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クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島 シンボルイベント「クリエイティブ・アイランド -創造的な都市の本質とは何か−」

 2018.12.16(B1事務局 下津)

この日は「創造的な都市と芸術の関係」をテーマに「クリエイティブ・アイランド -創造的な都市の本質とは何か−」と題し、芸術・都市建設・学術、多方面からゲストをお招きしてシンポジウムを開催しました。

2018.12.16 クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島 シンボルイベント「クリエイティブ・アイランド─創造的都市の本質とは何か─」

早くから沢山の申し込みをいただき、寒さの厳しいなか開始時間よりずっと早くにいらっしゃるお客様も見られました。多くのみなさまにご来場賜り会場内は満員でした。ありがとうございます!

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■第1部
基調講演「水辺の都市における創造的都市論」
ゲスト:ドリュン・チョン(M+ 副館長兼チーフ・キュレーター(香港))

■第2部
ディスカッション「中之島の共創のビジョン─クリエイティブ・アイランドに向けて」
登壇者:植木啓子(大阪新美術館建設準備室 研究副主幹)
    大谷燠(NPO 法人 DANCE BOX 理事長/神戸アートビレッジセンター館長)
    加藤好文(京阪ホールディングス株式会社代表取締役社長/CEO 兼COO/執行役員社長)
    ドリュン・チョン
    西尾章治郎(大阪大学総長)
    西野達(アーティスト)

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2018.12.16 第一部:ドリュン・チョン(M+ 副館長兼チーフ・キュレーター(香港))

2018.12.16 第一部:ドリュン・チョン(M+ 副館長兼チーフ・キュレーター(香港))

 

まず第1部に、2020年に香港の西九文化区にて開館を控えている世界最大規模の現代美術館M+の副館長兼チーフ・キュレーター、ドリュン・チョン氏に「水辺の都市における創造的都市論」を講演していただきました。M+とは何か、何が今までの美術館と違うのか、今後の可能性について同時通訳でお話しされ、来場者の中には熱心に頷いてはノートをとる姿も見られました。

 

2018.12.16 クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島 シンボルイベント「クリエイティブ・アイランド─創造的都市の本質とは何か─」

第2部では香港と大阪・中之島の「水辺の都市」という共通点も踏まえながら、中之島で創造的な地域を形成する可能性について、ディスカッションを行いました。中之島で先鋭的な文化事業を行ってきた大学、企業、NPOの代表者、中之島に誕生する新たな美術館のキュレーター、世界各地で都市を舞台にアートプロジェクトを行ってきた美術家、文化政策研究者など、異なる立場からご意見をいただきました。

香港と中之島には、それぞれ「文化拠点が集まる水辺の都市である」という共通点があります。文化の拠点地としてまだまだ多くの可能性を残す両者ですが、これからどのような発展をしていくのか、都市の中の芸術とは何か、といった問いを多方面の分野から考えることのできる大変貴重な講演となりました。

「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

 2018.12.7(B1事務局 下津)

橋爪節也先生によるレクチャーガイドツアーの後で、中央公会堂の3階中集会室にて上映会&トークイベント「森村泰昌の『映像−都市』論 -上映とトークによって、大阪を読み解く−」が開催されました。

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

今回ありがたいことに急遽増席するほど多くのお申し込みをいただきました。
森村さんは大阪で生まれ育ったアーティストです。中央公会堂を舞台にした2007年の作品《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え)》など、自身の写真や映像作品の多くは大阪で撮影されています。本上映会では「森村泰昌作品と大阪の年」をテーマに、時空を超えて大阪の風景と歴史上の人物を映像化した作品群とともに、森村泰昌流の都市論を読み解きます。

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

■上映作品

《喜怒哀楽をふところに》
1998/10分/ビデオ[撮影場所:旧国立国際美術館(万博記念公園)、大阪市中央公会堂 他]

《烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)》
2006/8分/ビデオ [撮影場所:旧陸軍第四師団司令部庁舎]

《なにものかへのレクイエム(人間は悲しいくらいにむなしい 1920.5.5-2007.3.2)》
2007|8分|ビデオ(HD)[ 撮影場所:釡ヶ崎支援機構とその周辺]

《なにものかへのレクイエム(独裁者を笑え)》
2007|10分|ビデオ[ 撮影場所:大阪市中央公会堂 他]

 

上映会後のトークでは、日頃から森村さんと親交のあるアーティスト集団 Chim↑Pomの卯城竜太さん、大阪の近現代の建築に精通する建築家の髙岡伸一さんを加え、それぞれ異なるアプローチから都市と映像の諸相を読み解きました。卯城さんもまた、Chim↑Pomで震災を記録した映像作品を発表するなど、森村さんとは異なる視点から都市と映像を取り上げるアーティストです。それぞれアーティスト、建築家といった異なる視点から、多角的に都市の可能性を議論する、大変充実したトークセッションとなりました。

 

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

2018.12.7「森村泰昌の『映像─都市』論 ─上映とトークによって、大阪を読み解く─」

「アートでひもとく中央公会堂の100年」 企画展ツアー

 2018.12.7(B1事務局 下津)

この日は大阪大学で教授を務める橋爪節也先生のレクチャーのもと、今年開館100周年を迎える大阪市中央公会堂記念展示「アートでひもとく中央公会堂の100年」ガイドツアーを行いました。

2018.12.7 「アートでひもとく中央公会堂の100年」 企画展ツアー

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クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島
サイトツアー/トーク05 「アートでひもとく中央公会堂の100年」企画展ツアー
日時:12月7日(金)17:30−18:00
会場:大阪市中央公会堂 展示室
ツアーナビゲーター:橋爪節也(大阪大学総合学術博物館 教授、大学院文学研究科兼任)

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かなり寒さの厳しくなってきた今日この頃ですが、ありがたいことに今回のツアーでは早々に定員に達するほど多くの申し込みをいただきました。
展覧会では創建当時の中央公会堂から始まり、その後現代に至るまでの大阪と中央公会堂の発展について順を追って展示しました。

また、この日は同じく中央公会堂にて19時から現代アーティストの森村泰昌氏のトークイベント&上映会が行われていたこともあり、普段は一般公開されていない3階の特別室が開放されていました。

2018.12.7 「アートでひもとく中央公会堂の100年」 企画展ツアー

特別室は創建当時、貴賓室として使用されていたお部屋で、天井や壁面には日本神話の一場面が描かれています。荘厳さと優美さを感じさせる大きな窓には慶祝の象徴である鳳凰と大阪市の市章である「みおつくし」があしらわれたステンドグラスが嵌め込まれています。和と洋が美しく融合した光景に、天井を仰ぎ見た参加者からは感嘆の声があがっていました。

適塾 × 大阪市立科学館 × 大阪府立中之島図書館「大阪の学問・科学史をたどる」

 2018.11.18(B1事務局 下津)

11月18日は、大阪市立科学館嘉数次人さんをナビゲーターとしてお迎えし、適塾大阪府立中之島図書館などをめぐるツアーを行いました。無事お天気に恵まれ、まだまだ気温も暖かい絶好のお散歩日和のこの日、たくさんの人々がツアーに参加してくださいました!

2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人

クリエイティブ・アイランド・ラボ 中之島
サイトツアー02 適塾 × 大阪市立科学館 × 大阪府立中之島図書館
「大阪の学問・科学史をたどる」
日時:11月18日(日)13:00─16:00
集合場所:大阪市立科学館 南側の屋外テント
ナビゲーター:嘉数次人(大阪市立科学館 学芸員課長)

2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人

まずは中之島の大阪市立科学館前からスタートし、適塾の創始者・緒方洪庵の師である中天游(なか てんゆう)の邸跡、豊前国中津藩蔵屋敷之跡、懐徳堂旧阯婢などを巡り、江戸期から現代に至るまでの大阪の学問史・科学史を辿ります。

堂島〜中之島近辺は今や大きなビル群の立ち並ぶ立派な都市です。その中にぽつんと残された石碑は知らないとうっかり見落としてしまいそうですね。

2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人2018.11.18 「大阪の学問・科学史をたどる」ナビゲーター:嘉数次人

中之島周辺は思々斎塾、適塾、大阪大学など学術の拠点が数多くあり、今なおその跡地が残っています。江戸期から現代に至るまで、日本の近代化に大きく貢献した多様な人材を輩出した大阪・中之島。その奇跡をめぐる非常に有意義なツアーでした。

「事務局のクリエイティビティ【全国版】」

1月13日(土)の「事務局のクリエイティビティ【全国版】」は、おかげさまで盛況のうちに終了いたしました。
極寒の中ご来場頂いたみなさま、そして登壇者のみなさま、本当にありがとうございました。

5時間を超える長丁場でしたが、最後までほぼ満席状態の熱気あるトークセッションとなりました。
第一部では、事務局の機能とその意義について、メセナ事業、国際展や芸術祭などの公共事業、そしてNPOや社会運動といった観点から、歴史的な流れもふまえ縦横無尽に語られました。
第二部ではその次の世代が現在携わっているアートの現場、事務局のあり方(事務局の有無も含め)について、お金、行政との関わり、仕事のポリシーなどを正直にリアルに語ってくれました。
第三部ではゲスト全員が登壇し、来場者からの質問カードをもとに、社会の中のアートの立ち位置や価値、労働の話、未来の展望などについても率直な意見交換がなされました。

来場者の方々の質問やアンケートでのコメントからも、アートの現場に限らず「事務局のクリエイティビティ」というテーマに対する関心の高さが伺えました。
今後のさらなる議論、検証につなげるべく、今回のトークセッションの記録まとめ作業に入ります。

詳細レポートも後日アップを予定しています!

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第一部「アートマネジメントの開拓者たちから見た事務局の重要性」
ゲスト:荻原康子/帆足亜紀/樋口貞幸

事務局のクリエイティビティ【全国版】

事務局のクリエイティビティ【全国版】

第二部「多様化するプロジェクトや芸術祭と事務局の役割」
ゲスト:小川希/細川麻沙美/吉田有里

事務局のクリエイティビティ【全国版】

事務局のクリエイティビティ【全国版】

第三部「事務局のクリエイティビティとは何か」
ゲスト:荻原康子/帆足亜紀/樋口貞幸/小川希/細川麻沙美/吉田有里

事務局のクリエイティビティ【全国版】

サーチプロジェクトvol.6 クロージングトーク&イベント「クロージング・スパークパーク」

2015年から3回にわたって開催してきたアート&サイエンスの企画展の最終章「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」は6月25日(日)に最終日を迎え、「クロージング・スパークパーク」と題したクロージングイベントを開催しました。 

本イベントは、大きく分けて2部構成で開催しました。
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■第1部 ギャラリーツアー&トーク
プロジェクトメンバーによるギャラリーツアー&クロージングトーク〜展覧会の振り返り〜

■第2部 ライブ&パフォーマンス
Drone Development Departmentによるドローン飛行
光と音が交差するスパークパーク・ライブパフォーマンス
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6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

■■第1部■■

第1部では、本展のプロジェクトメンバーとともに巡るギャラリーツアー&デモンストレーション、続いてトークをおこない、会期中に開催した6本のトークプログラムや約3ヶ月の展覧会の様子を振り返りました。 

 

〜ギャラリーツアー&デモンストレーション〜

ギャラリーツアーのはじめに、本展のコンセプターである大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授の吉森保さんより、改めてご自身の研究活動についてご紹介いただきました。吉森さんのご専門はオートファジーの研究です。オートファジーとは私たちの体の細胞が毎日細胞のなかでものを分解する仕組みのことです。私たちの体を構成する主要な成分であるタンパク質は、絶えず合成と分解を繰り返していますが、細胞内でタンパク質を分解するための主な機構も、オートファジーです。

タンパク質は20種類のアミノ酸の組み合わせでできています。アミノ酸が直線上に並んでいる状態がタンパク質の一次構造で、らせん状となるのが二次構造、折りたたまれると三次構造です。さらに、三次構造のタンパク質どうしが結合して意味や役割を持つようになったものを四次構造と呼びます。このように複雑な階層構造を持つタンパク質を、オートファジーは再びアミノ酸へと分解するのです。この仕組みが、本展の根底にあるコンセプトとなっています。

展覧会では、会場全体を"体内公園"に見立てました。建築ユニット dot architectsは、タンパク質が20種類のアミノ酸からできていることになぞらえて、約20種のパーツと接合方法で設計した"細胞的遊戯装置"を作りました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ギャラリーツアー

広い壁面には、やんツーさんによる体内をイメージしたバーチャル映像がパノラマで映写されました。

会場の遊戯装置と壁面の映像が連動していて、来場者の動きに反応して映像の中にも遊戯装置を3Dスキャンしたものがごろごろと増殖したり、くっつきあって固まったりします。

つまり、階層構造においては三次構造である"細胞的遊戯装置"は、会場で人が遊ぶことによって、やんツーさんの映像の中で四次構造へと至るのです。

さらに、やがて映像内の天井が降りてきて全てが一層されるのですが、これはオートファゴゾームという構造体が細胞内のものを包み込んで分解するという、オートファジーの仕組みを再現しています。

また会場には、細胞の中をイメージした映像が流れるVRメガネを付けて遊べるブランコとシーソーがあり、まるで自分がタンパク質となって体内を浮遊するような感覚を体験することもできました。

ギャラリーツアーの途中では、VR付きのシーソーや、体内公園を縦断する大きなスロープの先端に設置された空中ブランコを、来場者数名に実演体験していただきました。空中ブランコが宙に飛び出すと、会場の皆様から大きな拍手が起こる一幕もありました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ギャラリーツアー 〜トークプログラムの振り返り〜

本展は、学術的な題材と建築・メディアアートを融合して、未知で不確かである"私たち自身"について来場者に多様な角度から問いかけることを企図していました。会期中はテーマについてさらに多方面から掘り下げるために、6回のトークプログラムを開催しました。クロージングトークでは、様々な専門分野の方々と、プロジェクトメンバーがくり広げたトーク内容を振り返りました。

学術的な内容ゆえ容易には理解しにくい回もありましたが、様々な視点から私たち自身を考える大変刺激的な機会となりました。

※関連トークプログラムの内容につきましては、下記リンクよりスタッフブログをご覧ください。

5月24日(水)開催
「膜である人の内と外」
ゲスト:永田和宏さん(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

5月31日(水)開催
「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」
ゲスト:飯田和敏さん(ゲームクリエイター/立命館大学映像学部インタラクティブ映像学科 教授)

6月1日(木)開催
「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」
ゲスト:島薗進さん(宗教学者、上智大学大学院 実践宗教学研究科 教授)

6月8日(木)開催
「『超ひも理論』から捉える未知なる"私"と"彼方"」
ゲスト:橋本幸士さん(物理学者、大阪大学大学院理学研究科 教授)

6月15日(木)開催
「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」
ゲスト:藤田一郎さん(脳科学者、大阪大学大学院生命機能研究科 教授)

6月16日(金)開催
「『遊び』から見る人間の本質」
ゲスト:西村清和さん(美学者、國學院大學文学部哲学科 教授)

 

〜展覧会でのできごと〜

今回の展覧会は、体験型の展示ということもあって、老若男女問わず様々な方々にご来場いただき、会場で実施した来場者アンケートには、子どもから大人まで多様な感想が寄せられました。他方、会場で日々来場者を案内し、その安全を見守っていたのが、サポートスタッフ(ボランティア)の皆さんです。トークの後半では、来場者アンケートと、サポートスタッフの感想を元に、会場での出来事をふり返りました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

アンケートの感想では、遊戯装置について、大人の方は総じて怖いというご意見多かったようですが、一歩踏み出して楽しんでくださった方も多くいらっしゃいました。一方で、遊ぶ子ども達を見守る保護者の方々からは、危なさを感じながらも子ども達は満足そうであることを冷静に見つめていらっしゃる様子が感じられました。展覧会のテーマや内容については、細胞を公園に見立てる発想や自分たちの細胞内の営みそのものに対して、驚きの声が寄せられました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク遊戯装置で大いに楽しんでくれた子ども達からのご感想では、VR装置のことを「げんだいのメガネみたいなもの」と言い換えるなど、独創的なことばの表現がみられました。「てづくりなのでこわかった」という建築家にとって興味深い意見が紹介された際には会場に笑いが起こり、「大学生になったら大阪大学に入ってもっといろいろしりたい」という声に、吉森さんから「100点!」の声が上がりました。

続いて、本展のサポートスタッフの声を抜粋し、ご紹介しました。 

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

男性よりも女性が積極的な場合が多かったということや、遊戯装置がコミュニケーションの場になって他者を結びつけるということが起こっていた様子、現代の子ども達のことを思ったり、体に触れるという行為が大人になるにつれ少なくなっていることに気づいた等、様々な感想がありました。

サポートスタッフは危険な場合もありうる遊戯装置で遊ぶ来場者の姿を緊張感を持って見守っていましたが、「はっきり危ないとわかるので、これまでの展覧会より案内時が気楽だった」という意見もあり、危険を危険ですと示すことで、どのように関わってもらうかという個人の判断を促し、コミュニケーションが明確であったのではないかと思われます。

 

〜締めくくり〜

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

吉森さんが全体を通して熱く語っておられたことは、細胞一つひとつに宇宙があること、その宇宙はまだまだ解明されておらず、尽きせぬ謎が皆さんの体の中にあり、研究者が見つけたことは皆さんと分かち合いたいという研究者からのメッセージでした。普段芸術やスポーツを観たり体験したりして感動されるように、「科学を通して一緒に感動したいというのが科学者の夢です」と語られたのが印象的でした。

やんツーさんは、本展を通して出会った「生命を規定するのが膜である」という定義に衝撃を受けられたようで、今後の創作活動に繋がる新しいアイデアの元に出会えた場にもなったようです。

 dot architectsの土井亘さんは、サーチプロジェクトでは研究者と議論しながら、全てを想像し得ないところで話を重ねて進めていく過程が面白く、本展は単なる「遊び」でも「企て」でもない射程の深いところまで行けたのではないかと話し、同じくdot architectsの寺田英史さんは、今回は細胞のための建築物をつくったが、今後建築家が「人間でないもののためにどうアクションできるのか身につけていきたい」と語られました。
また、家成さんは、素粒子レベルでは個と個の間に違いがないこと、いわば「わたしのかなたへ」行けば行くほど私がなくなっていくという感覚が感動的であったと語りました。

吉森さんがおっしゃられた「細胞まで行くとあなたも私もみな一緒である。」という言葉でクロージングトークは締めくくられました。私たちの体の中の、細胞や素粒子などのごく小さな世界では、人間関係や社会問題の解決のきっかけになるのではないかと思わせる不思議な真実が存在しています。

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■■第2部■■
ライブ&パフォーマンス

〜ゲスト・Drone Development Departmentによるドローン飛行〜

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ドローン映像

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ドローン飛行

トークが終わり、ドローンの羽音が聞こえてきました。スクリーンにはドローンに搭載されたカメラが写す体内公園があります。中之島を拠点に活動するDrone Development Departmentによるパフォーマンスです。

ドローンのカメラを通して、これまでとは全く違う視点、全く違う視線の動きで見ると、人間の視覚で捉えていた体内公園とは別の世界である

かのような感覚にもなります。また、シーソーをしている人間を斜め上から見る感覚は、体内公園で繰り広げられていた遊びの思い出を回想するようでもありました。2周の飛行を終え、スタート地点に降り立った後に、会場からは拍手が起こりました。

 

〜ライブ&パフォーマンス〜

舞台は最終章のDJ KΣITOさん、やんツーさん、dot architectsによるライブ&パフォーマンスへ。ここからは、舞台、客席ともに"体内公園"(展覧会場)へと移動します。

ほどなくして、ビート音が鳴り響き始め、公園のあちらこちらで勢いよく電灯が点滅しはじめました。スロープの先のDJ台でパッドを叩き、トラックメイクをおこなうのは、トラックメイカー、DJのKΣITOさんです。様々な音やリズムが重なり、やんツーさんによる"仮想の体内公園"(映像)の中を歩くおじいさんの姿、暗闇の中で不意に点いては消える灯り...。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

緩やかなリズムに変わると、KΣITOさんがインラインスケートを滑りながらDJ台を離れました。駆けのぼったり滑り下りたり、ジャンプしたりと、体内公園で縦横無尽に滑りまわるKΣITOさんの動きに合わせて、やんツーさんがKΣITOさんの靴に施した仕掛けによって新たな音が加わりました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

再び軽快なリズムが始まると、dot architectsの皆さんが会場に入り、遊戯装置の解体が始まりました。音楽に加えて電気ドリルの音や床に置かれる部材の音が鳴り響き、さらに体内公園は渾然一体となりました。 

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

タンパク質が自立的に異なる役割を持って働き、それらが私たちの体内で驚くべき巧妙なシステムをつくりあげ、宇宙にも似た壮大な世界が繰り広げられている。今回のクロージングイベントは、展覧会を通して考察した体内世界や、"わたし"という存在の不思議さや不確かさ、そして会場での様々な出来事がこのライブ&パフォーマンスというかたちで結実したように思います。

本展は、たくさんの来場者と会話をし、時には身体的も接触することで、たくさんの気づきや学び、そして未来への何らかの手がかりを感じることができました。また、関連トークプログラムを重ねながら様々な専門分野を超えて、新たな気づきも見出すことができたことも大きな特徴でした。

ご来場くださいました皆様、展覧会を支えてくださった皆様、どうもありがとうございました。

 

アートエリアB1では、この「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」の3カ年の軌跡を記録集というかたちでまとめ、未来に残していきたいと考えています。発行はまだ先になりますが、ぜひご期待いただければ幸いです。

「遊び」から見る人間の本質(西村清和さんをお迎えして)

 2017.6.21(B1事務局 大槻、鄭/サポートスタッフ 石原)

6月16日(金)、サーチプロジェクトvol.6の関連企画として、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『遊び』から見る人間の本質」を開催しました。

ゲストには、西村清和さん(美学者/國學院大學文学部哲学科 教授、東京大学名誉教授)をお迎えし、「遊び」とは何なのか、その感覚の中身や構造がどうなっているのかについてお話をうかがいました。6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜「遊び」〜

まず、西村さんが話してくださったのは、ホイジンガやカイヨワをはじめとする、これまでの遊び論の議論で展開されてきた、遊びに関する二つの側面の紹介と、それらについての見解です。 一つは「非現実の虚構」、もう一つが「現実の模型」です。

たとえば、鬼ごっこやままごとのとき、わたしたちは現実とは異なる非現実の役割を演じ、虚構の世界を作り出しています。これは、非日常を出現させており、一つ目の側面に該当します。しかしその一方で、遊びはなんらかのルールを持ち、私たちはそれに従って他者と関係を構築します。この点で実社会の模型であり、「遊び」は実人生への予行演習だというものです。

この遊び論について、西村さんは批判的な見解を示されました。遊びは「遊んでいるという現実」であるし、遊びは教育学者がよく言うように現実の人生の「模型」による学習のためにあるのではない。また、株の取引が賭の遊びに見えたり、戦争がシューティングゲームに見えたりしても、それらはまったく異なったものだ。というのが西村さんの主張です。

哲学的な観点からみると、遊びと切り離して考えている社会的事象が「遊び」としての要素を持ちうる可能性があるのが興味深かったです。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜遊び感覚―浮遊と同調―〜
つぎにお話ししてくださったのは、「遊ぶ」という感覚の中身についてです。

西村さんは、突き詰めていくと「浮遊」と「同調」に行き着くといいます。
「浮遊」は、言い換えると、「かろやかで、あてどなく揺れ動く運動。それ自身の内部で、ゆきつもどりつする運動」といえます。 例えば、揺れ動きゆきつもどりつする典型的な仕掛け"シーソー"では、二人が異なった動きをしているように見えますが、二人は自分勝手な動きをしているのではなく、二人がひとつの動きに同調し、笑い合いながら浮遊する1つの感覚を共有しています。

この行動の関係は、まなざしのキャッチボール(まなざしの同調)であり、人々が"遊び"感覚があると言ってるのは、この浮遊と同調が起きている時といえるのでは、というのが西村さんの見解です。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  浮遊と同調

 重要なのは、この「浮遊」は必ずしも心地よいものばかりではないということです。ひとはジェットコースターのような危険が伴う状況にもお金を払って興じます。これはどういうことなのでしょうか?

これは不快の快と呼ばれ、古代ギリシアの時代から議論されてきたことですが、西村さんは、そもそもこれを「恐怖」と呼ぶこと自体が誤りであるとしています。なぜなら、ジェットコースターに乗っても、原則として死ぬことはないため、本当の意味で恐怖とは言えないからです。 むしろこれは恐怖を楽しんでいるわけではなく、「どうなるかわからないハラハラドキドキする状況」=「宙づり」を楽しんでいるにすぎないと考えると、筋が通ります。

このことから、「遊び」のなかには、「どうなるかわからない状況やスリルを楽しむ」感覚が本質的に内在していると西村さんは言います。

小さいころ、高いところにぶら下がったり飛び降りたりとわざと危険な遊びをした経験を思い出して、納得してしまいました。

  

〜遊びの基本骨格〜
トークの半ばになると、「遊び」と「仕事」の話になりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん 

西村さんはこの二つは「遊び」と「企て」という、対立する二つの概念で説明できるといいます。

「遊び」は先の通り、「あてどない」、「浮遊」と「同調」「宙づり」の行動です。
「企て」とは「投企=目標や計画を立てて、それを達成する行動」だそうです。

まさにわれわれが仕事と呼んでいるものと言えます。「遊び」では自分と他人がおなじ動きに同調しますが、「企て」においては、むしろ各々の利害やまなざしは対立します。 

 おなじ「ふりをする」でも、こどものおままごとと、プロの俳優の演技が大きく異なるのがその例です。

一方は誰かに見せるという目的は持たずただ互いに同調し、その場でストーリーをつくり、父や母といった役割を模倣します。他方、俳優たちはひとつの作品を作り上げることを目標に技術を磨きスケジュールを組んで稽古をします。

西村さん曰く「よくアーティストは遊びの延長線上で仕事をしていると言うが、明確に作品をつくるという目標があることから、遊びというよりは企てという方が妥当である」そうです。なんだか意外ですよね。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  遊びの基本構造

〜自由がないから「遊び」は楽しい〜
後半の司会を交えたトークセッションでは、スマホが普及し、いつでも連絡ができてしまうため、遊びと仕事を時間によって分けることができない状況について意見が交わされました。

 西村さんはこの状況のしんどさは、「自由のない遊び」が確保できないことに由来すると言います。普通に考えれば、遊びは自由で、仕事は自由がないように思えますが、そうではないそうです。

遊びにはごっこ遊びにしろボードゲームにしろ必ずルールがあり、プレーヤーはそれに従わねばなりません。しかし、それは裏を返せば「鬼から逃げろ」、「キングを取って勝て」という行動の動機を与えてもらえるということでもあります。
すべて自分で選択・決定せねばならない普段の生活は自由であり、自由であるがゆえに辛さが生じます。
遊びが楽しいのは、そういった自由がないから、という発想には目からうろこで、会場でもうなずくお客さんが見られました。

 

〜最後に〜

最後に西村さんは、「我々の人生には食べたり飲んだり仕事をしたりすることと並んで、絵を見たり音楽を聞いたり演劇を見たり、と遊ぶことが不可欠」「それが欠けるということは、自分の人生が壊れるということを意味し、遊べないことは、人生の病理として不幸である」とまとめられました。

今回のトークでは、わたしたちは知らず知らずのうちにいろいろな行動様式を取っており、それは生きることに直結するふるまいであることをわずかではありますが理解できた気がします。様々な示唆を得られた二時間でした。

講演後の質疑でも、「夜中でも仕事の内容がきて企てと遊びの境がなくなっている。そんな状況を遊びにかえるのはどうしたらよいか」との質問への、「スマートフォンは持たないこと。」というストレートなコメントに会場が沸く等、終始和やかな雰囲気で終演したトークライブとなりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

 

「超ひも理論」から捉える未知なる"私"と"彼方"(橋本幸士さんをお迎えして)

 2017.6.17(B1事務局 大槻/サポートスタッフ 竹花)

梅雨入りが発表されましたが、穏やかなお天気だった6月8日(木)。現在開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"〜 わたしのかなたへ〜」の関連企画、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『超ひも理論』から捉える未知なる"私"と"彼方"」が開催されました。
今回は、物理学者で大阪大学大学院理学研究科教授の橋本幸士さんをゲストにお招きしました。カフェマスターは家成俊勝さん、木ノ下智恵子さん、塚原悠也さんです。

橋本さんのご専門は理論物理学。『超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』の著者でもいらっしゃいます。そもそも「超ひも理論」とは、何を説明するどんな理論なのでしょう?「超ひも理論」 からわたしについて考える今回のトークは、橋本さんによるレクチャーから始まりました。

 橋本さん1

今回の展覧会の「わたしのかなたへ」というテーマに寄せて、まず橋本さんがお話ししてくださったのは、"科学者がどういう風に世界を見ているか"についてでした。
科学が見る世界では、原因から結果までの間がある数式によって繋がれています。そしてその計算を学べば、誰でも答えを導くことができます。すなわち科学とは、誰にとっても言い切れるような、全人類が共通に持てる認識なのです。それがわかってはじめて、「世界はこれです。でもわたしは世界とはちがいます。だからこれは"わたし"なんです。」と、"わたし"というものもわかる。自分を知るにはまず外界がどう動いているかを知る、ということが、橋本さんの物理学者としての意識の持ち方だそうです。

 

その上で、"この世界が科学的にはどのように成っているか"について、2つの事実について話してくださいました。
1つ目は、わたしたちが存在しているこの宇宙は「素粒子の標準理論の作用」と呼ばれるただ1つの数式によって全てが支配されているという事実です。高校の教科書にも載っていないため知らない人は多いはずですが、宇宙の膨張や地球の公転、私たちの動き・・・全てを決めている完璧な方程式があり、なんと人類はすでにそれを知っているのです。
2つ目は、宇宙の中にあるものを構成している最小単位は素粒子であるということです。素粒子とは、人類が知る最小の構成物のことです。現在は全部で17種類の素粒子が知られています。この世のものは分割していくと全てがそのいずれかの素粒子になり、同種の素粒子は入れ替え可能な同一のものであるとわかっています。
つまり、宇宙を構成する素粒子がどのようにくっついたり離れたり飛んで行くかということを知れば、この宇宙の全てを知ることになります。それを与えてくれるのが、先の"ただ1つの数式"なのです。しかし、人類はまだこれを解ききるための数学的ノウハウを持ち合わせていないそうです。

 「宇宙を支配する数式」

「宇宙を1つの式が支配している」と聞くと、「本当に...?」「そんな都合のいいことが...?」など、ちょっと信じがたいなあという気持ちになった方も多かったようです。最後の質疑応答でも質問されている方がいらっしゃいました。橋本さんは「1つであるからこそ科学は発達してきた」と話された一方で、「あまりにもうまく出来過ぎているから、なにか上位の存在 (神的なもの)がこの世界を創ったと考えた方が安心できる、という科学者もたまにいますね」というお話もありました。

 

そしておまちかねの「超ひも理論」についてのお話。超ひも理論とは、素粒子はひも状であるとする仮説です。
例えば光子と呼ばれる粒として知られている光は、偏光という揺れ動く性質を持つ点で特殊なのですが、超ひも理論を記述している方程式を解くと光を特定している「マクセル方程式」が導かれ、矛盾がありません。重力についても、重力を媒介している素粒子を輪ゴムのように閉じたひもであると仮定した方程式を解くと、それが重力の方程式と同じであることが示されます。
このように、素粒子がひも状であると仮定すると、さまざまな現象が矛盾なく説明できるそうです。この仮説を確かめるべく橋本さんは研究なさっています。

 超ひも理論について

では、素粒子がひもだとすると、どんな面白いことが予言できるのか。
それは、「次元の違うものが同じかもしれない」ということです。

トークの中では、素粒子をひもだと仮定すると、重力と光は、次元は異なるが同じものであると考えられるという仮説が紹介されました。この仮説によると、光(光子)が移動した軌跡と重力 (ゲージ粒子)が移動した軌跡は、違う方向に進む(光がx軸方向に進むとき、重力はy軸方向に進む)けれども同じ軌跡になるので、偏光素粒子=仮想重力であるとして矛盾がないそうです。
そうすると、直感的に導かれた「素粒子はひもである」という仮説によって、「次元が違う=別のもの」と言う一般常識が覆されてしまいます。現代科学によって常識的に考えられていることがひっくり返る可能性が示唆されつつある。その先に面白い科学があるのではないかと考え、科学者は研究をしているそうです。

光(直線のひも)と重力(輪のひも)が同じ次元にあると捉えることについて、塚原さん、家成さんは「どこを切り口にするか、どの面を捉えるかということは建築に通じるところがある」とおっしゃられていました。

 「超ひも理論」のかたち

わたしはこの素粒子はひも状、という説明の方が理解しがたく、「素粒子はひも状......?粒子なのに......?」と混乱してしまいました。普段見慣れているものの形や動きがボキャブラリーとしてストックされていて、それをパズルのように使ってわたしたちはものを考えているため、矛盾していることがうまく想像できないのですね。自分が持っている考えるための材料の限界を知ったような気がして、"わたし"に関する新たな気づきでした。

 

印象的だったのが、「問題を解いた人がえらいのではなく、本当にえらいのはその問いをたてた人」というお話です。もちろん、問題を解いて正しい答えを導いたということは立派な業績であるけれども、そもそもの、答えを導くことのできる適切な式を書くことができた、 答えに対する正しい問いのたて方ができた人というのが一番えらい人なのだそうです。答えが出ない、結果が矛盾している、そんな時は適切な問いをたてることができていないのだとおっしゃっていました。言われてみれば確かにそうなのですが、何も意識しなければ答えを出した人が一番すごい人だと思ってしまいますよね。

このお話に対して、木ノ下さんが「それはアートも同じこと。科学が1つの解を導くのに対し、芸術作品は複数の解釈を導くという違いはあるけれども、適切な問いをたてることが一番大事だという点は共通している」ということをお話ししてくださいました。木ノ下さんは作品によってなされる問いかけで、多くの答えを生み出し、誤読を許すことのできる作品が良い作品だと考えているとのことでした。

また、橋本さんは「自然によって選ばれる正解は一つで、ノーベル賞をとれるのはそれを見つけた一人だけ。そのほかの何万という解は間違いだけれども、でも必要なのだ」 というお話もしてくださいました。カフェマスター側からも、「アートも、売れる人はほんの一握りだけれど、そうじゃない作り手がたくさんいることで多様性が生まれてより良いものが生まれてくるという点が似ている」という意見が出ました。言わずと知れた働きアリの話ではありませんが、正解、売れるもの、役立つものだけがあればいいのではなく、そうしたもののために間違いや無駄に思えるものも必要なのですね。永田和宏さんをお招きしたトークでも言及されていましたが、多様性が発展には不可欠だということはどの分野も同じようです。

 橋本さん2

他にも、偶発性についての考え方、空間をどう捉えるかなど、興味深いお話をたくさんお聞かせいただきました。科学とアートとでは、目指すところは違いますが、プロセスの部分では共通する部分が多かったです。科学者にとっての世界は、一般の人が想像する社会のような形態ではなく、素粒子によって構成されているものですが、自分を知るために世界がどうあるかを知る必要がある、という考え方は人文的なアプローチと共通しています。科学とアート、目標が異なるそれぞれの世界の見方を知る事で、"わたし"や"世界"への新たなアプローチの可能性を感じられたトークになりました。

「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」(飯田和敏さんをお迎えして)

 2017.6.7(B1事務局 三ヶ尻/サポートスタッフ 田中)

5月31日(水)、サーチプログラムvol.6の関連企画として「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」を開催しました。ゲストには、「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」、「巨人のドシン」など、革新的なビデオゲームを手掛けたゲームクリエイターの飯田和敏さんにお越し頂きました。

「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」などの一風変わったシステムの理由や、それぞれのゲームをどのように考えて作り上げたか、そしてクリエイターとしての創作に関する姿勢などもお聞きしました。

〜「太陽のしっぽ」 〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

まず飯田さんの手掛けたビデオゲームの代表作のひとつ「太陽のしっぽ」を実際にプレイしながらご紹介頂きました。 1996年に発売されたプレイステーション用ゲームソフト「太陽のしっぽ」は、原始人となったプレーヤーがひたすらゲーム空間を探索する元祖オープンワールドとも呼べる無目的的な怪作ゲーム。それまでのゲームの制度やセオリーに挑んだ内容は実に挑発的で、例えば以下の様に当時に「当たり前」の正反対を張る内容があげられます。

・ゴールが設定されていない。
・ミッションが存在しない。
・アバターが突然眠りその間プレイヤーはコントロールできない。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

例えば原始人が睡眠をとるタイミングはプレイヤーがコントロールできず、原始人は急に眠ってしまいます。そしてプレイヤーはただ画面を見ながら待っていることしかできません。寝ている間に鳥につつかれて体力が減ってしまったり、海の中で寝てしまい、寝たまま亡くなるということもあるそうです。

一聞すると理不尽とも単なる悪戯にも思えるこのシステムには、開発当時の飯田さんのこんな思いが反映されてるのだそうです。

製作を進めている際に、「原始人を操っているこのプレーヤー自身は(ゲーム空間において)一体何者であるのか」と疑問に思ったそうです。原始人たちが崇め奉る神のような存在、または、原始人の守護霊のような存在がプレイヤーなのかもしれないと仮定し、そのような視点からアバター(原始人)を操ると、思い通りに動かせない事が当然ある。けれども、あまりにも思い通りにならないとゲームにはならないので、思いがけないところで急に眠るというシステムが生まれたそうです。

また、話題はゲームの境界=世界の果てにまで及び、「始点と終点を結ぶ閉じた世界」は敢えて採用せずに決して渡りきれない海を設定するなどして、原始人がゲーム内で絶対にその先に行けない領域を作ることでゲーム世界の果てを設定しました。これは、西遊記において孫悟空が釈迦の掌で世界の果てを見た世界観を、飯田さん流にプレーヤーと原始人のアバターの関係に昇華させたものだったそうです。

 

〜「アクアノートの休日」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

続いて代表作品の一つである、「アクアノートの休日」(1995年発売)をご紹介頂きました。プレイヤーの一人称視点でひたすら海の中を自由に散策するゲームシステムは、「太陽のしっぽ」から続くオープンワールド形式を踏襲。海の中をどこまでも自由に探検できるのです。BGMは特になく、波や海の中の音が聞こえてきます。一人で遊んでいるとどうやらとても孤独になるそうです。

こちらも「太陽のしっぽ」と同じように、クリアしなければならないミッションや目的が設定されていないゲームで、 「太陽のしっぽ」も「アクアノートの休日」も3D空間の自由を楽しもうということで作られました。よって、ビデオゲームによくあるミッション遂行の使命や、難易度の上がっていくステージはありません。これらを発売した当時は、ハードの性能も上がりポリゴン表現技術で3Dの仮想景色を自由に表現出来るようになった時代でした。その世界を十分堪能するために、制限時間や目的を設定せずに、プレイヤーにとってストレスのないゲームを作りたいという飯田さんの意思が伝わって来ました。

もともと芸術大学を卒業後にゲーム制作に携わり始めた飯田さんは、拡張する表現方様式の一つとしてゲームの可能性を捉えていたそうで、アートの役割には従来の価値観/制度に挑戦していく社会的機能があるという持論の上に制作されたゲームは、敢えて挑発的で時に人を驚かせるシステムが採用されていきました。


そして、話題は2009年にwiiで発売されたゲームソフト「ディシプリン*帝国の誕生」へ。

〜「ディシプリン*帝国の誕生」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

「ディシプリン*帝国の誕生」は、「太陽のしっぽ」「巨人のドシン」の後に制作された異色な作品です。舞台は厳戒体制が敷かれる監獄・ディシプリンです。プレイヤーは、現実に起こった事件の犯人たちをモデルとした、投獄されている囚人たちと会話することができます。

飯田さんは「ディシプリン*帝国の誕生」の製作前、私たちの世界は残酷なものとつながっていると悟ってしまった時期があるそうです。「ディシプリン*帝国の誕生」を作ろうとしたのも、私たちの本当の日常の世界を知らなければいけないと思い立ったからだそうです。見て気持ちのいいものしか触れない、関わろうとしなければ、いつまでたっても自分中心でしか考えられなくなると考えたそうです。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん生活している中でメディアに乗った情報としてしか接する事のない事件の犯人。実際には同じ世界を共有する人間であることを無自覚的に忘れていることをこのゲームでは迫ってみせています。

『映画や本に比べて現場感が違うんですよね。(ビデオゲームでプレイすることにより)自分がその映像空間の中にいるということになっているので、そのテキストが友人との対話レベルで分からなきゃいけないという感覚が(ビデオゲームには)ある。』と飯田さんは言います。

現実世界にある物理的な距離、時空的な隔たりをゲームの世界は易々と乗り越える。「ディシプリン*帝国の誕生」の製作を通して、ぎりぎりのところにも遊びは現れると気づいたそうです。

ハードの性能、ネット技術、ソフトの進化は過去とは比肩できないレベルでその進化は日々進化している中で、「ビデオゲーム=子供の遊び」は既に古い概念となり、ゲームは確実にもう一つの現実世界として機能し始めている。常に完成された権力としての制度を疑うことで、ビデオゲームの遊びの領域を拡張してきた飯田さんのゲーム開発。これからどのようなゲームと遊びが飛び出してくるのかとても楽しみに思えるトークとなりました。

「膜であるヒトの内と外」(永田和宏さんをお招きして)

 2017.6.6(B1事務局 サポートスタッフ 川原)

5月24日(水)、現在絶賛開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"~わたしのかなたへ~」の関連企画として、「膜であるヒトの内と外」というトークプログラムを開催しました。

ゲストには細胞生物学者で歌人の永田和宏さんをお迎えしました。細胞膜の研究、そして歌人として著名な永田さん。今回のプログラムでは、まるでひとつの社会を形成しているような細胞の世界を通じて、"わたしたち"の内にある未知なる世界を見つめ、そしてそこから人間社会を見つめ直すようなトークになりました。

会場は超満員!皆さんの期待が伝わってくるなか、始まりました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)
永田さんのお話しは、大学教育論から、細胞のミクロ度合をどう印象付けるか、学問とはなにかといったところから始まり、細胞の専門的な話から細胞膜の働き、細胞で起こっている現象へと進みます。

やがて話は細胞から飛び出して、社会の中の自己と他者とは、グローバリズムと多様性とは、など、話がどんどん展開し、そしてあっという間に終演を迎えました。

今回お話し頂いたどの話題も面白く、頭を刺激するものでした。その中からいくつかご紹介します。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

①大学における教育

「大学における教育は、小中高とは別のものである。極論をいれば、教科書はいらない。研究者は、教科書に載っていないことを、何がわかっていないのかを教えるべきである。答えが必ずあるのではないこと、答えが一つではないことを、社会に出ていく準備として教えることが大切である。」
このお話を聞いて、かつて、大学で講義を受けていた課程では、ひたすら図書館で調べれば、解がありレポートが書けましたが、研究室に入ると全く違い、思った以上にわかっていないことが多くて、わかっていることも結果と考察と検証の上に成り立った、小さな断片をつなげていったものだと感じたことを思い出しました。

 

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

②本当のことを知りたいということが基礎科学の動機である。

「最近、ヒトの細胞数が60兆個から37兆個に訂正されたことは、大きく何かの役に立つ訳ではないが、その事実をうれ

しい、面白いと思う人はいる。知識を学問(学ぶ意欲)につなげるには、感動が必要である。例えば、細胞の数、DNAの長さを地球と比較するなど工夫する。ヒトのすべての細胞を一列に並べると60万キロメートル、一方地球は一周4万キロメートル。」
TEDのプレゼンテーションでヒトの全ゲノム配列のすべて印刷した書物のようなものが登場したことがありました。「A、T、G、C」の文字が並んでいるだけの印刷物です。しかし、初めて全ゲノムの配列のことを知った人には、あまりに膨大なボリュームに驚く人もいるはずです。アートも、役に立つかどうかを目に見える数値としては、測りにくいものです。この点で、基礎科学とアートは共通するところがあります。違うところは、科学が提示するものは、提示した時点においては、普遍性を持った事実であることが求められることに対して、アートの事実は、場所、時間、他者から自由である点だと思います。それゆえに、物事を大胆に変換し、拡張し、五感に働きかけることができます。そして、面白いことに、自然科学は、アートに多くのインスピレーションを与えることがあります。今回の展覧会は、まさにその場になっていますので、ぜひ、体感してみてください。


③細胞の膜の内と外

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)「細胞生物学の視点では、生命の最小単位は細胞。生命は膜による区画から始まり、生きているということは外界から内部を区画していること。細胞が自分の内部とすると、腸内は外部ともいえる。細胞膜は10ナノメートル(細胞を1メートルとすると0.5ミリメートル)と非常に薄い。薄く、脂質2重膜から成り立つため、物質を移動させるゲートが適切に生まれては消える。恒常性の維持のため、膜は激しい変化を繰り返している。」

久しぶりに、専門的な話を楽しく聞いていて、ふと、これはわたし自身に初歩の知識があるから、すっと入ってきているのだと気づきました。知識を持っていると、理解し、考える余裕が生まれ、その次のことに興味も湧くのだと思います。そういった意味では、高校までのある程度の詰め込み学習も意味があると思えました。
同一の状態を保つことは、変わり続けることであるという。一見禅問答のようですが、原子の世界も交換や揺らぎが日常であって、視点がかわると、"わたし"というのはかなりマクロなのだと、相対は面白いと感じました。

トークの終盤からは、細胞膜がたゆみないせめぎあいの中で折あいをつけている姿に、社会における自己と他者、グローバリズム、国境の在り方、国の在り方をなぞらえて見つめるお話もありました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)ヒトは細胞でできていて、社会は人でできていて、国家は社会からできていて、地球は国家からできていると考えられるとすると、細胞の営みと、国家と地球の在り方が似通うほうが自然なのか?、正しいのか?、そうなると、人間の思考とはなんなのか?、人間の思考はどう生まれるのか?、思考は、単なる物質の移動に以上のものがあるはずか?など、ふわっと別のところに心が連れていかれるような、不思議を感じた時間でした。

会場からの質疑では、学生の自信喪失論やミトコンドリアの話、集団となる時の細胞の話、研究者の悩みなど、様々な質問が飛び出し、本当に、熱く語り明かしたいトピックスが満載のラボカフェでした。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

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