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「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.11.13(B1事務局 サポートスタッフ 金城)

11月13日、「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」の関連として「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」を開催しました。

ゲストに、ポピュラー音楽や大衆音楽、近現代大衆文化史を専門とする研究者であり、大阪大学大学院文学研究科准教授の輪島裕介さんをお招きし、近代日本の大衆音楽史に沿って、カタコト、空耳、デタラメを歌詞にした歌謡曲="カタコト歌謡"をテーマに、時代における背景や人々の意識などを解説していただきました。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

まずは、明治時代の流行歌『オッペケペー節』を例にデタラメについてお話しいただきました。

『オッペケペー節』は日本最古のラップとも言われ、当時関西一円の寄席で様々な演者によってうたわれていました。 "オッペケペー"という言葉自体に意味はなく、言葉自体が新しく面白い反面、わけのわからない外来語に対する揶揄としても用いられたのではないかと言われているそうです。中でも民衆から人気を博した川上音二郎の『オッペケペー節』は、当時の洋服、洋髪、洋食などの表面的な西洋化政策への反発が歌詞全体から窺えます。

他には、中国の歌である明清楽『九連環』を耳で聞いたとおりに覚え、日本語風に変化させた『かんかんのう』や、"ラメチャンタラギッチョンチョンデ パイノパイノパイ"という不可思議な歌詞のある『東京節』(原曲『Marching Through Georgia』)などが紹介され、聞き馴染みのない外国語が謎めいたオノマトペに変化した背景がよく分かりました。

言葉の意味がわからないまま聞こえたとおりに歌われた例として紹介されたのは、沖縄民謡の名人である登川誠仁と照屋林助によるデュエット『ペストパーキンママ』(原曲『Pistol Packin' Mama』)です。

この曲は、外来の曲を三線を弾きながら、異国の言葉の響きのまま歌っています。アメリカ統治期の沖縄で青年期を過ごした登川誠仁が当時得意としていたネタだそうです。沖縄で定着した英語由来の言葉には、書き言葉に寄せることなく、聞こえる言葉からそのものが定着した例がいくつかあり、このことを輪島さんは「言葉というより響き」と表現されました。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

続いて、空耳について。

『タモリ俱楽部』という番組の人気コーナーのひとつ「空耳アワー」などを例に、言葉の音韻は分かるが、意味を知らないからこそ成り立つ可笑しさや面白さを説明していただきました。空耳には、外国の言葉を音として聞いた時に日本の言葉に聞こえる、或いは、外国の言葉風に聞こえるが語彙自体はナンセンスなものという特徴があります。その言葉の意味が分かるかどうかよりも、外国語話者たちや文化に対する先入観から、聞き手がそれらとどのような距離をとっているのかを自覚する装置になりうるかもしれないと輪島さんは言います。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

輪島さんはデタラメにおいて海外の文化の流入への抵抗を指摘されていましたが、最後のカタコトでは、日本語が英語に歩み寄っていくさまを教えていただきました。

昭和初期、レコード産業の隆盛に併いジャズが新しい大衆歌謡として根付きはじめた頃、アメリカ人がカタコトの日本語で歌うバートン・クレーンの『酒がのみたい』や、日本人が外国人風に歌うディック・ミネの『ダイナ』など、レコード盤の流通という経済的な戦略とともにカタコトの歌が生まれていきます。また、昭和47年、矢沢永吉、ジョニー大倉を擁するキャロルのデビュー曲『ルイジアナ』では、ジョニー大倉が歌詞を日本語表記からアルファベット表記に書き換え、日本語でありながら英語風に歌ったというエピソードがあるそうです。また、空耳とカタコトが異常な進化を遂げた例としてMONKEY MAJIK×岡崎体育の『留学生』という曲をご紹介されました。この曲では空耳とカタコトの要素が全て計算されて取り入れられています。

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そもそも日本語は外来語を借用しやすいのだそうです。日本語は、表意文字・表音文字を併用でき、異なる言語との出会いにバイアスがかかり、外国語がデタラメ、空耳、カタコト化すると輪島さんは言います。明治時代には風刺として、昭和から近年にかけては娯楽として、各年代それぞれにデタラメ、空耳、カタコトが何かしらのツールとして社会的に重要な役割を果たしていることを理解できたのと同時に、それらが私たちの耳から離れないある種の呪術的とも言いうる要素を持つものだと実感しました。

アートエリアB1では現在、都市と身体の関係性に着目した企画展「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を12月29日まで開催しています。
本展の参加アーティストのひとりである小沢裕子さんは、日本人と外国人双方の言葉によるコミュニケーションのあり方などについて考察した2つの新作映像作品を発表しています。なかでも、大阪発祥の語りの芸能である「浪曲」に着想を得た作品《石松三十石船道中》では、5カ国5人の人々が、言葉の意味がわからないまま聞こえたとおりに歌い、さらに、その歌を伝言ゲームのように歌い継いでいます。言葉の意味が抜け落ちた歌には、国や文化、生活環境などの背景によって異なる受け取り方がされ、それぞれの感知や記憶が投影された独自のものへ変容していく様子が浮かび上がっています。
引き続き、皆さんのご来場をお待ちしています。

 
▽ 「都市の身体―世界の内と外からの考察」 - 2019.11.8(B1事務局 サポートスタッフ 野村)

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