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「超ひも理論」から捉える未知なる"私"と"彼方"(橋本幸士さんをお迎えして)

 2017.6.17(B1事務局 サポートスタッフ 竹花)

梅雨入りが発表されましたが、穏やかなお天気だった6月8日(木)。現在開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"〜 わたしのかなたへ〜」の関連企画、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『超ひも理論』から捉える未知なる"私"と"彼方"」が開催されました。
今回は、物理学者で大阪大学大学院理学研究科教授の橋本幸士さんをゲストにお招きしました。カフェマスターは家成俊勝さん、木ノ下智恵子さん、塚原悠也さんです。

橋本さんのご専門は理論物理学。『超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』の著者でもいらっしゃいます。そもそも「超ひも理論」とは、何を説明するどんな理論なのでしょう?「超ひも理論」 からわたしについて考える今回のトークは、橋本さんによるレクチャーから始まりました。

 橋本さん1

今回の展覧会の「わたしのかなたへ」というテーマに寄せて、まず橋本さんがお話ししてくださったのは、"科学者がどういう風に世界を見ているか"についてでした。
科学が見る世界では、原因から結果までの間がある数式によって繋がれています。そしてその計算を学べば、誰でも答えを導くことができます。すなわち科学とは、誰にとっても言い切れるような、全人類が共通に持てる認識なのです。それがわかってはじめて、「世界はこれです。でもわたしは世界とはちがいます。だからこれは"わたし"なんです。」と、"わたし"というものもわかる。自分を知るにはまず外界がどう動いているかを知る、ということが、橋本さんの物理学者としての意識の持ち方だそうです。

 

その上で、"この世界が科学的にはどのように成っているか"について、2つの事実をお話しくださりました。
1つ目は、わたしたちが存在しているこの宇宙は「素粒子の標準理論の作用」と呼ばれるただ1つの数式によって全てが支配されているという事実です。高校の教科書にも載っていないため知らない人は多いはずですが、宇宙の膨張や地球の公転、私たちの動き・・・全てを決めている完璧な方程式があり、なんと人類はすでにそれを知っているのです。
2つ目は、宇宙の中にあるものを構成している最小単位は素粒子であるということです。素粒子とは、人類が知る最小の構成物のことです。現在は全部で17種類の素粒子が知られています。この世のものは分割していくと全てがそのいずれかの素粒子になり、同種の素粒子は入れ替え可能な同一のものであるとわかっています。
すると、宇宙を構成する素粒子がどのようにくっついたり離れたり飛んで行くかということを知れば、この宇宙の全てを知ることになります。それを与えてくれるのが、先の"ただ1つの数式"なのです。しかし、人類はまだこれを解ききるための数学的ノウハウを持ち合わせていないそうです。

 「宇宙を支配する数式」

「宇宙を1つの式が支配している」と聞くと、「本当に...?」「そんな都合のいいことが...?」など、ちょっと信じがたいなあという気持ちになった方も多かったようです。最後の質疑応答でも質問されている方がいらっしゃいました。橋本さんは「1つであるからこそ科学は発達してきた」と話された一方で、「あまりにもうまく出来過ぎているから、なにか上位の存在 (神的なもの)がこの世界を創ったと考えた方が安心できる、という科学者もたまにいますね」というお話もありました。

 

そしておまちかねの「超ひも理論」についてのお話。超ひも理論とは、素粒子はひも状であるとする仮説です。
例えば光子と呼ばれる粒として知られている光は、偏光という揺れ動く性質を持つ点で特殊なのですが、超ひも理論を記述している方程式を解くと光を特定している「マクセル方程式」が導かれ、矛盾がありません。重力についても、重力を媒介している素粒子を輪ゴムのように閉じたひもであると仮定した方程式を解くと、それが重力の方程式と同じであることが示されます。
このように、素粒子がひも状であると仮定すると、さまざまな現象が矛盾なく説明できるそうです。この仮説を確かめるべく橋本さんは研究なさっているということです。

 超ひも理論について

では、素粒子がひもだとすると、どんな面白いことが予言できるのか。
それは、「次元の違うものが同じかもしれない」ということです。

トークの中では、素粒子をひもだと仮定すると、重力と光は、次元は異なるが同じものであると考えられるという仮説が紹介されました。この仮説によると、光(光子)が移動した軌跡と重力 (ゲージ粒子)が移動した軌跡は、違う方向に進む(光がx軸方向に進むとき、重力はy軸方向に進む)けれども同じ軌跡になるので、偏光素粒子=仮想重力であるとして矛盾がないそうです。
そうすると、直感的に導かれた「素粒子はひもである」という科学的な常識によって、「次元が違うものが実は同じである」という常識を破壊する話が生じており、2つが相容れません。常識的に思われていることが、そうじゃないこともあるかもしれないと、現代科学によって示唆されつつある。その先に面白い科学があるのではないかと考え、科学者は研究をしているそうです。

光(直線のひも)と重力(輪のひも)が同じ次元にあると捉えることについて、塚原さん、家成さんは「どこを切り口にするか、どの面を捉えるかということは建築に通じるところがある」とおっしゃられていました。

 「超ひも理論」のかたち

わたしはこの素粒子はひも状、という説明の方が理解しがたく、「素粒子はひも状......?粒子なのに......?」と混乱してしまいました。普段見慣れているものの形や動きがボキャブラリーとしてストックされていて、それをパズルのように使ってわたしたちはものを考えているため、矛盾していることがうまく想像できないのですね。自分が持っている考えるための材料の限界を知ったような気がして、"わたし"に関する新たな気づきでした。

 

印象的だったのが、「問題を解いた人がえらいのではなく、本当にえらいのはその問いをたてた人」というお話です。もちろん、問題を解いて正しい答えを導いたということは立派な業績であるけれども、そもそもの、答えを導くことのできる適切な式を書くことができた、 答えに対する正しい問いのたて方ができた人というのが一番えらい人なのだそうです。答えが出ない、結果が矛盾している、そんな時は適切な問いをたてることができていないのだとおっしゃっていました。言われてみれば確かにそうなのですが、何も意識しなければ答えを出した人が一番すごい人だと思ってしまいますよね。

このお話に対して、木ノ下さんが「それはアートも同じこと。科学が1つの解を導くのに対し、芸術作品は複数の解釈を導くという違いはあるけれども、適切な問いをたてることが一番大事だという点は共通している」ということをお話ししてくださいました。木ノ下さんは作品によってなされる問いかけで、多くの答えを生み出し、誤読を許すことのできる作品が良い作品だと考えているとのことでした。

また、橋本さんは「自然によって選ばれる正解は一つで、ノーベル賞をとれるのはそれを見つけた一人だけ。そのほかの何万という解は間違いだけれども、でも必要なのだ」 というお話もしてくださいました。カフェマスター側からも、「アートも、売れる人はほんの一握りだけれど、そうじゃない作り手がたくさんいることで多様性が生まれてより良いものが生まれてくるという点が似ている」という意見が出ました。言わずと知れた働きアリの話ではありませんが、正解、売れるもの、役立つものだけがあればいいのではなく、そうしたもののために間違いや無駄に思えるものも必要なのですね。永田和宏さんをお招きしたトークでも言及されていましたが、多様性が発展には不可欠だということはどの分野も同じようです。

 橋本さん2

他にも、偶発性についての考え方、空間をどう捉えるかなど、興味深いお話をたくさんお聞かせいただきました。科学とアートとでは、目指すところは違いますが、プロセスの部分では共通する部分が多かったです。科学者にとっての世界は、一般の人が想像する社会のような形態ではなく、素粒子によって構成されているものですが、自分を知るために世界がどうあるかを知る必要がある、という考え方は人文的なアプローチと共通しています。科学とアート、目標が異なるそれぞれの世界の見方を知る事で、"わたし"や"世界"への新たなアプローチの可能性を感じられたトークになりました。

"わたし"という彼方を巡る思考の旅(島薗進さんをお迎えして)

 2017.6.11(B1事務局 サポートスタッフ 林)

6月1日(木)のラボカフェスペシャルは、「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」と題して、宗教学者であり、上智大学 グリーフケア研究所長の同大学院実践宗教学研究科教授、東京大学名誉教授でもあられる島薗進さんをお迎えしてのトークイベントが開催されました。

6月1日(木)「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」ゲスト:島薗進さん

島薗さんが教鞭を執っておられる上智大学はカトリック系の神学部がある日本でも唯一の大学であり、関西の同志社大学や関西学院大学のプロテスタント系とは異なっていますが、島薗さんは俯瞰的な視点から宗教に接しておられます。
また、島薗さんが所長を務められているグリーフケア研究所は、過日発生したJR福知山線脱線事故を踏まえJR西日本から寄付を受けて設立されました。
この研究所では、自然災害ではなく人災による取り返しのつかない大きな事件や事故で身近な人との死別を経験し悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるよう支援する人を養成しています。

島薗さんは当初医学を目指したものの、途中から宗教学へと変わっていった、という経緯をお話くださいました。ところが最近は、再び医学の領域に帰ってきたようなところがあるそうです。
というのも、医学者や医療関係者の間でも宗教の必要性が再認識される時代になってきているということがあります。80年代頃に「脳死って人の死なの?」という議題がありましたが、死に向き合った人は医学でも心理学でも治せないものがあり、スピリチュアル的なもの、いわゆる宗教に通じる様な要素が必要なのではないか。「我々は宗教後の時代に生きているが、宗教なしでやっていけるのかな」と、島薗さんは仰られます。

医学・医療と、いのちについて。
万能細胞と呼ばれるiPS細胞とゲノム編集の親和性の良さなどにも触れながら、この2、3年で急速に伸びてきたゲノム編集について解説して頂きました。
従来の、人間の命は神から授かるものという考え方に対し、人間が命を作ることが出来る様になったのです。それは言い替えれば、「神を演じることが出来る様になってしまった」ということになり、例えば将来人間は500歳まで生きられる様になるかもしれない。このことは人類にとって大変な福音ですが、使い様によっては人類の破滅とまでは言えないものの、行き先を見失ってしまう可能性があるのではないでしょうか。
現在研究が進んでいる iPS細胞は人間の体の様々細胞に分化していくことが可能な幹細胞なので、ヒトの細胞や組織、臓器などを作り出すことが出来ます。
IPS細胞を用いて、豚の体の中に人間の臓器を作るという様な研究も可能になります。これはキメラと呼ばれ、この研究をどこまで進めるのかが大問題となっています。
脳が動物でも、体の各部分が人間という様な生き物を人間の様に扱うのか、それとも動物の様に扱うのか。それはどこで人間と動物を判断するか、ひいては何を以って「人間」なのかという問題に繋がっていきます。

そして話題は生命倫理へ。
安楽死や自殺など死に関わる問題がある一方、「命の始まり」に関しても様々な問題が出てきています。
例えば生まれてくる子供の障害の有無を母親の血液を調べることでわかる出生前診断など、科学技術が進んでくると、命の始まりの時点で命を選んだり、作り変えたりすることが可能になるのです。
始まりの段階の生命への介入ということに関しては、「命の破壊」やデザイナーズベイビーなどの「命の拡充」(より良く操作して得られるもの)が何を起こし得るのかという問題もあります。そしてそれは、「命は授かりもの」という考え方との間に大きなズレを生じさせています。

6月1日(木)「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」ゲスト:島薗進さん

科学技術を用いて"いのち"に介入し操作することは、本当に望ましいことなのでしょうか。
島薗さんはトーク中、フランスのジャン=ピエール・デュピュイの現代科学論をご紹介くださりました。

「今の科学はだんだん人間のコントロールを超えてきた。カタストロフィーということを言っています。こういう技術を開発したら将来どういうことが起こるかと予測するよりも今使えるからやっちゃう。その結果何が起こるかわからない。そうなるといつか、科学というのは分からないことを調べているわけですから、分からないことを起こしてしまうわけです。そうすると気がついた時にはとんでもないことが起こっている。」

環境問題であれば後々の影響を鑑みる事が当然となっていますが、医療・治療で役に立つとなると、後々の社会に与える影響を考えづらい。こういった現代科学の進歩による、聖なるもの(生命)への介入を止められるのは、宗教だけかもしれないという島薗さんの考察について、 ご紹介下さりました。
科学技術を用いて社会や私たちの生活をより良くすることは一概に悪いことか、どうなのでしょうか。そういったことを話し合っていく上で、連綿と続いている様々な宗教で培われてきた考え方、倫理観には参考となることが数多くあります。

現在の日本では宗教を拠り所にしない人が増えています。島薗さんは、お墓参りの慣習や「いただきます」の挨拶など、風習として伝えられてきた振る舞いに潜む知恵や価値観が失われることを危惧されています。それらには、単に宗教ということで収まらないこれまでの歴史で培われてきた沢山の民族性や人間性、倫理観が含まれているからです。

しかし加えて、宗教は大事だが、宗教ひとつだけに「嵌まる」、どちらかに偏りすぎることは危険であり、重要なのは"バランス"であるとも強調されました。

会場にお越しいただいた皆さんとの質疑応答でも、それぞれの関心や具体的な実体験に基づいて、様々なやりとりがありました。
参加者それぞれが、科学技術と宗教のあいだで自分自身の"いのち"にまつわる価値観をたどりながら、日常の暮らしや身近な"いのち"のあり方について、そして、これからの人類の未来について真剣に考えることができ、大変貴重で有意義な時間となりました。

「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」(飯田和敏さんをお迎えして)

 2017.6.7(B1事務局 サポートスタッフ 田中)

5月31日(水)、サーチプログラムvol.6の関連企画として「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」を開催しました。ゲストには、「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」、「巨人のドシン」など、革新的なビデオゲームを手掛けたゲームクリエイターの飯田和敏さんにお越し頂きました。

「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」などの一風変わったシステムの理由や、それぞれのゲームをどのように考えて作り上げたか、そしてクリエイターとしての創作に関する姿勢などもお聞きしました。

〜「太陽のしっぽ」 〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

まず飯田さんの手掛けたビデオゲームの代表作のひとつ「太陽のしっぽ」を実際にプレイしながらご紹介頂きました。 1996年に発売されたプレイステーション用ゲームソフト「太陽のしっぽ」は、原始人となったプレーヤーがひたすらゲーム空間を探索する元祖オープンワールドとも呼べる無目的的な怪作ゲーム。それまでのゲームの制度やセオリーに挑んだ内容は実に挑発的で、例えば以下の様に当時に「当たり前」の正反対を張る内容があげられます。

・ゴールが設定されていない。
・ミッションが存在しない。
・アバターが突然眠りその間プレイヤーはコントロールできない。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

例えば原始人が睡眠をとるタイミングはプレイヤーがコントロールできず、原始人は急に眠ってしまいます。そしてプレイヤーはただ画面を見ながら待っていることしかできません。寝ている間に鳥につつかれて体力が減ってしまったり、海の中で寝てしまい、寝たまま亡くなるということもあるそうです。

一聞すると理不尽とも単なる悪戯にも思えるこのシステムには、開発当時の飯田さんのこんな思いが反映されてるのだそうです。

製作を進めている際に、「原始人を操っているこのプレーヤー自身は(ゲーム空間において)一体何者であるのか」と疑問に思ったそうです。原始人たちが崇め奉る神のような存在、または、原始人の守護霊のような存在がプレイヤーなのかもしれないと仮定し、そのような視点からアバター(原始人)を操ると、思い通りに動かせない事が当然ある。けれども、あまりにも思い通りにならないとゲームにはならないので、思いがけないところで急に眠るというシステムが生まれたそうです。

また、話題はゲームの境界=世界の果てにまで及び、「始点と終点を結ぶ閉じた世界」は敢えて採用せずに決して渡りきれない海を設定するなどして、原始人がゲーム内で絶対にその先に行けない領域を作ることでゲーム世界の果てを設定しました。これは、西遊記において孫悟空が釈迦の掌で世界の果てを見た世界観を、飯田さん流にプレーヤーと原始人のアバターの関係に昇華させたものだったそうです。

 

〜「アクアノートの休日」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

続いて代表作品の一つである、「アクアノートの休日」(1995年発売)をご紹介頂きました。プレイヤーの一人称視点でひたすら海の中を自由に散策するゲームシステムは、「太陽のしっぽ」から続くオープンワールド形式を踏襲。海の中をどこまでも自由に探検できるのです。BGMは特になく、波や海の中の音が聞こえてきます。一人で遊んでいるとどうやらとても孤独になるそうです。

こちらも「太陽のしっぽ」と同じように、クリアしなければならないミッションや目的が設定されていないゲームで、 「太陽のしっぽ」も「アクアノートの休日」も3D空間の自由を楽しもうということで作られました。よって、ビデオゲームによくあるミッション遂行の使命や、難易度の上がっていくステージはありません。これらを発売した当時は、ハードの性能も上がりポリゴン表現技術で3Dの仮想景色を自由に表現出来るようになった時代でした。その世界を十分堪能するために、制限時間や目的を設定せずに、プレイヤーにとってストレスのないゲームを作りたいという飯田さんの意思が伝わって来ました。

もともと芸術大学を卒業後にゲーム制作に携わり始めた飯田さんは、拡張する表現方様式の一つとしてゲームの可能性を捉えていたそうで、アートの役割には従来の価値観/制度に挑戦していく社会的機能があるという持論の上に制作されたゲームは、敢えて挑発的で時に人を驚かせるシステムが採用されていきました。


そして、話題は2009年にwiiで発売されたゲームソフト「ディシプリン*帝国の誕生」へ。

〜「ディシプリン*帝国の誕生」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

「ディシプリン*帝国の誕生」は、「太陽のしっぽ」「巨人のドシン」の後に制作された異色な作品です。舞台は厳戒体制が敷かれる監獄・ディシプリンです。プレイヤーは、現実に起こった事件の犯人たちをモデルとした、投獄されている囚人たちと会話することができます。

飯田さんは「ディシプリン*帝国の誕生」の製作前、私たちの世界は残酷なものとつながっていると悟ってしまった時期があるそうです。「ディシプリン*帝国の誕生」を作ろうとしたのも、私たちの本当の日常の世界を知らなければいけないと思い立ったからだそうです。見て気持ちのいいものしか触れない、関わろうとしなければ、いつまでたっても自分中心でしか考えられなくなると考えたそうです。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん生活している中でメディアに乗った情報としてしか接する事のない事件の犯人。実際には同じ世界を共有する人間であることを無自覚的に忘れていることをこのゲームでは迫ってみせています。

『映画や本に比べて現場感が違うんですよね。(ビデオゲームでプレイすることにより)自分がその映像空間の中にいるということになっているので、そのテキストが友人との対話レベルで分からなきゃいけないという感覚が(ビデオゲームには)ある。』と飯田さんは言います。

現実世界にある物理的な距離、時空的な隔たりをゲームの世界は易々と乗り越える。「ディシプリン*帝国の誕生」の製作を通して、ぎりぎりのところにも遊びは現れると気づいたそうです。

ハードの性能、ネット技術、ソフトの進化は過去とは比肩できないレベルでその進化は日々進化している中で、「ビデオゲーム=子供の遊び」は既に古い概念となり、ゲームは確実にもう一つの現実世界として機能し始めている。常に完成された権力としての制度を疑うことで、ビデオゲームの遊びの領域を拡張してきた飯田さんのゲーム開発。これからどのようなゲームと遊びが飛び出してくるのかとても楽しみに思えるトークとなりました。

「膜であるヒトの内と外」(永田和宏さんをお招きして)

 2017.6.6(B1事務局 サポートスタッフ 川原)

5月24日(水)、現在絶賛開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"~わたしのかなたへ~」の関連企画として、「膜であるヒトの内と外」というトークプログラムを開催しました。

ゲストには細胞生物学者で歌人の永田和宏さんをお迎えしました。細胞膜の研究、そして歌人として著名な永田さん。今回のプログラムでは、まるでひとつの社会を形成しているような細胞の世界を通じて、"わたしたち"の内にある未知なる世界を見つめ、そしてそこから人間社会を見つめ直すようなトークになりました。

会場は超満員!皆さんの期待が伝わってくるなか、始まりました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)
永田さんのお話しは、大学教育論から、細胞のミクロ度合をどう印象付けるか、学問とはなにかといったところから始まり、細胞の専門的な話から細胞膜の働き、細胞で起こっている現象へと進みます。

やがて話は細胞から飛び出して、社会の中の自己と他者とは、グローバリズムと多様性とは、など、話がどんどん展開し、そしてあっという間に終演を迎えました。

今回お話し頂いたどの話題も面白く、頭を刺激するものでした。その中からいくつかご紹介します。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

①大学における教育

「大学における教育は、小中高とは別のものである。極論をいれば、教科書はいらない。研究者は、教科書に載っていないことを、何がわかっていないのかを教えるべきである。答えが必ずあるのではないこと、答えが一つではないことを、社会に出ていく準備として教えることが大切である。」
このお話を聞いて、かつて、大学で講義を受けていた課程では、ひたすら図書館で調べれば、解がありレポートが書けましたが、研究室に入ると全く違い、思った以上にわかっていないことが多くて、わかっていることも結果と考察と検証の上に成り立った、小さな断片をつなげていったものだと感じたことを思い出しました。

 

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

②本当のことを知りたいということが基礎科学の動機である。

「最近、ヒトの細胞数が60兆個から37兆個に訂正されたことは、大きく何かの役に立つ訳ではないが、その事実をうれ

しい、面白いと思う人はいる。知識を学問(学ぶ意欲)につなげるには、感動が必要である。例えば、細胞の数、DNAの長さを地球と比較するなど工夫する。ヒトのすべての細胞を一列に並べると60万キロメートル、一方地球は一周4万キロメートル。」
TEDのプレゼンテーションでヒトの全ゲノム配列のすべて印刷した書物のようなものが登場したことがありました。「A、T、G、C」の文字が並んでいるだけの印刷物です。しかし、初めて全ゲノムの配列のことを知った人には、あまりに膨大なボリュームに驚く人もいるはずです。アートも、役に立つかどうかを目に見える数値としては、測りにくいものです。この点で、基礎科学とアートは共通するところがあります。違うところは、科学が提示するものは、提示した時点においては、普遍性を持った事実であることが求められることに対して、アートの事実は、場所、時間、他者から自由である点だと思います。それゆえに、物事を大胆に変換し、拡張し、五感に働きかけることができます。そして、面白いことに、自然科学は、アートに多くのインスピレーションを与えることがあります。今回の展覧会は、まさにその場になっていますので、ぜひ、体感してみてください。


③細胞の膜の内と外

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)「細胞生物学の視点では、生命の最小単位は細胞。生命は膜による区画から始まり、生きているということは外界から内部を区画していること。細胞が自分の内部とすると、腸内は外部ともいえる。細胞膜は10ナノメートル(細胞を1メートルとすると0.5ミリメートル)と非常に薄い。薄く、脂質2重膜から成り立つため、物質を移動させるゲートが適切に生まれては消える。恒常性の維持のため、膜は激しい変化を繰り返している。」

久しぶりに、専門的な話を楽しく聞いていて、ふと、これはわたし自身に初歩の知識があるから、すっと入ってきているのだと気づきました。知識を持っていると、理解し、考える余裕が生まれ、その次のことに興味も湧くのだと思います。そういった意味では、高校までのある程度の詰め込み学習も意味があると思えました。
同一の状態を保つことは、変わり続けることであるという。一見禅問答のようですが、原子の世界も交換や揺らぎが日常であって、視点がかわると、"わたし"というのはかなりマクロなのだと、相対は面白いと感じました。

トークの終盤からは、細胞膜がたゆみないせめぎあいの中で折あいをつけている姿に、社会における自己と他者、グローバリズム、国境の在り方、国の在り方をなぞらえて見つめるお話もありました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)ヒトは細胞でできていて、社会は人でできていて、国家は社会からできていて、地球は国家からできていると考えられるとすると、細胞の営みと、国家と地球の在り方が似通うほうが自然なのか?、正しいのか?、そうなると、人間の思考とはなんなのか?、人間の思考はどう生まれるのか?、思考は、単なる物質の移動に以上のものがあるはずか?など、ふわっと別のところに心が連れていかれるような、不思議を感じた時間でした。

会場からの質疑では、学生の自信喪失論やミトコンドリアの話、集団となる時の細胞の話、研究者の悩みなど、様々な質問が飛び出し、本当に、熱く語り明かしたいトピックスが満載のラボカフェでした。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

ラボカフェスペシャル featuring サーチプロジェクト
オープニングトーク「ニュー"コロニー/アイランド"3 ~わたしのかなたへ~」

 2017.4.7(B1事務局 サポートスタッフ川原)

アートエリアB1で3月28日からスタートした企画展「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ~」。4月2日(日)は関連プログラムとしてオープニングトークを行いました。ゲストには、今回の展覧会のプロジェクトメンバーである大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授の吉森保さん、建築ユニットdot architectsから家成俊勝さん、土井亘さん、寺田英史さん、アーティストのやんツーさんをお迎えしました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク01

オープニングトークでは、2015年からの「ニュー"コロニー/アイランド"」展1と2の振り返りと、dot architects、やんツーさん、吉森さんからの活動内容や研究内容のご紹介、そして実際に展覧会場を巡りながらギャラリートークを行いました。

 

〜「ニュー"コロニー/アイランド"」展の振り返り〜

本展は、「ニュー"コロニー/アイランド"」と題した展覧会の第3弾であり、シリーズ最終回となる展覧会です。

本題のトークに入る前に、まずは2015年と2016年の展覧会を振り返りからスタート。

2015年は、「ニュー"コロニー/アイランド" 〜"島"のアート&サイエンスとその気配〜」と題し、プロジェクトメンバーに大阪大学理学研究科 教授の上田昌宏さん、北海道大学電子科学研究所 教授の中垣俊之さん、建築ユニットのdot architects、アーティストのやんツーさん、プログラマーの稲福孝信さんを迎えて、"島やコロニーの実験・創造性"と、"粘菌の知と工学的ネットワーク"をテーマに開催しました。会場では、粘菌を培養するラボと3Dプリンタで中之島の建造物を生成するラボ、"菌核"寺、1/150の中之島型の培地〈仮設の中之島〉と、壁面に投影された〈仮想の中之島〉などが設置され、〈仮設の中之島〉と〈仮想の中之島〉、それぞれで粘菌が異なる都市風景を生成していきました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク02

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク03

続く、2016年の「ニュー"コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」では、アドバイザーとして惑星地質学・鉱物学研究者で大阪大学理学研究科 准教授の佐伯和人さん、民俗学者で東北大学災害科学国際研究所 教授の川島秀一さんにご参画いただき、東日本大震災から5年目を迎える年に、改めて地球の営みとも言える地震による地殻変動などの「災害」について考え、様々な視点から「対話」を試みる展覧会を開催しました。出展者には、3がつ11にちをわすれないためにセンター/せんだいメディアテーク、写真家の畠山直哉さんや米田知子さん、志賀理江子さん、ホンマタカシさん、漫画家のしりあがり寿さん、現代美術家の高嶺格さんや小山田徹さん、加藤翼さん、contact Gonzoなど、国内外で活躍する表現者や公共団体等が集いました。会場では、一軒家を模した空間の随所に、それぞれの作品や活動記録、また過去の災害にまつわる資料が壁紙やファブリック、テレビに映る映像として展示され、会期中には"リビング"や"庭"などで様々なテーマで対話プログラムが繰り広げられました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク04

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク05

そして、今年の展覧会。「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」と題した本展は、"わたしたち自身"に着目します。

プロジェクトメンバーには、2015年の「"島"のアート&サイエンスとその気配」のプロジェクトメンバーでもあったアーティストのやんツー氏、同じく2015年のプロジェクトメンバーであり、2016年の「災害にまつわる所作と対話」では会場設計・施行を担当した建築ユニットのdot architects、そして今回はコンセプターとして大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授の吉森保さんをお迎えしました。

 

〜プロジェクトメンバーによるそれぞれの活動紹介〜

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク05 dot architectsの活動紹介の様子

建築ユニットdot architectsは大阪を拠点に、建築設計事務所を運営されています。店舗や住宅の設計等のいわゆる建築設計事務所が行う仕事をする傍ら、一般的にイメージする設計事務所とは異なるプロジェクトでも参加されています。アートプロジェクトのパフォーマンスに参加し即興で空間をつくったり、展覧会の会場構成や地域の人たちと交流しながらコミュニティスペースの設計をするなど、自身の身体をつかってその場で空間をつくることをされています。今回は、私達の身体をつくるたんぱく質をイメージした細胞的遊戯装置が点在する体内公園「仮説公園」をつくっていただきました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク06 やんツーさん活動紹介の様子

やんツーさん(アーティスト)は、デジタルメディアを使って作品をつくっています。いかに装置を有機的に動かせるかということに注目しており、装置にセンサーを仕込み、人の数や騒音量などの環境を規定する要因をセンシングして装置の動きに反映させたドローイングマシーンなどを作成されています。このドローングマシーンは自立して動き、抽象的な絵を描きます。そして現在、山口情報芸術センターで展覧会期中の作品では、大きさや種類の様々な展示物(扇風機やカラーコーン、車など)に、インターネットのホームページからアクセスすると誰でも憑依することができ、実空間の展示物をインターネット経由で動す作品を発表しています。

今回やんツーさんには、もうひとつの体内公園「仮想公園」をつくっていただきました。dot architectsが作成した細胞的遊戯装置にセンサーを仕込み、来場者が遊戯装置を動かすことで「仮想公園」の映像空間に反映されます。来場した際は、遊戯装置の動きがどのように「仮想公園」に反映されるのか是非ご注目ください。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク06

次に吉森保さんからご自身の研究についてご紹介いただきました。吉森さんの専門は、私たちの身体を構成する細胞内の事象の一つである「オートファジー」です。「オートファジー」は、大隅良典さんが2016年のノーベル医学生理学・医学賞を受賞した研究テーマです。ニュースなどで聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。吉森さんは大隅さんと共に研究を行い、昨年の授賞式にも出席されました。「オートファジー」は細胞内で不要なものを分解し、また、新たなものを生成する細胞内リサイクルシステムの一部です。「オートファジー」は細胞内の不要となったタンパク質などを膜が包み込み、これが、分解酵素リソソームと融合し、たんぱく質がアミノ酸まで分解する現象です。このアミノ酸は適宜、再びタンパク質に合成され細胞の部品となったり、または、代謝されてエネルギーとなったりします。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク07

吉森さんのトークの中で、「ギリシャ神殿」と「伊勢神宮」の比較がありました。どちらも、数千年以上存在する建物ですが、一方は、一度頑丈に建てられてそのままの建築、もう一方は式年遷宮という儀式のもと、20年ごと建て替えられた建築です。しかし、建て替えられた「伊勢神宮」は、創建当時の姿といわれており、見た目に変化はありません。このことは生物に通じることであり、日々の生物の姿、細胞の見た目の変化は些細なものですが、体内に存在しているアミノ酸~それを構成する炭素、窒素、酸素、水素原子は、数日で入れ替わる劇的なものです。建築と生物の不思議な共通です。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク09 ギャラリートーク

今回の展覧会で展示している「細胞的遊戯装置の仮設公園」は、アミノ酸の種類数と同じくらいの約20種類部材とジョイント方法によって構成されています。遊戯装置がタンパク質、部材がアミノ酸を模しています。「仮設公園」を制作されたdot architectsの家成さんから、展覧会の開催中に「オートファジー」を起こし、3か月の展示の中で部材を循環・再生させていきたいとの話がありました。設営で余った部材は通常展覧会のオープン前に撤去するものですが、細胞内で浮遊しているアミノ酸のように、いつでもタンパク質合成=遊戯装置の組み立てできるように、会場内に置かれています。ご来場の際には、見つけてみてください。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク10 ギャラリートーク

展覧会場のもう一つの要素は、「仮想公園」です。dot architectsが制作した細胞的遊戯装置には、センサーが取り付けられ、来場者が装置を動かすと、「仮想公園」の映像が緩やかに変化してゆきます。仮設公園の遊戯装置と、細胞内の構造をモチーフに「仮想公園」を制作されたやんツーさんが仰られた「細胞のことを考えていくと、あれ?ここはどうなっているだろう、ということにぶつかる」という話には、はっとさせられました。実際に科学は、解明されていないことが、まだまだたくさんあります。細胞も同様です。教科書には、解明された断片のつなぎを、想像イメージで補って記されているにもかかわらず、読んでいると全部わかっているような錯覚に陥っていることが多くあります。「わからないことにぶつかる」というのは、実際に構築する側に立つと、見えてくる物事があると再認識する話でした。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク11

その他トークの中で、建築と細胞内現象の共通項は、高度経済成長期に作られたインフラの老朽化、建築のメタボリズム運動への言及まで広がりました。一方、デジタル技術の領域では、攻殻機動隊やAIの話題が飛び出し、身体運動と知能成長の関連について意見が交わされました。遠い分野の専門家が集うことにより、考えの輪郭がはっきりしたり新しいものの見方が生まれたりする面白さを感じました。

 

アートとサイエンスがぶつかった現場、そして身体感覚を研ぎ澄ます展覧会、「ニュー"コロニー/アイランド"3~わたしのかなたへ~」を是非見に来てください。

サーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」開幕

アートエリアB1の春の企画展・サーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」が3月28日より始まりました。

当館を活用して、アートや知の可能性を探求(=search)する企画展「サーチプロジェクト」。
2015年からは、「ニュー"コロニー/アイランド"」と題して3回にわたるアート&サイエンスの展覧会を開催しています。
〈これまでの「ニュー"コロニー/アイランド"」展〉
2015年 「ニュー"コロニー/アイランド" 〜"島"のアート&サイエンスとその気配〜」
2016年 「ニュー"コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」
昨年、当館を一軒の家に見立てて開催した「災害にまつわる所作と対話」の展覧会が記憶に新しい方もおられるのではないでしょうか?

これまで2年にわたって「島と粘菌の知」や「惑星地球と災害」をテーマにしてきた本シリーズ。いよいよ今年がシリーズ最終回です!
今年の企画は、「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」と題して、"わたしたち自身"に着目します。

プロジェクトメンバーには、2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典教授とともに国内のオートファジー研究を率いる吉森保
建築設計・施工だけに留まらず、「瀬戸内国際芸術祭2016」などの様々なアートプロジェクトにもかかわる建築ユニット・dot architects
デジタルメディアを基盤に、グラフィティやストリートアートなど公共の場における表現にインスパイアされた作品を制作するアーティスト・やんツーをお迎えして展覧会と、会期中には多彩なトークプログラムを展開します。


ではさっそく、会場のなかを少しご紹介しましょう。

入口バナー、看板 注意看板

入口には印象的なピンクのバナーに細胞の営みのひとつである「オートファジー」の画像が配置されています。本展は、わたしたちの体の15%を占めるタンパク質の構造をメタファーにしてつくられた【仮設公園】と【仮想公園】という二つの空間で構成されています。

これらの空間は、「見る」と「遊ぶ」の二つの方法で体験することができます。安全に遊んでいただくために、入口で「ご入場前の注意事項」をよく読んでから臨んでください!

サーチ6ホワイトボード

さて、会場に入ると大きなホワイトボード。そこには会場図とともに、本展のキーとなるアミノ酸とタンパク質の階層構造が大学の講義さながらに記されています。

なんだか難しそうですが、簡単に説明すると......
タンパク質は20種類のアミノ酸でできています。この20種類のアミノ酸の組み合せ方によって何万種類もの異なる働きと役割を担うタンパク質がつくられていきます。そしてそのタンパク質同士がくっつき合うことでさらに異なる役割を担うタンパク質へと変化していきます。(学術的にはこれを1次元構造〜4次元構造として説明します)

そして会場の【仮設公園】には、だいたい20種類くらいの材料とジョイント方法でつくられた「細胞的遊戯装置」が点在しています。

サーチプロジェクトvol.6オープン02 サーチ6会場

この「細胞的遊戯装置」に来場者である皆さんが触れたり、乗ったり、滑ったり、さらに装置を移動したりすることによって、装置に内蔵されたセンサーが反応します。

するとどうなるかというと、壁面に映し出された【仮想公園】のなかでこの細胞的遊戯装置が現実空間とは異なる動きで変化していきます。

つまり、"だいたい20種類くらいの材料"がアミノ酸、それを組み合わせてつくられた「細胞的遊戯装置」がタンパク質、さらに、来場者である皆さんもタンパク質に見立てて、タンパク質同士がくっ付いたりすることで、【仮想公園】のなかでは新たなタンパク質が形成される、というわけです。

 

何はともあれ、まずは会場で遊んでみてください!

というわけでお次は「細胞的遊戯装置」を少しご紹介しましょう。

入口ブランコ

見ての通りの「ブランコ」です。が、身近でブランコをする機会も街中ではなかなか無いと思います。からだの感覚を開いて、是非ひと漕ぎしてみてください。いつもと違った身体感覚を思い出せます。

シーソー

不思議な形をしていますが、「シーソー」です。両端の下に付いている筒は柔らかい素材で出来ているので、体重を掛けるとかなり弾んで、すごい浮遊感です。バウンドのさせかたによってはかなり激しいシーソーになるので注意です! 日常生活ではシーソー的な身体感覚もあまり経験しないですよね。

その他にも、動く平均台やジャングルジムなど、なかなかスリリングな装置が盛りだくさんです。
(安全に注意しながら遊んでくださいね)

サーチプロジェクトvol.6オープン03 サーチプロジェクトvol.6オープン04

一方、壁面に投影されている【仮想公園】はどんな感じでしょう?

映像の中には、会場内の「細胞的遊戯装置」が漂っています。そのなかを歩き続ける一人のおじいさん。会場にある「細胞的遊戯装置」の動きに反応して、この【仮想公園】はダイナミックに変化していくわけですが、これがどのように変化し、そしておじいさんは一体どうなるのか!? それは会場に来られた際のお楽しみとさせていただきます。

サーチプロジェクトvol.6オープン06

そんな仮想空間に入り込む体験ができるのが"VRブランコ"です!

ヴァーチャルリアリティのヘッドセットを付けてブランコに乗るという、なんとも浮遊感あふれる装置です。会期初日から大人気です。
(体質等によっては体験していただけない場合がありますので、体験前に会場の注意書きをご確認ください)

サーチプロジェクトvol.6オープン05

先にも書いたように、これらの「細胞的遊戯装置」は、それぞれがアミノ酸でできた「たんぱく質」をイメージしていますが、体のなかにはタンパク質になる前のアミノ酸も浮遊しています。

というわけで、会場の片隅には資材(=アミノ酸)がプールされているところも。

アミノ酸プール

この「アミノ酸」を原料に、6月25日までの会期中にたんぱく質の「装置」が更に増える、かも???

自分という意識やからだの感覚と向き合う本展。一度ならず何度でも、この「体内公園」に遊びに来てください!

※お怪我だけなさらぬよう!動きやすい服装でお越しいただくことをおすすめします!

   


今週末4月2日(日)にはプロジェクトメンバーを迎えてのオープニングトークを開催します。こちらも必聴です!
ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト
オープニングトーク「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」

日時:4月2日(日)16:00ー18:00
定員:50名程度(当日先着順・入退場自由)
ゲスト:吉森保(大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授)、dot architects(建築ユニット)、やんツー(アーティスト)
カフェマスター:木ノ下智恵子、久保田テツ、塚原悠也(アートエリアB1運営委員)

「災害にまつわる所作と対話」クロージングトーク!

本展のタイトル名に所作と対話がありますように、展示期間中なんども対話を重ねてきました。今回が展覧会最後の対話となります。まずは振り返りの話からスタート。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト クロージングトーク「災害にまつわる所作と対話」

展示がなぜ家なのか?

この展覧会準備の話し合いの時、災害の当事者でないと話せない状況がまずいよね。という言葉が印象に残ったと家成さん(dot architects)は言います。外部から物が言いにくいという状況。そうではなくてみんなが当事者の立場から話せる場があったらいい。そんな思いから日常的な空間から様々なアーティストの作品を日常と地続きに見て、災害と作品に触れてもらい対話できたらいいなと家のかたちを思いつきました。

そして当館運営委員で本展のディレクターのお一人である木ノ下さんからもうひとつ、美術館やホワイトキューブなど黙って見なくちゃいけないような、メディアの持つ強迫観念のようなものを極力少なくし、作品に触れる近い存在にして、会話ができる場所として家が重要な要素してありました。

こんな経緯で日常と隣り合わせの災害、普段の生活から災害のあり方を見て、家の中で対話が生まれる展示となり、来場者の方も親しみを持って展示をご覧いただきました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト クロージングトーク「災害にまつわる所作と対話」最後の対話

dot architectsさんより質問。最近の学生が大学からよく重要と言われいることのひとつに「コミュニケーション能力を高める」がありますが、川島さんや佐伯さんが普段行っている、人ではないものとのコミュニケーション、声の聞き方、向き合い方を尋ねました。

佐伯さん「自然と向き合うということではフィールドワークにでます。自然からの声を聞くには、自然を模すアナログの実験をします。溶岩の代わりに水飴を流すなど、実験をさせると自分が思ったことと違うことに気づく。自然から教えてもらうテーマ設定を行うように学生には教えています。」

川島さん「自分が直接自然を見るというより、民俗学なので基本は人の営みを通して自然を見ています。誰もが持っている内なる自然にどう向き合っていくかで外側の自然への向き合い方も変わります。例えば、漁師さんは海や潮を読む力を持っていて、そんな漁師の感とGPSを認識する能力を併せ持った人が一番魚が獲れるそうです。機械だけに頼ると、機械が進化すればするほど、いざ機械が壊れた時どうすることもできない。100%何かに頼らず、自然のいいところも悪いところも両方に向き合うことが重要です。」 

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト クロージングトーク「災害にまつわる所作と対話」

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト クロージングトーク「災害にまつわる所作と対話」こんな回答から話は多様性について展開し、自然をうまく取り入れた隙間風の通る自然換気の昔の家と現在の機密度の高い家、どちらが豊かなのか?というdot architectsさんの話を受けて、佐伯さんは「選択肢が広がったことはいいと思っています。それは多様性を担保しておくことです。」と話され、ひとつの物事から世界を見る視野の広さを感じました。

木ノ下さんからも多様性について、ホンマさんの映像作品の中でスマトラ地震でホテルで被害を受けたことを深刻そうに語るイギリス人と、あっけらかんと語る現地のホテル従業人の違い、そして被害にあったホテルは、塀などを立てることもなく同じ状態のホテルを再建築して、津波から10年後も当時と同じように営業していることから、多様性の中で彼らが選択したものとは何かを感じたと語られました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト クロージングトーク「災害にまつわる所作と対話」

最後に、今回のプロジェクトで人間はすごいタフで、コミュケーションや伝承をつかっていることを改めて感じましたと佐伯さん。地質学、民俗学、建築家という立場からのご意見はそれぞれ異なりながらも交差する部分もあり、対話していくうちにお互いの接点や新しい視点が生まれました。

さらに企画側からも最後の対話をヒントに、どうやら来年の「ニュー"コロニー/アイランド"3」の企画構想が膨らんだようです!「ニュー"コロニー/アインランド"」は今回2回目を終えましたが、来年も開催予定で全3回行います。2017年春の展示をお楽しみに。

3月11日からスタートした展示もあっという間に幕を閉じました。テーマとしてデリケートな部分もありましたが、長時間にわたりじっくりとご覧になっていた方も多くいらっしゃいました。ご来場いただきましたみなさま本当にありがとうございました。

歩きながら活断層を体感する(大阪の活断層を巡るツアー)

3月11日から開催してきたサーチプロジェクトvol.5「ニュー "コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」。最終日も目前の6月25日は、ナビゲーターに本展アドバイザーである惑星地質学・鉱物学研究者の佐伯和人さん、ゲスト解説者に活断層研究者の廣野哲朗さんをお招きして、「大阪の活断層を巡るツアー」を開催しました。 

 

当日、通天閣の下にツアー参加者の皆さんが集合。ゲスト解説者である廣野さんの服装から、活断層を巡るというこれからの道のりの険しさを想像して、身が引き締まります。

 通天閣の下で説明をする佐伯先生と廣野先生通天閣の下で集合

 

まずはじめに、通天閣に登って上町台地を俯瞰しながら、これから巡るルートの解説を伺いました。

通天閣俯瞰

 

続いて地上に戻り、次のポイントへ向かいます。向かいながら安居神社の急な石段を上り下りしたり、坂道を歩いたりしながら、上町台地の高低差を体感しました。 

次のポイントは清水寺の「玉出の滝」です。流れ出る滝と崖を見上げながら、断層の解説を伺います。

玉出の滝

 

続いて、清水寺墓地の「清水の舞台」へ向かいます。玉出の滝からさらに急な石段をあがって、清水の舞台へ到着しました。
舞台の下の地域は、以前は海だったそうです。潮位の変化の話から解説は宇宙へと及びました。寒冷期と温暖期の変動があるのは、地球の自転軸や公転の軌道が、同じく太陽のまわりをまわっている他の惑星の引力の影響でぶれること。また、太陽系が銀河の中を移動する際に受ける引力の影響すら関わっているそうです。地形の変動と宇宙の営みがつながっているとは!壮大な話に、皆さん熱心に耳を傾けられていました。

清水の舞台

 

坂を下り、どんどん歩きます。歩きながら、上町台地にはとてもたくさんの寺社があることにも気づかされます。

続いては、「大江神社の階段下」にたどり着きました。こちらの神社には狛犬ならぬ狛虎がいて、タイガーズファンの参拝が多いそうです。大江神社への階段は、やはり急な石段が101段もありました。

 

そして最後に「昔の海浜跡」を眺めます。周囲には建物が立ち並び、海の面影はありません。けれどよく見ると道路が大きく波打っていて、かつてここが海であった名残を確かに見ることができました。

 

知識として知るだけではなくて、活断層の史跡を歩きながら巡ってみることで改めて地形を体感したり、地球や宇宙の営みに想いを馳せたり。生憎の雨天でしたが、とても新鮮で充実したツアーでした。

「海の文化と気象判断の知恵について」(漁師・池尻宏典さんと民俗学者・川島秀一さんをお迎えして)

6月24日(金)。今日は、民俗学者として気仙沼を拠点に全国のカツオ漁師や漁撈伝承を長年取材している 東北大学の川島秀一さんと、神戸・新長田で漁師をしている池尻宏典さんをゲストにお迎えし、人間と海との関わりについて、民俗学的な視点と海という現場に身を置かれている漁師さんの視点が交わる対話プログラムを開催しました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「海の文化と気象判断の知恵について」ゲスト:尻池宏典(尻池水産)、川島秀一(民俗学者、東北大学災害科学国際研究所 教授)

川島さんは、元々漁師さんとお話しするのがお好きで、 今まで論文発表等関係なく交流を深めてこられたそうです。
漁師さんの言い伝えをカレンダーにするというユニークな活動もされています。

一方、現役の漁師である尻池さんは、おじいさんから始まり3代わたっての漁師一家。
阪神・淡路大震災後に改めて家族の大切さを痛感し、何かおこったときにもそばに居られるようにと漁師になる道を選ばれました。
現在は大阪湾でイカナゴやシラスを主に獲り続け今年で20年、都会派漁師と名乗ってらっしゃいます。

そんなお二人が「嵐と凪(ナギ)」について興味ふかいお話をされました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「海の文化と気象判断の知恵について」ゲスト:尻池宏典(尻池水産)、川島秀一(民俗学者、東北大学災害科学国際研究所 教授)

いまの漁師さんは荒れたら海には出ないものだが、当時の漁師さんは荒天時には 全員出漁することになっていて、 凪の時には逆に出漁をやめていたそうです。
魚を尊敬する、魚の覚悟を感じている、人間の接し方でも魚の動きは変わってくるそうです。

漁師さんは旧暦と潮の流れをみます。潮の周期を頭の中に入れておかないと漁はできません。
「潮をとる(潮目をみる)ことが魚をとることで、魚をとることが潮をとる(潮目をみる)ことだというくらい、 とても大切にしている。」と川島さんは仰られました。
さらに、漁師さんは災害と大漁は繋がっていると 捉えられています。
大きな災害が起こるとミネラルが豊富な川の水が大量に海に流れ込み、 海水が掻き回されるため、短い目で見ると魚は減るが、長期的に見ると大漁をもたらすということに驚きました。

ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「海の文化と気象判断の知恵について」ゲスト:尻池宏典(尻池水産)、川島秀一(民俗学者、東北大学災害科学国際研究所 教授)

今回の展覧会では、川島さんが漁師さんから聴いた三陸地方につたわる諺を日めくりカレンダー のようにして展示しています。
トークでは、川島さんが"諺カレンダー"を1枚ずつめくりながら丁寧に 説明してくださいました。
()内は、尻池さんのコメントです。

「春の雪は掃いて乗れ」
→春の雪は、あまり沖が荒れることはないから、そのまま漁に出てもいいという言い伝え。
「二月と駒の頭(かしら)は荒れたほうがいい」
→2月に大風が吹くと豊作になる。馬も気が荒いほうが働く馬だという例え。
(大阪湾では、12月に西風が吹けばイカナゴが豊作になると言われていて、 ちなみに、昨年の12月は暖かかったため今年のイカナゴ漁は不漁でした)
「三月水は脛(すね)割り水」
→3月は海水温が一番低い。 脛を割るくらいに冷たい水という例え。
(大阪湾では、2月が一番冷たくなります)
「春南(はるみなみ)くろがねを通す」
→春の南風、鉄をも通すくらい冷たく強い風が吹く。
「五月海に家を建てろ」
→5月は凪が多いので、海に家を建ててもいいという例え。
「雨三粒風千石」
→春先に雨がちょっとでも降ると風邪が強くなる。
「八月海には、一人子乗せるな」
→8月の海は荒れるので、一人っ子などは亡くなるので乗せるな。
「枯れ木の靄(もや)は時化(しけ)の元」
→落葉した頃は、霧やモヤのあとには台風やしけが来る。
「冬至寒(とうじかん)の北は、手の平返し」
→冬至と夏至の間に吹く風は吹いている方向が急に変わって、危ない風だから気をつけろ。
(大阪湾でも、海に出ていると前線が通過しているのがよく分かる)

さらに、大阪湾で漁をされている尻池さんは、「南から雲が走ってきたら、あと数時間以内に波が高くなり危険になる」ということを紹介してくださいました。

場所が変われば、海の状況も漁の方法も全く異なります。
漁師さんは、先代から伝わる伝承やご自身の経験と勘により海や気象の状況を知り、 魚を獲る術を身につけています。
一方で、現代ではGPSや魚群探知機など様々な科学技術も用いられています。
尻池さんは、そうした最新機器と経験と勘、 どれかに頼るのではなくどれも上手く使っている人が一番魚を多く獲ると言われます。

尻池さんは、大阪湾でGPSも使われるそうですが、どこに浅瀬やブイがあって、 どの辺りに魚がいるかは体が覚えていると言われます。
そして、GPSよりは、 山立てが一番信頼できるそうです。
「山立て」とは、海岸沿いにある建物などを目印にして、 漁師さんたちが船の位置を把握する技術です。
大阪湾では、焼却場の煙突や大きな構造物、 港の街灯を目安にしているそうです。大阪湾は灯りが多いけれど、明るさや色の違いで判断されるそう。
一方、川島さんがご出身(現在も拠点をおかれている)の三陸地方では、高い防潮堤ができてしまって、 海から目印が見えなくなり山立てができなくなっている所もあるそうです。
津波から住民や街を守るための防潮堤ですが、「海がみえなくなることによって、 より危険性がますのではないか」と川島さんは危惧されています。

  

そしてお話は少し深い部分へと進んでいきます。
自分たちの生きるサイクルの中で起こりうる、自然と死との関わりについて。
夜の闇を感じ取るチカラや危険を察知する能力など、わたしたちが都市生活で忘れている感覚はたくさんあります。
そういった感覚は、きっと自然と対峙した時にも命を有効に生かしていくための大きなチカラになるのではないでしょうか。
そこで、自然のなかで生きて死んでいくという家族の死生観、
海という自然に家族の命が失われることについて、川島さんに伺いました。

「東日本大震災で被災された方のお話に、
遺体に『うに』がついていて、震災後、しばらくうには食べられないという話がありました。
もちろん、2、3 年は漁師をやめようとか、海で亡くなり、あがらない人は魚が食べているから、まして身内の人間が亡くなった人は、自分の身内を食べた魚は食べられないという話は聞きます。
一方で、海で死んだ人は魚になるんだ、カニになるんだという言い伝えもあります。
それは、生命の輪廻を海をとおして考えているということです。
もう一つ、言い伝えのようなものに、津波のあとはイカが大漁に採れると言われています。
大きな目で考えると、津波で人間を奪ったから、今度は魚で返すといったように、漁師は広い視野で 海と向き合う考えをもっていました。
あるおばあさんから聴いたお話に、こういうのがありました。
『海は人を殺さないから。両面をもっている。災害も与えるが、大漁もあたえる。 人の生活や命を奪っても、次の年は魚で返して、人を生かす』 
そんな大きな考え方をする人が日本にもいました。
大きな時間で命の循環をとらえる、ということです。」

  

漁師さんたちのなかには、水死体を引き上げる際の作法があるそうです。
まず、1:声をかける。2:上(頭)からあげる。
そして現役の漁師さんである尻池さんもよく聞くそうですが、
「水死体をひろった船は大漁にあたる」といわれています。
さらに、身元不明者をひろった漁師は、その人が喪主になる、ということも実際にあるそうです。

 

トークも終盤を迎え、会場にいらっしゃるお客様からの質問タイムに。

「東日本大震災の後、高い防潮堤を建てるということが話題になりました。しかし、防潮堤で壁をつくったからといって、災害が防げるとは思えません。漁をする上で、最新機器と経験や勘を両方活かす人がいい漁をするのと同じように、 土地の物語のなかにどう科学を盛り込むか、東北に関する物語のなかに、どう科学を取り込むかということが重要ではないですか」というご質問がありました。

それに対して川島さんは、このように仰られました。

「生活のなかでの当たり前だと思っている安全性をどう科学と組み合わせるかということですが、 これはその土地土地で組み合わせていくしかない。ハードにばかり頼ってもいけない。 マニュアルはつくるが、それを固めてしまうと、今後も被災する人間は増えると考えています。 そんな時でも、臨機応変な危機察知能力を持つのは漁師さんだと思っています」

一方、神戸港を拠点にする尻池さんの周辺では、 元々大阪湾に津波がくることは予測されていなかったそうですが、 今は見直され、津波に備えた訓練なども行われているそうです。
一般的には、津波が来る前に船を沖に出す「沖出し」をしなければならないと言われていますが、 地震が起こってから大阪湾に津波がくるまで約1時間と想定されている中で、 沖出しが逆に危険ではないのか、どうするのが良いのか、未だ答えを出せていない状況、と言われます。
それに対して川島さんは、東日本大震災では沖出しして助かった人もいれば、出して亡くなった方もおられると言われます。
「今回の津波の時は、沖出しした方が助かると言われていた。しかしすべてはタイミング。 この判断が非常に難しい。これは車での避難はいいのかわるいのかというのと同じこと。 これも考える必要があります。」

最後の質問の時間に、参加者のみなさんから今回のトークの核心に触れるような内容を ゲストのお二人に投げていただき、会場も一気にぎゅっと引き締まっていく空気になりました。


そんななか、最後に川島先生がおっしゃった言葉がとても胸に残りました。
「今の防災の在り方は、近代防災の在り方で、昔その地域でどういうことがあったのかを抜きに進んでいます。 上から目線で「こうしろ、ああしろ」という防災意識が強く、昔の人たちの考えを活かした防災意識が少ない。 地域の風土や歴史を知ることが、まずは防災への第一歩ではないでしょうか。昔はこの地域はどういうかたちだったのかとか、その土地に住むひとから話をきちんと聴く。そういった中から真の防災意識が芽生えてくるのだと思います。」

 

自然と人間の間の曖昧な部分に身を置き、 目を凝らし、海や魚や自然と対話し、時に危険に身を晒しながら生きている漁師の方々。 今回のお話を通じて、都会に生きるわたしたちが漁師の方々の自然観や死生観から学ぶべきものは とても多いと感じました。それは、ときに脅威ともなる自然(地球)の営みとともにどう生きるか、 ということに繋がります。そのための一つの術が、防災・減災ではありますが、科学技術に頼りすぎる社会の傾向や、 既存の物(防災グッズ)や与えられる情報に頼るわたしたちの意識は、 なにかとても大事なものを失っているのではないでしょうか。
現代においては、ある意味でパッケージ化されつつある「防災」について、 そのあり方を根本から考える、とても貴重な時間でした。

科学技術の使い方、その考え方(科学技術社会論・中村征樹さんトークプログラム)

6/21(火)、サーチプロジェクトvol.5関連プログラムとして「科学技術」をテーマに、大阪大学全学教育推進機構准教授で科学技術社会論・科学技術史の専門家である中村征樹さんをゲストにお呼びして、対話プログラム(グループディスカッション)を開催しました。
中村さんによる天気予報からみる科学の捉え方
最初の導入では、科学技術に対する考え方・捉え方について、天気予報を例にしたお話がありました。
現代の生活では、数日先まで降水確率が何パーセント、ということが当たり前に示されています。
しかし人によって傘を持っていくかどうかは違います。
少しの確率ならば荷物になる傘は持っていかない人、絶対に濡れたくないので必ず持っていく人など。
このように、同じ技術の使われ方でも捉え方は様々です。

イギリスの理科の教科書について 科学技術とリテラシーについて
もう少し複雑な問題として、イギリスの学校で教材として使われている「理科」の教科書の紹介がありました。
そこでは、科学技術の使用には倫理的な問題を孕んでいること、科学リテラシーを学ぶことも含めて、科学を学ぶこととされています。
具体的な例として「出生前診断を行うことは正しいことか?」という問題について、賛成・反対含めたくさんの意見が載せられていました。
科学技術を使う上で人によって様々な考え方があり、答えはひとつではない、ということを考える教材となっています。

「なにを考慮に入れて だれがどう決める?」

今回のキーワード
これが科学技術社会論を考えるキーワードであり、今回のグループディスカッションのテーマです。
このことを考える上で、今回はあるひとつの記事を題材にしました。
その記事は、東日本大震災で津波の被害を大きく受けた気仙沼で、津波対策として10m近い巨大な防潮堤を浜に設置するということに対する様々な問題が取り上げられたものです。

防潮堤
ディスカッションに展覧会場を活かして「寝室」「食事室」「庭」の3つの部屋でそれぞれ5名ずつほどで意見を出し合いました。
今回のディスカッションは、問題に対して何か一つの答えを出そうという訳ではなく、どういった事が考えられるか、意見を出し合って考えを深める、ということが目的です。

30分ほどそれぞれのチームで意見を出し合ったあと、最後にまとめとして各チームで話された内容のあらすじを発表し、本日のプログラムは終了となりました。
「防潮堤の高さの必要基準は誰が決めるべきか」
「そもそもそこには今後誰が住み誰を守るために作られたのか」
「そこに住む人が幸せになる選択は防潮堤があることなのかないことなのか」
「科学的に『何m~までの津波が来ても被害を押さえられます』ということが求められているのか」
「海と一緒に生きてきた住人の方から海のすぐ近くでの生活を奪ってまで防潮堤を作っても、生きている意味はあるのか」
「この巨大な防潮堤の設置に賛成なのはどういった理由があるのか」
などなど、ここに挙げきれないほどたくさんの事柄が話されました。

寝室での話し合いキッチンでの話し合い


この防潮堤の問題のように、災害と科学具術に関する問題には、すぐに答えが出るような簡単なものはありません。
だからこそ、人と意見を交わし合い、考えを深めていくなかで対立する意見からどちらかの「正解」を選ぶのではなく、より良い考えを見つけ出して行くことの重要さが今、求められているように感じます。
それは科学技術に限らず、生活、食、政治、経済などすべてのことに共通であり、いままで関連プログラムとして開催したトークイベントでもそういった考え方が様々な切り口で、まさに「所作と対話」展としての大事な在り方が提示されているように思えます。
そういう意味でも今回のグループディスカッションは、とても象徴的でした。
今回の展示やトークプログラムを通して、これから先の日々を災害も含めてどう考え、どう過ごしていくかのきっかけが何か得られれば、と感じました。

全体でのまとめ

  2017年6月

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