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中之島リサーチプログラム
饗庭伸「都市計画の視点で巡る中之島フィールドリサーチ」
ラボカフェスペシャル featuring クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島08

 2019.1.29(B1事務局 下津)

ゲストに首都大学東京都市環境学部都市政策科学科で教授を務める饗庭伸さんをお招きし、都市計画の視点から見た中之島のフィールドリサーチについてお話をしました。中之島でおこなったフィールドリサーチについて語っていただくとともに、参加者の皆さんと都市計画を主体となって考える場となりました。

1/29 中之島リサーチプログラム:饗庭伸「都市計画の視点で巡る中之島フィールドリサーチ」

ラボカフェスペシャル featuring クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島 08
中之島リサーチプログラム
饗庭伸「都市計画の視点で巡る中之島フィールドリサーチ」
1月29日[火] 19:00ー21:00

饗庭さんは人口減少時代における都市空間の変化や都市計画のあり方について論じた『都市をたたむ:人口減少時代をデザインする都市計画』を2015年に上梓し、都市の計画とデザイン、そのための市民の参加手法や市民自治の制度など、幅広く実践的なまちづくりの研究をされています。

本イベントでもワークショップ形式でゲームを行い、参加者の皆さんに都市計画に'参加'していただきました。

1/29 中之島リサーチプログラム:饗庭伸「都市計画の視点で巡る中之島フィールドリサーチ」

参加者は8名ほどのチームになり、中之島を舞台にそれぞれチームごとで与えられた条件や制約のもとでどれくらい都市計画を展開させることができるかを話し合いながら進めていきます。「ライオン」「桂枝雀師匠」「マウンテンバイクに乗った若者」など一風変わった様々な立場の役割を振り分けられ、その役になりきってそれぞれの立場から意見を出し合い都市計画を進めていこう、というゲームです。

饗庭さんは、一つの目標に対する様々な実現手段の組み合わせをつくることが'プランニング'なのだと言います。このゲームではあらゆる立場の人々が、どのようなまちをつくりたいか、どのようなまちになってほしいかを意見を出し合うことで最大公約数となる目標を設定し、そこへ向かうための手段を皆さんと考えることを目的としました。

1/29 中之島リサーチプログラム:饗庭伸「都市計画の視点で巡る中之島フィールドリサーチ」

実際の都市計画においてもあらゆる制約や条件の下でできる限り様々な人の意見を取り入れていくことは必要不可欠です。しかし時として、適度な制限はかえって発想を意外な方向へ広げるきっかけになりうるそうです。このワークショップではそうした都市計画の難しさと意外な転換の楽しさの両方の側面を体験してもらえたのではないでしょうか。

イベント終了後、参加者から「意外な自由度からどんどん展開していきながら計画が進んでいくのが大変面白かった」「適度に制限を設けることで発想が広がることを、体験を通じて実験できたことが収穫だった」などの声があり、都市計画や建築に関わりのない方々からも新たな方向からまちづくりに関心を抱いていただくことができました。

クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島 シンボルイベント「クリエイティブ・アイランド -創造的な都市の本質とは何か−」

 2018.12.16(B1事務局 下津)

この日は「創造的な都市と芸術の関係」をテーマに「クリエイティブ・アイランド -創造的な都市の本質とは何か−」と題し、芸術・都市建設・学術、多方面からゲストをお招きしてシンポジウムを開催しました。

2018.12.16 クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島 シンボルイベント「クリエイティブ・アイランド─創造的都市の本質とは何か─」

早くから沢山の申し込みをいただき、寒さの厳しいなか開始時間よりずっと早くにいらっしゃるお客様も見られました。多くのみなさまにご来場賜り会場内は満員でした。ありがとうございます!

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■第1部
基調講演「水辺の都市における創造的都市論」
ゲスト:ドリュン・チョン(M+ 副館長兼チーフ・キュレーター(香港))

■第2部
ディスカッション「中之島の共創のビジョン─クリエイティブ・アイランドに向けて」
登壇者:植木啓子(大阪新美術館建設準備室 研究副主幹)
    大谷燠(NPO 法人 DANCE BOX 理事長/神戸アートビレッジセンター館長)
    加藤好文(京阪ホールディングス株式会社代表取締役社長/CEO 兼COO/執行役員社長)
    ドリュン・チョン
    西尾章治郎(大阪大学総長)
    西野達(アーティスト)

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2018.12.16 第一部:ドリュン・チョン(M+ 副館長兼チーフ・キュレーター(香港))

2018.12.16 第一部:ドリュン・チョン(M+ 副館長兼チーフ・キュレーター(香港))

 

まず第1部に、2020年に香港の西九文化区にて開館を控えている世界最大規模の現代美術館M+の副館長兼チーフ・キュレーター、ドリュン・チョン氏に「水辺の都市における創造的都市論」を講演していただきました。M+とは何か、何が今までの美術館と違うのか、今後の可能性について同時通訳でお話しされ、来場者の中には熱心に頷いてはノートをとる姿も見られました。

 

2018.12.16 クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島 シンボルイベント「クリエイティブ・アイランド─創造的都市の本質とは何か─」

第2部では香港と大阪・中之島の「水辺の都市」という共通点も踏まえながら、中之島で創造的な地域を形成する可能性について、ディスカッションを行いました。中之島で先鋭的な文化事業を行ってきた大学、企業、NPOの代表者、中之島に誕生する新たな美術館のキュレーター、世界各地で都市を舞台にアートプロジェクトを行ってきた美術家、文化政策研究者など、異なる立場からご意見をいただきました。

香港と中之島には、それぞれ「文化拠点が集まる水辺の都市である」という共通点があります。文化の拠点地としてまだまだ多くの可能性を残す両者ですが、これからどのような発展をしていくのか、都市の中の芸術とは何か、といった問いを多方面の分野から考えることのできる大変貴重な講演となりました。

「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

 2018.12.7(B1事務局 下津)

橋爪節也先生によるレクチャーガイドツアーの後で、中央公会堂の3階中集会室にて上映会&トークイベント「森村泰昌の『映像−都市』論 -上映とトークによって、大阪を読み解く−」が開催されました。

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

今回ありがたいことに急遽増席するほど多くのお申し込みをいただきました。
森村さんは大阪で生まれ育ったアーティストです。中央公会堂を舞台にした2007年の作品《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え)》など、自身の写真や映像作品の多くは大阪で撮影されています。本上映会では「森村泰昌作品と大阪の年」をテーマに、時空を超えて大阪の風景と歴史上の人物を映像化した作品群とともに、森村泰昌流の都市論を読み解きます。

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

■上映作品

《喜怒哀楽をふところに》
1998/10分/ビデオ[撮影場所:旧国立国際美術館(万博記念公園)、大阪市中央公会堂 他]

《烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)》
2006/8分/ビデオ [撮影場所:旧陸軍第四師団司令部庁舎]

《なにものかへのレクイエム(人間は悲しいくらいにむなしい 1920.5.5-2007.3.2)》
2007|8分|ビデオ(HD)[ 撮影場所:釡ヶ崎支援機構とその周辺]

《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え)》
2007|10分|ビデオ[ 撮影場所:大阪市中央公会堂 他]

 

上映会後のトークでは、日頃から森村さんと親交のあるアーティスト集団 Chim↑Pomの卯城竜太さん、大阪の近現代の建築に精通する建築家の髙岡伸一さんを加え、それぞれ異なるアプローチから都市と映像の諸相を読み解きました。卯城さんもまた、Chim↑Pomで震災を記録した映像作品を発表するなど、森村さんとは異なる視点から都市と映像を取り上げるアーティストです。それぞれアーティスト、建築家といった異なる視点から、多角的に都市の可能性を議論する、大変充実したトークセッションとなりました。

 

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

「アートでひもとく中央公会堂の100年」 企画展ツアー

 2018.12.7(B1事務局 下津)

この日は大阪大学で教授を務める橋爪節也先生のレクチャーのもと、今年開館100周年を迎える大阪市中央公会堂記念展示「アートでひもとく中央公会堂の100年」ガイドツアーを行いました。

2018.12.7 「アートでひもとく中央公会堂の100年」 企画展ツアー

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クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島
サイトツアー/トーク05 「アートでひもとく中央公会堂の100年」企画展ツアー
日時:12月7日(金)17:30−18:00
会場:大阪市中央公会堂 展示室
ツアーナビゲーター:橋爪節也(大阪大学総合学術博物館 教授、大学院文学研究科兼任)

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かなり寒さの厳しくなってきた今日この頃ですが、ありがたいことに今回のツアーでは早々に定員に達するほど多くの申し込みをいただきました。
展覧会では創建当時の中央公会堂から始まり、その後現代に至るまでの大阪と中央公会堂の発展について順を追って展示しました。

また、この日は同じく中央公会堂にて19時から現代アーティストの森村泰昌氏のトークイベント&上映会が行われていたこともあり、普段は一般公開されていない3階の特別室が開放されていました。

2018.12.7 「アートでひもとく中央公会堂の100年」 企画展ツアー

特別室は創建当時、貴賓室として使用されていたお部屋で、天井や壁面には日本神話の一場面が描かれています。荘厳さと優美さを感じさせる大きな窓には慶祝の象徴である鳳凰と大阪市の市章である「みおつくし」があしらわれたステンドグラスが嵌め込まれています。和と洋が美しく融合した光景に、天井を仰ぎ見た参加者からは感嘆の声があがっていました。

適塾 × 大阪市立科学館 × 大阪府立中之島図書館「大阪の学問・科学史をたどる」

 2018.11.18(B1事務局 下津)

11月18日は、大阪市立科学館嘉数次人さんをナビゲーターとしてお迎えし、適塾大阪府立中之島図書館などをめぐるツアーを行いました。無事お天気に恵まれ、まだまだ気温も暖かい絶好のお散歩日和のこの日、たくさんの人々がツアーに参加してくださいました!

2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人

クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島
サイトツアー02 適塾 × 大阪市立科学館 × 大阪府立中之島図書館
「大阪の学問・科学史をたどる」
日時:11月18日(日)13:00─16:00
集合場所:大阪市立科学館 南側の屋外テント
ナビゲーター:嘉数次人(大阪市立科学館 学芸員課長)

2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人

まずは中之島の大阪市立科学館前からスタートし、適塾の創始者・緒方洪庵の師である中天游(なか てんゆう)の邸跡、豊前国中津藩蔵屋敷之跡、懐徳堂旧阯婢などを巡り、江戸期から現代に至るまでの大阪の学問史・科学史を辿ります。

堂島〜中之島近辺は今や大きなビル群の立ち並ぶ立派な都市です。その中にぽつんと残された石碑は知らないとうっかり見落としてしまいそうですね。

2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人

中之島周辺は思々斎塾、適塾、大阪大学など学術の拠点が数多くあり、今なおその跡地が残っています。江戸期から現代に至るまで、日本の近代化に大きく貢献した多様な人材を輩出した大阪・中之島。その奇跡をめぐる非常に有意義なツアーでした。

「事務局のクリエイティビティ【全国版】」

1月13日(土)の「事務局のクリエイティビティ【全国版】」は、おかげさまで盛況のうちに終了いたしました。
極寒の中ご来場頂いたみなさま、そして登壇者のみなさま、本当にありがとうございました。

5時間を超える長丁場でしたが、最後までほぼ満席状態の熱気あるトークセッションとなりました。
第一部では、事務局の機能とその意義について、メセナ事業、国際展や芸術祭などの公共事業、そしてNPOや社会運動といった観点から、歴史的な流れもふまえ縦横無尽に語られました。
第二部ではその次の世代が現在携わっているアートの現場、事務局のあり方(事務局の有無も含め)について、お金、行政との関わり、仕事のポリシーなどを正直にリアルに語ってくれました。
第三部ではゲスト全員が登壇し、来場者からの質問カードをもとに、社会の中のアートの立ち位置や価値、労働の話、未来の展望などについても率直な意見交換がなされました。

来場者の方々の質問やアンケートでのコメントからも、アートの現場に限らず「事務局のクリエイティビティ」というテーマに対する関心の高さが伺えました。
今後のさらなる議論、検証につなげるべく、今回のトークセッションの記録まとめ作業に入ります。

詳細レポートも後日アップを予定しています!

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第一部「アートマネジメントの開拓者たちから見た事務局の重要性」
ゲスト:荻原康子/帆足亜紀/樋口貞幸

事務局のクリエイティビティ【全国版】

事務局のクリエイティビティ【全国版】

第二部「多様化するプロジェクトや芸術祭と事務局の役割」
ゲスト:小川希/細川麻沙美/吉田有里

事務局のクリエイティビティ【全国版】

事務局のクリエイティビティ【全国版】

第三部「事務局のクリエイティビティとは何か」
ゲスト:荻原康子/帆足亜紀/樋口貞幸/小川希/細川麻沙美/吉田有里

事務局のクリエイティビティ【全国版】

「遊び」から見る人間の本質(西村清和さんをお迎えして)

 2017.6.21(B1事務局 大槻、鄭/サポートスタッフ 石原)

6月16日(金)、サーチプロジェクトvol.6の関連企画として、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『遊び』から見る人間の本質」を開催しました。

ゲストには、西村清和さん(美学者/國學院大學文学部哲学科 教授、東京大学名誉教授)をお迎えし、「遊び」とは何なのか、その感覚の中身や構造がどうなっているのかについてお話をうかがいました。6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜「遊び」〜

まず、西村さんが話してくださったのは、ホイジンガやカイヨワをはじめとする、これまでの遊び論の議論で展開されてきた、遊びに関する二つの側面の紹介と、それらについての見解です。 一つは「非現実の虚構」、もう一つが「現実の模型」です。

たとえば、鬼ごっこやままごとのとき、わたしたちは現実とは異なる非現実の役割を演じ、虚構の世界を作り出しています。これは、非日常を出現させており、一つ目の側面に該当します。しかしその一方で、遊びはなんらかのルールを持ち、私たちはそれに従って他者と関係を構築します。この点で実社会の模型であり、「遊び」は実人生への予行演習だというものです。

この遊び論について、西村さんは批判的な見解を示されました。遊びは「遊んでいるという現実」であるし、遊びは教育学者がよく言うように現実の人生の「模型」による学習のためにあるのではない。また、株の取引が賭の遊びに見えたり、戦争がシューティングゲームに見えたりしても、それらはまったく異なったものだ。というのが西村さんの主張です。

哲学的な観点からみると、遊びと切り離して考えている社会的事象が「遊び」としての要素を持ちうる可能性があるのが興味深かったです。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜遊び感覚―浮遊と同調―〜
つぎにお話ししてくださったのは、「遊ぶ」という感覚の中身についてです。

西村さんは、突き詰めていくと「浮遊」と「同調」に行き着くといいます。
「浮遊」は、言い換えると、「かろやかで、あてどなく揺れ動く運動。それ自身の内部で、ゆきつもどりつする運動」といえます。 例えば、揺れ動きゆきつもどりつする典型的な仕掛け"シーソー"では、二人が異なった動きをしているように見えますが、二人は自分勝手な動きをしているのではなく、二人がひとつの動きに同調し、笑い合いながら浮遊する1つの感覚を共有しています。

この行動の関係は、まなざしのキャッチボール(まなざしの同調)であり、人々が"遊び"感覚があると言ってるのは、この浮遊と同調が起きている時といえるのでは、というのが西村さんの見解です。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  浮遊と同調

 重要なのは、この「浮遊」は必ずしも心地よいものばかりではないということです。ひとはジェットコースターのような危険が伴う状況にもお金を払って興じます。これはどういうことなのでしょうか?

これは不快の快と呼ばれ、古代ギリシアの時代から議論されてきたことですが、西村さんは、そもそもこれを「恐怖」と呼ぶこと自体が誤りであるとしています。なぜなら、ジェットコースターに乗っても、原則として死ぬことはないため、本当の意味で恐怖とは言えないからです。 むしろこれは恐怖を楽しんでいるわけではなく、「どうなるかわからないハラハラドキドキする状況」=「宙づり」を楽しんでいるにすぎないと考えると、筋が通ります。

このことから、「遊び」のなかには、「どうなるかわからない状況やスリルを楽しむ」感覚が本質的に内在していると西村さんは言います。

小さいころ、高いところにぶら下がったり飛び降りたりとわざと危険な遊びをした経験を思い出して、納得してしまいました。

  

〜遊びの基本骨格〜
トークの半ばになると、「遊び」と「仕事」の話になりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん 

西村さんはこの二つは「遊び」と「企て」という、対立する二つの概念で説明できるといいます。

「遊び」は先の通り、「あてどない」、「浮遊」と「同調」「宙づり」の行動です。
「企て」とは「投企=目標や計画を立てて、それを達成する行動」だそうです。

まさにわれわれが仕事と呼んでいるものと言えます。「遊び」では自分と他人がおなじ動きに同調しますが、「企て」においては、むしろ各々の利害やまなざしは対立します。 

 おなじ「ふりをする」でも、こどものおままごとと、プロの俳優の演技が大きく異なるのがその例です。

一方は誰かに見せるという目的は持たずただ互いに同調し、その場でストーリーをつくり、父や母といった役割を模倣します。他方、俳優たちはひとつの作品を作り上げることを目標に技術を磨きスケジュールを組んで稽古をします。

西村さん曰く「よくアーティストは遊びの延長線上で仕事をしていると言うが、明確に作品をつくるという目標があることから、遊びというよりは企てという方が妥当である」そうです。なんだか意外ですよね。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  遊びの基本構造

〜自由がないから「遊び」は楽しい〜
後半の司会を交えたトークセッションでは、スマホが普及し、いつでも連絡ができてしまうため、遊びと仕事を時間によって分けることができない状況について意見が交わされました。

 西村さんはこの状況のしんどさは、「自由のない遊び」が確保できないことに由来すると言います。普通に考えれば、遊びは自由で、仕事は自由がないように思えますが、そうではないそうです。

遊びにはごっこ遊びにしろボードゲームにしろ必ずルールがあり、プレーヤーはそれに従わねばなりません。しかし、それは裏を返せば「鬼から逃げろ」、「キングを取って勝て」という行動の動機を与えてもらえるということでもあります。
すべて自分で選択・決定せねばならない普段の生活は自由であり、自由であるがゆえに辛さが生じます。
遊びが楽しいのは、そういった自由がないから、という発想には目からうろこで、会場でもうなずくお客さんが見られました。

 

〜最後に〜

最後に西村さんは、「我々の人生には食べたり飲んだり仕事をしたりすることと並んで、絵を見たり音楽を聞いたり演劇を見たり、と遊ぶことが不可欠」「それが欠けるということは、自分の人生が壊れるということを意味し、遊べないことは、人生の病理として不幸である」とまとめられました。

今回のトークでは、わたしたちは知らず知らずのうちにいろいろな行動様式を取っており、それは生きることに直結するふるまいであることをわずかではありますが理解できた気がします。様々な示唆を得られた二時間でした。

講演後の質疑でも、「夜中でも仕事の内容がきて企てと遊びの境がなくなっている。そんな状況を遊びにかえるのはどうしたらよいか」との質問への、「スマートフォンは持たないこと。」というストレートなコメントに会場が沸く等、終始和やかな雰囲気で終演したトークライブとなりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

 

視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密(藤田一郎さんをお迎えして)

 2017.6.21(B1事務局 三ヶ尻、鄭/サポートスタッフ 小河)

6月15日(木)、サーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"〜 わたしのかなたへ〜」の関連企画、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」が開催されました。


脳科学者であり、大阪大学大学院生命機能研究科の教授でもある藤田一郎さんをゲストにお招きし、視覚がもたらす様々な不思議や、脳が心を生み出すこととは何かについて等をお聞きしました。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ー脳が世界を見るー

私たちは「目に映っている」=「見ている」と考えてしまいますが、藤田さんは「世界がそのまま見えているわけではない」といいます。

私たちの脳は、まず網膜で光の情報を受け取りますが、それをそのまま世界として認識するわけではありません。形や色、動き、奥行きなどを分析し、「解釈」することによって世界をもう一度「つくりなおしている」のだそうです。つまり、私たちの見ている世界は、脳が認識し解釈した沢山の情報から選ばれた「正しいと思われる世界」なのです。

「見えるものには圧倒的な説得力があるが、私たちが見る世界は脳が作りだしたもの」と、藤田さんが話されていたことがとても印象的でした。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ー問題を解決しようとする脳ー

脳や視覚の働きには、工学的にも模倣できない多くの機能や仕組みがありますが、網膜が脳に与える情報は曖昧な部分も多いために生じる事象もあります。それが一般的に錯視(視覚に関する錯覚)と呼ばれる現象です。

私たちが網膜で受け取る像は、実は立体的な三次元の像ではなく、奥行きのない二次元の像です。そのため、脳は情報を分析して三次元構造を推定し、復元する必要があります。錯視はその復元の能力によって引き起こされます。

例えば、平面の黒い模様が横に動いているだけであるにも拘らず、脳が奥行きを作り出し、あたかも軸を中心に回転しているかのように感じてしまうシルエット錯視。

あるいは、同じ画像を見ているにも関わらず、人によって布地の色が青と黒に見える人と、黄と白に見える人が出てきてしまうドレス錯視。

おなじグレーに塗られているのに、位置によって、一方は白、他方は黒に見えてしまうチェッカーシャドー錯視など、その種類は枚挙に暇がありません。

なぜこういうことが起きるかというと、人には環境に惑わされずに本来の色を見ようとする習性があるからです。光の色を脳内で補正して見ているために、人によって補正の仕方も変わり、それぞれに違う色で認識してしまうのです。同じグレーなのに、白や黒に見えるのも、そうした習性によるものといえます。

脳はこのように、解釈が複数あり、答えを一つに絞ることのできない「不良設定問題」を常に解決している組織なのです。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん


ー生きていく上で重要な感覚と脳ー

いつでも問題を解決しようとしている脳ですが、手を抜くこともあります。たとえば、数秒前のことであっても、覚えていなかったりするのが、その証拠です。これは、脳がさほど重要ではないと判断したことには、リソースを配分しないようにできているためです。では、どういうことに大きくリソースを割いているかというと視覚です。実に脳の3分の1が使われているというから驚きです。脳をどの感覚にどれだけ使うかは、生物によって異なっており、ネズミの場合は髭の触覚に、カモノハシならクチバシの触覚、アライグマは手の触覚に、多くを使うようです。

視覚ということで、展覧会場に設置しているVR機器についても話が広がりました。VR機器を体験した人は、現実空間ではなく、VR空間の中にいるかのような気分になることがあります。これは、現実にあるものを見たときに起こる脳への刺激と、仮想空間にあるものを見た時に起こる脳への刺激が、視覚情報としては差異が無いため、神経細胞が両者を区別することができずに起こります。言い換えれば、私たちが当たり前にあると思っている世界も元をたどれば、視覚の刺激と言うことが出来てしまうのです。そう思うと、世界の輪郭があやふやになるような感じがしました。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ーおわりにー

最近の研究では、夢で見ている像を読み取る試みや、逆に脳のなかへ映像を作り出すような試みが始まろうとしているそうです。この先研究がどうなるのかは未知数ですが、統合失調症などに全く新しいアプローチの療法ができる可能性があるそうです。しかし一方で、一度被験するとその影響が一年ほど残ってしまうため、慎重にならねばならない取り組みであることは確かです。私自身は使い方次第では、良い方向にも、悪い方向にも転びそうだと感じました。

とは言え、これほどの科学が発達した現代においても、様々な感情を生み出す仕組みを説明できていません。頭部に収まっている、僅か1,300gの組織が心を作り出し、文化や科学をつくりだしていると考えると、不思議なかんじがします。
人の脳という組織は本当におもしろい「授かりもの」なんだなと感じた二時間でした。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

"わたし"という彼方を巡る思考の旅(島薗進さんをお迎えして)

 2017.6.11(B1事務局 菊池/サポートスタッフ 林)

6月1日(木)のラボカフェスペシャルは、「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」と題して、宗教学者であり、上智大学 グリーフケア研究所長の同大学院実践宗教学研究科教授、東京大学名誉教授でもあられる島薗進さんをお迎えしてのトークイベントが開催されました。

6月1日(木)「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」ゲスト:島薗進さん

島薗さんが教鞭を執っておられる上智大学はカトリック系の神学部がある日本でも唯一の大学であり、関西の同志社大学や関西学院大学のプロテスタント系とは異なっていますが、島薗さんは俯瞰的な視点から宗教に接しておられます。
また、島薗さんが所長を務められているグリーフケア研究所は、過日発生したJR福知山線脱線事故を踏まえJR西日本から寄付を受けて設立されました。
この研究所では、自然災害ではなく人災による取り返しのつかない大きな事件や事故で身近な人との死別を経験し悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるよう支援する人を養成しています。

島薗さんは当初医学を目指したものの、途中から宗教学へと変わっていった、という経緯をお話くださいました。ところが最近は、再び医学の領域に帰ってきたようなところがあるそうです。
というのも、医学者や医療関係者の間でも宗教の必要性が再認識される時代になってきているということがあります。80年代頃に「脳死って人の死なの?」という議題がありましたが、死に向き合った人は医学でも心理学でも治せないものがあり、スピリチュアル的なもの、いわゆる宗教に通じる様な要素が必要なのではないか。「我々は宗教後の時代に生きているが、宗教なしでやっていけるのかな」と、島薗さんは仰られます。

医学・医療と、いのちについて。
万能細胞と呼ばれるiPS細胞とゲノム編集の親和性の良さなどにも触れながら、この2、3年で急速に伸びてきたゲノム編集について解説して頂きました。
従来の、人間の命は神から授かるものという考え方に対し、人間が命を作ることが出来る様になったのです。それは言い替えれば、「神を演じることが出来る様になってしまった」ということになり、例えば将来人間は500歳まで生きられる様になるかもしれない。このことは人類にとって大変な福音ですが、使い様によっては人類の破滅とまでは言えないものの、行き先を見失ってしまう可能性があるのではないでしょうか。
現在研究が進んでいる iPS細胞は人間の体の様々細胞に分化していくことが可能な幹細胞なので、ヒトの細胞や組織、臓器などを作り出すことが出来ます。
IPS細胞を用いて、豚の体の中に人間の臓器を作るという様な研究も可能になります。これはキメラと呼ばれ、この研究をどこまで進めるのかが大問題となっています。
脳が動物でも、体の各部分が人間という様な生き物を人間の様に扱うのか、それとも動物の様に扱うのか。それはどこで人間と動物を判断するか、ひいては何を以って「人間」なのかという問題に繋がっていきます。

そして話題は生命倫理へ。
安楽死や自殺など死に関わる問題がある一方、「命の始まり」に関しても様々な問題が出てきています。
例えば生まれてくる子供の障害の有無を母親の血液を調べることでわかる出生前診断など、科学技術が進んでくると、命の始まりの時点で命を選んだり、作り変えたりすることが可能になるのです。
始まりの段階の生命への介入ということに関しては、「命の破壊」やデザイナーズベイビーなどの「命の拡充」(より良く操作して得られるもの)が何を起こし得るのかという問題もあります。そしてそれは、「命は授かりもの」という考え方との間に大きなズレを生じさせています。

6月1日(木)「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」ゲスト:島薗進さん

科学技術を用いて"いのち"に介入し操作することは、本当に望ましいことなのでしょうか。
島薗さんはトーク中、フランスのジャン=ピエール・デュピュイの現代科学論をご紹介くださりました。

「今の科学はだんだん人間のコントロールを超えてきた。カタストロフィーということを言っています。こういう技術を開発したら将来どういうことが起こるかと予測するよりも今使えるからやっちゃう。その結果何が起こるかわからない。そうなるといつか、科学というのは分からないことを調べているわけですから、分からないことを起こしてしまうわけです。そうすると気がついた時にはとんでもないことが起こっている。」

環境問題であれば後々の影響を鑑みる事が当然となっていますが、医療・治療で役に立つとなると、後々の社会に与える影響を考えづらい。こういった現代科学の進歩による、聖なるもの(生命)への介入を止められるのは、宗教だけかもしれないという島薗さんの考察について、 ご紹介下さりました。
科学技術を用いて社会や私たちの生活をより良くすることは一概に悪いことか、どうなのでしょうか。そういったことを話し合っていく上で、連綿と続いている様々な宗教で培われてきた考え方、倫理観には参考となることが数多くあります。

現在の日本では宗教を拠り所にしない人が増えています。島薗さんは、お墓参りの慣習や「いただきます」の挨拶など、風習として伝えられてきた振る舞いに潜む知恵や価値観が失われることを危惧されています。それらには、単に宗教ということで収まらないこれまでの歴史で培われてきた沢山の民族性や人間性、倫理観が含まれているからです。

しかし加えて、宗教は大事だが、宗教ひとつだけに「嵌まる」、どちらかに偏りすぎることは危険であり、重要なのは"バランス"であるとも強調されました。

会場にお越しいただいた皆さんとの質疑応答でも、それぞれの関心や具体的な実体験に基づいて、様々なやりとりがありました。
参加者それぞれが、科学技術と宗教のあいだで自分自身の"いのち"にまつわる価値観をたどりながら、日常の暮らしや身近な"いのち"のあり方について、そして、これからの人類の未来について真剣に考えることができ、大変貴重で有意義な時間となりました。

「膜であるヒトの内と外」(永田和宏さんをお招きして)

 2017.6.6(B1事務局 サポートスタッフ 川原)

5月24日(水)、現在絶賛開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"~わたしのかなたへ~」の関連企画として、「膜であるヒトの内と外」というトークプログラムを開催しました。

ゲストには細胞生物学者で歌人の永田和宏さんをお迎えしました。細胞膜の研究、そして歌人として著名な永田さん。今回のプログラムでは、まるでひとつの社会を形成しているような細胞の世界を通じて、"わたしたち"の内にある未知なる世界を見つめ、そしてそこから人間社会を見つめ直すようなトークになりました。

会場は超満員!皆さんの期待が伝わってくるなか、始まりました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)
永田さんのお話しは、大学教育論から、細胞のミクロ度合をどう印象付けるか、学問とはなにかといったところから始まり、細胞の専門的な話から細胞膜の働き、細胞で起こっている現象へと進みます。

やがて話は細胞から飛び出して、社会の中の自己と他者とは、グローバリズムと多様性とは、など、話がどんどん展開し、そしてあっという間に終演を迎えました。

今回お話し頂いたどの話題も面白く、頭を刺激するものでした。その中からいくつかご紹介します。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

①大学における教育

「大学における教育は、小中高とは別のものである。極論をいれば、教科書はいらない。研究者は、教科書に載っていないことを、何がわかっていないのかを教えるべきである。答えが必ずあるのではないこと、答えが一つではないことを、社会に出ていく準備として教えることが大切である。」
このお話を聞いて、かつて、大学で講義を受けていた課程では、ひたすら図書館で調べれば、解がありレポートが書けましたが、研究室に入ると全く違い、思った以上にわかっていないことが多くて、わかっていることも結果と考察と検証の上に成り立った、小さな断片をつなげていったものだと感じたことを思い出しました。

 

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

②本当のことを知りたいということが基礎科学の動機である。

「最近、ヒトの細胞数が60兆個から37兆個に訂正されたことは、大きく何かの役に立つ訳ではないが、その事実をうれ

しい、面白いと思う人はいる。知識を学問(学ぶ意欲)につなげるには、感動が必要である。例えば、細胞の数、DNAの長さを地球と比較するなど工夫する。ヒトのすべての細胞を一列に並べると60万キロメートル、一方地球は一周4万キロメートル。」
TEDのプレゼンテーションでヒトの全ゲノム配列のすべて印刷した書物のようなものが登場したことがありました。「A、T、G、C」の文字が並んでいるだけの印刷物です。しかし、初めて全ゲノムの配列のことを知った人には、あまりに膨大なボリュームに驚く人もいるはずです。アートも、役に立つかどうかを目に見える数値としては、測りにくいものです。この点で、基礎科学とアートは共通するところがあります。違うところは、科学が提示するものは、提示した時点においては、普遍性を持った事実であることが求められることに対して、アートの事実は、場所、時間、他者から自由である点だと思います。それゆえに、物事を大胆に変換し、拡張し、五感に働きかけることができます。そして、面白いことに、自然科学は、アートに多くのインスピレーションを与えることがあります。今回の展覧会は、まさにその場になっていますので、ぜひ、体感してみてください。


③細胞の膜の内と外

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)「細胞生物学の視点では、生命の最小単位は細胞。生命は膜による区画から始まり、生きているということは外界から内部を区画していること。細胞が自分の内部とすると、腸内は外部ともいえる。細胞膜は10ナノメートル(細胞を1メートルとすると0.5ミリメートル)と非常に薄い。薄く、脂質2重膜から成り立つため、物質を移動させるゲートが適切に生まれては消える。恒常性の維持のため、膜は激しい変化を繰り返している。」

久しぶりに、専門的な話を楽しく聞いていて、ふと、これはわたし自身に初歩の知識があるから、すっと入ってきているのだと気づきました。知識を持っていると、理解し、考える余裕が生まれ、その次のことに興味も湧くのだと思います。そういった意味では、高校までのある程度の詰め込み学習も意味があると思えました。
同一の状態を保つことは、変わり続けることであるという。一見禅問答のようですが、原子の世界も交換や揺らぎが日常であって、視点がかわると、"わたし"というのはかなりマクロなのだと、相対は面白いと感じました。

トークの終盤からは、細胞膜がたゆみないせめぎあいの中で折あいをつけている姿に、社会における自己と他者、グローバリズム、国境の在り方、国の在り方をなぞらえて見つめるお話もありました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)ヒトは細胞でできていて、社会は人でできていて、国家は社会からできていて、地球は国家からできていると考えられるとすると、細胞の営みと、国家と地球の在り方が似通うほうが自然なのか?、正しいのか?、そうなると、人間の思考とはなんなのか?、人間の思考はどう生まれるのか?、思考は、単なる物質の移動に以上のものがあるはずか?など、ふわっと別のところに心が連れていかれるような、不思議を感じた時間でした。

会場からの質疑では、学生の自信喪失論やミトコンドリアの話、集団となる時の細胞の話、研究者の悩みなど、様々な質問が飛び出し、本当に、熱く語り明かしたいトピックスが満載のラボカフェでした。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

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