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クロージング・トークセッション「いとうせいこうとめぐる都市の身体」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.12.22(B1事務局 サポートスタッフ 深川)

10月26日から約2ヶ月にわたって開催してきた鉄道芸術祭vol.9「都市の身体〜外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私たちの声〜」が、とうとう閉会となりました。

展覧会ならびに関連イベントを通じて多くの方にご参加いただいた鉄道芸術祭のクロージングを祝して、ラップ、小説、詩、MC、演劇etc...さまざまなフィールドを横断しながら言葉の表現に挑戦し続ける、いとうせいこうさんをスペシャルゲストにお招きして、本展参加アーティストの小沢裕子さん武田晋一さんとのトークセッションを開催しました。

いとうせいこうさん独自の視点と巧みなトークによってアーティストたちと作品の様々な側面が引き出され、会場は終始笑いと熱気に包まれ充実した時間となりました。

▶︎クロージング・トークセッションの詳細はこちらから

ギャラリーツアーはジョンペットさんの作品からスタート

 

前半は、いとうせいこうさん、武田さん、小沢さんによるギャラリーツアーです。
2人のアーティストがいとうさんに自ら作品解説を行いました。

《running》の説明をする武田さん本展で、武田さんは雑草を自ら漉いてつくった紙、複数枚の木の板から構成されるベンチ、ご自宅の庭から刈ってこられたススキ、雑草など、身近で素朴な素材からなる作品を発表しています。

会期中、特に多くの注目を集めていた鉄道草ことケナシヒメムカシヨモギを使った新作《running》。時計の動く仕組みを利用した土台に刺された鉄道草が列をなし、ゆっくりと時計回りに回転する作品です。鉄道草は日本の鉄道の展開とともに全国に広がっていった植物であることから、本展のタイトルにも含まれる鉄道と都市にも深く関係する草です。一方では、都市における雑草のしたたかな戦略を、他方では私たちの身体に染み込んでいる都市の時間感覚を象徴的に扱った作品であると武田さんは語ります。



《石松三十石船道中》の説明をする小沢さん



一方の小沢さんは、本展に参加することになった際、頭に浮かんだのは「大阪」と「伝統芸能」をテーマにすることだったそうです。大阪をテーマに設定したとき、見えてきたのはたくさんの「外国人観光客」だったといいます。そこから着想を得て、外国人と日本人の方々に協力してもらいかたちになったものが今回の浪曲、言葉、コミュニケーションを用いた作品でした。

出展作品である《SPEAKERS 日本語学校の先生と生徒》と《石松三十石船道中》は、どちらも日本語話者と日本語話者でない人々が登場します。そして、耳で聞き取った言葉を意味がわからないままに、自分の口から発して(歌って)相手に伝えたり、感情を表現するという点で共通しています。
この作品の制作後、小沢さんが外国人参加者に感想を尋ねてみたところ、「(言葉の意味が)わからなくても、わかっているような演技をした」という答えが返ってきて、「人間は言葉に意味が伴っていなくても演技をする生き物なんだな」と感じたと述べました。



ギャラリートークを踏まえて、後半はアーティストたちの過去作を参照しながらのトークセッションです。ここからは、印象的だったいとうさんのコメントを引用しながらトークを振り返ります。

後半のトークセッション風景

「あえて無関心なものを展示する。自分の意識なんて大したことじゃない。関心のあるもの=自分の好きなものということは、ほんの小さなことなんじゃないかな。」


いとうさんと武田晋一さんとのトークでは、「無関心」というワードが印象的でした。武田さんの過去の作品の一つに、本棚を運ぶ、というものがあります。本棚の中には武田さんがまだ読んでいない本が詰められており、それを観賞者が自由に読むことができるという作品です。

"まだ読んでいない本"という点に着目したいとうさんから、「無関心」というワードが出されました。無関心というと冷たい印象を受けますが、無関心とまではいかないまでも、武田さんと作品との間には何ともたとえがたい距離感があるように思います。



いとうさん(中央)と武田さん(右)

「ものを運ぶ武田さん自身が、移動しながら行った先で作品を開いては、また作品を運びながら移動する植物みたいになっちゃったんだ。」


武田さんの作品は展示する場所、移動手段など、その空間、その時々の条件や要素を踏まえて構成されています。今回も、鉄道芸術祭のテーマである鉄道、都市と身体の関係ということから作品が発想され、移動手段である電車で運べるよう設計され、また会場ではジョンペットさんや小沢さんの作品とも関わるような展開がみられます。こうして様々な条件に合わせていくことで成立する武田さんの作品は、ある意味で「主体がない」と言えるようにも感じます。

過去の作品を振り返る中で、全く知らない土地で制作・展示を行うのは「違うなと感じる」と語る武田さん。作品をつくり、運び、展示し、持ち帰り、保管するまでを自らの手と足で行うことで、土地との関わりは深まっていきますが、こうした過程のどの段階も等しく、淡々と行われているので、まるでそこに武田さんが居るような居ないような、やはり作品との不思議な距離感が感じられます。武田さん自身の関心はどこにあるのだろうかと、奈良からアートエリアB1へ作品を運ぶ姿を映像を通して見ながら考えさせられました。



小沢さんとのトークセッション風景

「小沢さんには、〈痛み〉の側から言葉に対抗するという姿勢がある。〈非言語〉の側に自分が立って、言語をどう捉えるかを考えるってすごいことじゃない?」


小沢さんといとうさんのトークセッションでは、「歌」や「音色」ということに関心が集まりました。まず小沢さんから、痛みを言葉に表現したくないという話がありました。痛みというのは、その人、その時に固有の状態という意味で一回性でしかないものなのに、既にあるもの(他者がつくってきたもの)に書き換えなければいけないのは切なく、言葉に書き換えてしまうことで失われてしまうものがあると感じているそうです。いとうさんは、その単語と単語の間で失われてしまうものを表現するのが音色なのではないかといいます。



いとうさん(中央)と小沢さん(右)

「言語よりも最初に歌があったんだと思う。でも歌だと長いから、歌から切り出して短い言語をつくったときに人間の言葉から音色は切り離された。前は、人間は鳥みたいに歌っていたんじゃないか。」


小沢さん自身も過去の映像作品の中で、出演者の方が自分の懐かしい歌を歌うことで、体と表情が合致したところを見たという経験があったそうで、音色と体が切り離せない関係にあることを感じていたそうです。またいとうさんは、歌には恐怖や苦痛をなくす力があると指摘されました。歌には辛さを軽くする力があり、それは人を救う反面、とても怖いものでもあるとおっしゃいます。「言葉と体を引き剥がす」をテーマに制作されている小沢さんは、自分の意識と一致していると考えられている言葉から、自分(主体)を取り除き、言葉そのもをむき出しにしようとしていると言えます。

あえて主体をなくそうとする小沢さんの作品と、一個人ではなく群衆の中から多様な訴えや感情が湧き上がってくる様子を表現するジョンペットさんの作品、そして周囲の環境や条件に委ねながら作品をつくりだす武田さんの制作態度には、表現の主体として自分のみに重きを置かないという点で共通するものがあるように思えました。こうしてみると、小沢さんが提案したという本展の副題「外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私の声」は、この3人のアーティストのものごとの捉え方を正確に表した言葉になっているのではないかと感じます。



12/22 鉄道芸術祭vol.9クロージング・トークセッション 「いとうせいこうとめぐる都市の身体」



今回のトークでは、それぞれの作品やお話に対するいとうさんの反応とアーティストたちの返答をとても近い距離感で見聞きすることで、みなさんにとってもより深い作品の理解に繋がったのではないでしょうか。いとうさんの豊富な知識と巧みな話術によって、作品のみならずアーティストたちの人間的な一面も引き出されるなど、発見と笑いの絶えないクロージングイベントとなりました。

こうして秋から冬にかけて走り抜けた鉄道芸術祭vol.9は、無事にゴールを迎えることができました。何度も足を運んでくださったみなさま、ふらりと立ち寄ってくださったみなさま、イベントに参加してくださったみなさま、本当にありがとうございました。

2020年も鉄道芸術祭はまた新たな形で開催予定ですので、引き続き楽しみにしていただけたら幸いです。

 

写真:表恒匡

 

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