後には、「津波のことを忘れないように、碑文に毎年墨入れをしてください」ということが書かれています。その碑文の意思を受け継ぎ、この地域では、毎年8月の地蔵盆の時期に地域の方々によって碑文への墨入れが行われています。碑文の文字が黒ずんでいるのはこのためです。

災害に限らず、街の記憶が石碑として残っている例はよくありますが、こうして人々の行為を伴うことで石碑とともに建碑の精神が受け継がれているのは、全国的にも稀有な例です。

2箇所目はそこから25分ほど歩いたところ、西区九条にありました。

「昭和九年九月二一日関西風水害浸水々水位標」

街の災害碑を巡るツアー/昭和九年九月二十一日関西風水害浸水々水位標

昭和9年(1934年)の室戸台風上陸時の浸水水位が刻まれています。現在の街の景色からは到底ここまで浸水が起こっていたとは想像もつかないような場所ですが、災害は我々の予想を超えた規模で襲ってくることが分かります。

この石碑は1つ目のものと異なり、石碑そのものは、国旗掲揚のための基部として建てられたものです。右の石碑に「創立十五周年記念」と書かれてありますので、かつてこの辺りにこの石碑まつわる建物か何かがあったのかもしれません。しかし、現在はそれを伺い知ることの出来るものは何も残っておらず、石碑のみが取り残されてしまったためか、石碑が示す内容も語り継がれることはなく、今では自動販売機のゴミ箱が石碑の横に置かれているような状況でした。

(写真は、この石碑を初めてご覧になった川島さんが調査を兼ねて採寸中の風景です)

街の災害碑を巡るツアー/昭和九年九月二十一日関西風水害浸水々水位標

最後は、2箇所目から2分ほど歩いた地下鉄「九条駅」の駅前、九条東小学校正門横の外壁にありました。

「暴風水害記念誌」

街の災害碑を巡るツアー/暴風水害記念誌

こちらは昭和9年の室戸台風にまつわるレリーフです。銅板には、「突風と高波が大阪を襲い、死者990名、重軽傷者16,908名にも上った」ということが記されています。室戸台風上陸時、多くの学校はまだ木造であったため、校舎の全・半壊が99校、大破が77校、殉職教員7名、児童の死者数は269名にも上りました。

しかし、この碑文を読むと、九条小学校では一人の死傷者も出さなかったそうです。

この碑は、奇跡的に全校児童と教職員が助かった、という記録を伝えるもののようです。

碑文の横には、濁流の中、教師らしき人物とその人に守られているような子どもたちの姿が描かれていました。

街の災害碑を巡るツアー/暴風水害記念誌

人の営みからすれば、巨大地震や津波は、一生に一度遭遇するかどうか、というスパンです。しかし地球の営みからすれば、それは必ず起こります。

街なかにひっそりと佇む災害碑は、人類が災害とともに生きるために築いたひとつの知恵ではないでしょうか。

このツアーでめぐった石碑以外にも、災害碑は全国各地に存在するようです。日々の生活に追われ、見過ごしている景色の中に、このような街の記憶、災害の記録を伝えるものがあるかもしれません。そこから地域の歴史を知り、先人たちの声を聴き、それを受け取って現代の言葉でさらに後世に伝えていくことは、もうひとつの「防災」として必要なことなのかもしれません。

そして、今回のツアーをきっかけに、なぜこの場所に石碑が建てられたのか、かつてこの辺りはどのような地形だったのか、ということに思いを巡らすことは、とても新鮮で貴重な出来事でした。

惑星地質学・鉱物学研究者と民俗学者に聴く、地球と災害

ただいま開催中の企画展・サーチプロジェクトvol.5「ニュー "コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」では、惑星・地球に位置する日本列島そのものや地球の営みから起こる「災害」をテーマにしています。
"地殻変動などの地球の営み"として災害を捉える視点のアドバイザーとして、惑星地質学・鉱物学研究者の佐伯和人氏(大阪大学大学院理学研究科 准教授)を、"自然からの恩恵を受けて生きる人々の営み"から災害を捉えるためのアドバイザーとして、民俗学者の川島秀一氏(東北大学災害科学国際研究所 教授)をお迎えしています。

そのお二人にゲストにお越しいただいたラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「地球と人の営みから見えてくる災害」を4月9日に開催しました!

トークはお二人の研究内容の紹介からスタートしました。

川島先生の研究について①川島先生の研究について②

まずは川島先生の、民俗学者としての「災害」から。
私はこれまで、各地に残る「災害碑」は「この地で起こった悲しい/大変な出来事を忘れないためのもの」と単純に捉えていましたが、その中には、未来へ向けてのメッセージとしての「記念碑」と災害で亡くなった方への供養として建てられている「供養碑」があること、そして碑を建てて終わりではなく、忘れないために毎年行事が行われている地域もあることを知りました。
民間伝承や海に生きる漁師の伝承には、個人的ではあるけれど一人ひとりの経験に基づいた言い伝えであり、自然と共に生きてきたからこその判断がたくさん含まれている。と語る川島先生。防災マニュアルが機能しなかった、避難警報のレベルが間違っていたのではないか、などと災害の際のニュースでよく問題視された声が上がりますが、災害・自然そのものを見ずに作られる、机上のマニュアルには多くの危険性がはらんでいることを実感しました。
都市は自然を覆い尽くしているからこそのリスクがある。という川島先生の言葉が、とても印象的でした。

佐伯先生の研究について①

佐伯先生の研究について②

続いて佐伯先生。地質学者としての「災害」とは。
災害多発地帯と言われる日本。なぜ災害が多いのか、地震が多いのかということを地球のつくりから分かりやすく解説していただきました。
地球の営みの中で、起こるべくして起こる自然災害。他の星ではなく、地球がひとつの生命体のように、常に動いているからこその災害は、地球である以上、欠かせないことでもある──。

対談①

対談②

最後に、お二人と、進行役のカフェマスターを交えてのトーク、さらに参加者のみなさんからの質問もいただきました。

東北大震災から5年が経ち、震災を風化させてはいけない。と言われることもあるが、実際の被災者や大切な人を失った側からすると、忘れたくても忘れられない爪痕を残していく災害。
研究結果としての健康被害から、そこで暮らすことを認められないが、大切な人たちと過ごした故郷がいきなり「暮らせない場所」と言われても離れることが出来ない人に対しての「正しい答え」はあるのでしょうか。
研究内容・視点の異なるお二人から、自然・地球を「知ること」、自然が制御できるものではないと理解することの重要さを伺いました。

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