2019年11月 イベントスケジュール

「外国人と日本人がともに輝ける社会のために~多文化共創による持続可能な社会開発」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.11.27(B1事務局 サポートスタッフ 小河)

開催中の鉄道芸術祭vol.9に参加しているアーティストの一人、小沢裕子さんは、大阪の在留外国人に着目し、就労や勉学などで大阪に住む外国人に登場してもらう作品を2点制作しました。

少子高齢化にあり、外国人の受け入れは欠かせない施策となっている日本において、外国人と日本人が互恵的な補完関係となり多文化共創を実現するにはどのようにすればいいのか、国際的な人の移動について研究されている大阪大学共創機構社学共創本部の佐伯康考さんにお話を聞きました。

▶︎イベントの詳細はこちらから

11/27 「外国人と日本人がともに輝ける社会のために〜多文化共創による持続可能な社会開発」(ゲスト:佐伯康考(大阪大学共創機構社学共創本部 助教))

現代は、観光、就労、留学などを目的に多くの人びとが世界中を移動する時代になっています。
内戦などによる移民の流入も各国で課題になり、移民政策が国家の政権選択を左右する傾向さえ見られます。佐伯さんは、そうした国際的な人の移動"migration(マイグレーション)"を特に経済学の観点から研究されています。

日本においては、少子化問題等に起因する労働力不足に対応する社会の担い手の一員として、定年退職後の雇用延長者とともに外国人技能実習生を含む外国人労働者が期待されているのは知られているところですが、技能実習生に関して2017年に施行された「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」、2019年4月からの「出入国管理及び難民認定法」の改正により、彼らを取り巻く環境、雇い入れる側の環境は大きく変化してきています。

日本に住む外国人は何人くらいでしょうか。
佐伯さんは参加者の皆さんに尋ねられました。答えは現在約282万人で、毎年大きく増加しています。本格的に外国人との共生が問われる時代になり、特に2025年の大阪万博に持続可能な開発目標(SDGs、Sustainable Development Goals)を掲げている関西にとって、外国人共生は重要なテーマであると言えます。しかし、日本における外国人との共生の課題は取り残されていないだろうかと佐伯さんは問題提起されました。

11/27 「外国人と日本人がともに輝ける社会のために〜多文化共創による持続可能な社会開発」(ゲスト:佐伯康考(大阪大学共創機構社学共創本部 助教))

「我々が欲しかったものは労働者だったが、来たのは生身の人間だった」
この言葉は20世紀初頭に活躍したスイスの作家、マックス・フリッシュの名言として知られていますが、この言葉から一体どのような解釈ができるでしょうか。

労働者という言葉の意味と、生身の人間との違いはなんでしょう。生身の人間は怪我や病気もしますし、女性であれば妊娠もします。いろんな理由で突然働けなくなることは誰にでも起こりえます。子供を持つことも十分ありえますし、家族もいるでしょう。この言葉を念頭に置きながら、外国人労働者が一気に増加したここ30年間の日本を振り返ってみると、残念ながら、生身の人間のことをきちんと考えられていたとは言えないと、佐伯さんは指摘します。

日本では現在日本語教育の必要な子供が約4万人いるとされています。人口減の現況にある日本で再び経済成長を遂げるためには、外国人との共生により新たな価値を生み出す必要があり、そのためには日本で暮らす外国人への十分な日本語の指導が不可欠となります。
現状、日本語の教育が必要な人々のうち約6割強に十分な日本語教員がついておらず、支援の不足から国に頼らずに独自に予算をつける自治体も存在しているそうです。加えて今年春の調査では、そもそも学校にすら行けていない子供が約2万人近くいることが明らかになりました。在日外国人の中退率、非正規雇用率が著しく高いことも問題になっています。十分な教育を受けられず、将来、進学や雇用のチャンスに恵まれないという悪循環にいる彼ら彼女らのために、ボランティア頼みの構造を改良し、置き去りにされている家庭への教育支援こそが求められているのだ、と佐伯さんは主張します。

11/27 「外国人と日本人がともに輝ける社会のために〜多文化共創による持続可能な社会開発」(ゲスト:佐伯康考(大阪大学共創機構社学共創本部 助教))

持続可能な開発目標のテーマは「no man left behind」、すなわち「誰一人取り残さない」ことにあります。これは来たる2025年大阪万博の主要テーマでもありますが、5年後、再び「no man left behind」の言葉を振り返った時、果たしてそこにどれだけ取りこぼしなく多様性を含むことができているのかが、未来の日本を決定する分岐点の一つとなると言えるでしょう。

佐伯さんの外国人との共生の課題への経済学の面からの分析によるアプローチは、とても新鮮であり、明解なものでした。
外国人は私たちの生活にどんどん身近になってきています。日本社会の担い手として期待を寄せるのであれば、生身の人間として日本人と変わらない社会保障を望むのは不思議なことではないと感じました。

小沢裕子アーティスト・トーク 「言葉の乗り物たちの集会」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.11.23(B1事務局 サポートスタッフ 森)

11月23日、『鉄道芸術祭vol.9 都市の身体』の参加アーティストである小沢裕子さんをゲストに、アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」が開催されました。

アートエリアB1の運営委員である木ノ下智恵子さん、久保田テツさん、塚原悠也さん、そして展示している映像作品に出演された方々も交えて、小沢さんの作品に込められた「言葉」についての思想や『鉄道芸術祭』との関係が紐解かれ、有意義なイベントとなりました。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

トークは、まず小沢さんによるご自身の経歴と作品紹介から始まりました。

最初に、現在のアーティスト活動の最も初期に位置づけられるものとして挙げられたのが、《語呂合わせ》(2005)という映像作品です。これは芸大在籍中に制作された作品で、テレビやビデオなどから集めてきた様々な声を、まるでひとりの人間がしゃべっているかのように見せています。

発話の主体と話された内容を故意に一致させない本作品には、小沢さんの一貫したテーマである「言葉」に対しての姿勢がすでに表れています。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

次に、過去作品《James》(2014)や《デキリやギーゼ》(2017)、《SPEAKERS》シリーズ(2014~)を紹介し、展示している二つの作品の説明へと移りました。

本展覧会に合わせて制作された《石松三十石船道中》と《SPEAKERS》シリーズの新作は、いずれも、外国人居住者が大勢住む大阪の「異文化」性に焦点をあて、その考え方、感じ方の違いを小沢さんの「言葉」を扱う特徴的な手法で作品化したものです。今回の二作品を塚原さんは、従来の小沢さんの作品の特徴を維持しつつ、新たな可能性を見出すことに成功していると話されていました。

映像作品《石松三十石船道中》(2019)は、大阪に伝わる「浪曲」を伝言ゲームのように、それぞれ異なる文化、国籍を持つ5人に歌い継いでもらう作品です。参加する人々は浪曲というものや歌詞の内容を知らず、歌のメロディや世界観を自分で連想しながら表現し、次の人に歌い継ぎます。実際に作品制作に参加した方々に感想を尋ねると、各自が連想したイメージが全く違うことがわかりました。たとえば、最初に歌ったシナンジャさんはダンサーということもあって、身体も使いながらアグレッシブに歌われています。ところが、2番手を務めたニルミニさんにはそれが子守歌に聞こえたため、一転して静かに歌われています。このように歌い継がれるたび、浪曲はオリジナルからどんどん離れ、最後を担当したタピオさんが歌う時にはもはや独自のものへと変わっています。歌い継ぐことで失われた浪曲の意味が、5人の独自な表現によって補われていき、やがて異なるものへと変わっていく。この面白さに注目しながら作品を見ていただきたいと、小沢さんは仰っていました。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

もう一つの作品である《SPEAKERS 日本語学生の先生と生徒》(2019)は、これまでのSPEAKERSシリーズで初めて外国人を起用したことで、塚原さんが言う「新たな可能性」が見出される一つの要因となったことでしょう。

「言葉の二人羽織」とも言えるSPEAKERSシリーズは、会話の間にあえて他者を介在させることで、私たちが何気なく行っているコミュニケーションの困難さを作品としています。今回の作品では、中国人留学生の傅(フ)さんと姜(キョウ)さん、日本語講師の川村さんと後藤さんがそれぞれ「中国人と日本人」でペアになり、二人羽織のように会話が展開されます。川村さんは、中国語の発話が果たして肯定文なのか、質問をしているのか、そしてその言葉にはどんな感情がこもっているのかが理解できず、やりにくかったと述べられました。分からない会話の中でふいに笑いが込み上げたという川村さんのお話は、コミュニケーションを交わしにくい環境でどう振る舞うのかという、本作品の核心を突いているのではないかと思います。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

最後に小沢さんは、隠れキリシタンの間で江戸時代から歌い継がれてきた『オラショ』を例に、さらにご自身の関心について説明されました。オラショは、もとは海外宣教師によって伝えられた「意味」を持った歌でしたが、意味を知らない当時のキリシタンの間で伝承過程で、次第に独自の祈りの歌へと発展しました。言葉の意味が少しずつ失われ、最後にはわずかな音の片鱗しか残らなくとも、一方でそれによって新たな意味も生まれてくる点に小沢さんは強く興味を惹かれるといいます。言葉の伝達の難しさと同時に、それでも伝達を試みることで生じる変化や面白さ、そしてそのいとなみの尊さについて考える時間となりました。

12月に入り、鉄道芸術祭も残り数週間の開催となりました。まだまだ関連イベントも続きます。ぜひ一度、足を運んでみてください。

「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.11.13(B1事務局 サポートスタッフ 金城)

11月13日、「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」の関連として「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」を開催しました。

ゲストに、ポピュラー音楽や大衆音楽、近現代大衆文化史を専門とする研究者であり、大阪大学大学院文学研究科准教授の輪島裕介さんをお招きし、近代日本の大衆音楽史に沿って、カタコト、空耳、デタラメを歌詞にした歌謡曲="カタコト歌謡"をテーマに、時代における背景や人々の意識などを解説していただきました。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

まずは、明治時代の流行歌『オッペケペー節』を例にデタラメについてお話しいただきました。

『オッペケペー節』は日本最古のラップとも言われ、当時関西一円の寄席で様々な演者によってうたわれていました。 "オッペケペー"という言葉自体に意味はなく、言葉自体が新しく面白い反面、わけのわからない外来語に対する揶揄としても用いられたのではないかと言われているそうです。中でも民衆から人気を博した川上音二郎の『オッペケペー節』は、当時の洋服、洋髪、洋食などの表面的な西洋化政策への反発が歌詞全体から窺えます。

他には、中国の歌である明清楽『九連環』を耳で聞いたとおりに覚え、日本語風に変化させた『かんかんのう』や、"ラメチャンタラギッチョンチョンデ パイノパイノパイ"という不可思議な歌詞のある『東京節』(原曲『Marching Through Georgia』)などが紹介され、聞き馴染みのない外国語が謎めいたオノマトペに変化した背景がよく分かりました。

言葉の意味がわからないまま聞こえたとおりに歌われた例として紹介されたのは、沖縄民謡の名人である登川誠仁と照屋林助によるデュエット『ペストパーキンママ』(原曲『Pistol Packin' Mama』)です。

この曲は、外来の曲を三線を弾きながら、異国の言葉の響きのまま歌っています。アメリカ統治期の沖縄で青年期を過ごした登川誠仁が当時得意としていたネタだそうです。沖縄で定着した英語由来の言葉には、書き言葉に寄せることなく、聞こえる言葉からそのものが定着した例がいくつかあり、このことを輪島さんは「言葉というより響き」と表現されました。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

続いて、空耳について。

『タモリ俱楽部』という番組の人気コーナーのひとつ「空耳アワー」などを例に、言葉の音韻は分かるが、意味を知らないからこそ成り立つ可笑しさや面白さを説明していただきました。空耳には、外国の言葉を音として聞いた時に日本の言葉に聞こえる、或いは、外国の言葉風に聞こえるが語彙自体はナンセンスなものという特徴があります。その言葉の意味が分かるかどうかよりも、外国語話者たちや文化に対する先入観から、聞き手がそれらとどのような距離をとっているのかを自覚する装置になりうるかもしれないと輪島さんは言います。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

輪島さんはデタラメにおいて海外の文化の流入への抵抗を指摘されていましたが、最後のカタコトでは、日本語が英語に歩み寄っていくさまを教えていただきました。

昭和初期、レコード産業の隆盛に併いジャズが新しい大衆歌謡として根付きはじめた頃、アメリカ人がカタコトの日本語で歌うバートン・クレーンの『酒がのみたい』や、日本人が外国人風に歌うディック・ミネの『ダイナ』など、レコード盤の流通という経済的な戦略とともにカタコトの歌が生まれていきます。また、昭和47年、矢沢永吉、ジョニー大倉を擁するキャロルのデビュー曲『ルイジアナ』では、ジョニー大倉が歌詞を日本語表記からアルファベット表記に書き換え、日本語でありながら英語風に歌ったというエピソードがあるそうです。また、空耳とカタコトが異常な進化を遂げた例としてMONKEY MAJIK×岡崎体育の『留学生』という曲をご紹介されました。この曲では空耳とカタコトの要素が全て計算されて取り入れられています。

4_191113_labcafe-ft-tetsu9.JPG

そもそも日本語は外来語を借用しやすいのだそうです。日本語は、表意文字・表音文字を併用でき、異なる言語との出会いにバイアスがかかり、外国語がデタラメ、空耳、カタコト化すると輪島さんは言います。明治時代には風刺として、昭和から近年にかけては娯楽として、各年代それぞれにデタラメ、空耳、カタコトが何かしらのツールとして社会的に重要な役割を果たしていることを理解できたのと同時に、それらが私たちの耳から離れないある種の呪術的とも言いうる要素を持つものだと実感しました。

アートエリアB1では現在、都市と身体の関係性に着目した企画展「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を12月29日まで開催しています。
本展の参加アーティストのひとりである小沢裕子さんは、日本人と外国人双方の言葉によるコミュニケーションのあり方などについて考察した2つの新作映像作品を発表しています。なかでも、大阪発祥の語りの芸能である「浪曲」に着想を得た作品《石松三十石船道中》では、5カ国5人の人々が、言葉の意味がわからないまま聞こえたとおりに歌い、さらに、その歌を伝言ゲームのように歌い継いでいます。言葉の意味が抜け落ちた歌には、国や文化、生活環境などの背景によって異なる受け取り方がされ、それぞれの感知や記憶が投影された独自のものへ変容していく様子が浮かび上がっています。
引き続き、皆さんのご来場をお待ちしています。

「コレクション特別展示 ジャコメッティとⅡ」と「鉄道芸術祭vol.9」を巡る夜
中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1

 2019.11.1(B1事務局 サポートスタッフ 毛利)

鉄道芸術祭vol.9が始まり1週間が経とうとしている11月1日、"人とまちの知と感性を育むクリエイティブ・シンキングの場と時間"をテーマに、中之島の文化施設ツアーやトークを開催する「中之島夜会」として、国立国際美術館「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」アートエリアB1「鉄道芸術祭vol.9」を巡るスペシャルツアーを開催しました。

11/1開催 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

まずは、国立国際美術館のコレクション展「ジャコメッティとⅡ」を、企画を担当された橋本梓さんのナビゲート付きで鑑賞するガイドツアーを行いました。

「ポートレート」をキーワードに美術の歴史を紐解いていく今回のコレクション展。
美術館がコレクションを増やしていく過程のストーリーとともに、現代美術の中でのジャコメッティの位置づけを見ていきました。

会場入口には哲学者・矢内原伊作が撮影したジャコメッティの彫刻作品「ヤナイハラ Ⅰ」制作過程の写真が展示されています。1つの彫刻ができるまでの過程が写った2年間の数十枚の写真とともに完成した彫刻作品「ヤナイハラ Ⅰ」が置かれています。この彫刻作品は制作開始2時間でほぼ作品の原型ができていたようです。しかし、何度も何度も顔の細部(特に鼻)を作り直し完成まで2年もの歳月がかかりました。
ジャコメッティの「見えるものを見えるとおりに表現する」が体現された作品として油彩画の「男」も並べて展示され、対象をとらえる手段として顔を描くポートレートの意味を考えさせられます。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

「ヤナイハラ Ⅰ」は、ある意味でジャコメッティと矢内原伊作との共同作品とも言えます。この作品を完成させるために矢内原氏は大阪大学で教鞭をとる合間を縫って何度もフランスへと渡り、何時間もじっと座り続けモデルを務め、世界でも希少なジャコメッティの制作過程の記録を残しました。ジャコメッティもまた「ヤナイハラ Ⅰ」を制作しながら、渡仏することさえ難しかったその時代で矢内原氏のために許可証や宿のサポートを全て負担し、2年もの時間をかけて彫刻作品を完成させました。お互いの協力と支援、忍耐、執念がなければこの作品を完成させることは難しかったでしょう。
「共同」の要素は展覧会の他の作品にも見て取れます。会場入口すぐに目に入る映像作品、加藤翼の「言葉が通じない」は作者自身と韓国人の男性との共同作業を撮影したものです。日本語しか話せない加藤翼氏、韓国語しか話せない韓国人男性は時にディスコミュニケーション、誤解を生みながら日本海の離島、対馬を目指します。時折挟まれるすれ違いに笑いを誘われながらも、二人の国の背景やその間にある問題、国が違う者同士の対話のあり方を考えずにはいられない作品です。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

ポートレートは絵で描かれるものだけではありません。トーマス・ルフは真正面からバスト・アップの写真を撮り、2mほどの高さに大きく引き伸ばしてプリントアウトすることで手のひらサイズの写真から漂うのとはまた違った被写体の不思議な空気を作り上げます。
プリンティングあるいは過剰なズーム・アップによって対象となる人を新たに見つめ直す契機を与える例もあります。北野謙は数十名の人物を撮影した写真を重ねて焼き付け、輪郭や顔をぼやけさせることで写っている集団と個の存在について問い直します。石内都は人間の生きてきた過去を表わすポートレートとしての傷に注目し、クローズ・アップして写真に残します。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

さらに奥へ進んだコーナーで注目すべき点は、女性アーティストの作品ばかりが展示されていることです。美術館で展示コレクションを入れ替える際には収蔵品リストをひたすら読み込むことから始まるそうです。橋本さん自身も美術館が過去の展覧会でなぜこの作品をコレクションしたのか、そして各作品の共通点などを考え、その中で非ヨーロッパの女性作家のポートレートのコレクションが少ないことに気が付いたとのことです。その疑問を反映し、このコーナーではより多様な表現として、「落穂拾い」などの著名な西洋絵画のレプリカをタイの村に展示し、村の人々が異文化の国からやってきた絵画を鑑賞しながら自由な反応・会話を繰り広げる様を捉えたアラヤー・ラートチャムスックを始めとしたアジア圏の女性アーティストの作品が展示されています。

展示会場の一番奥にあたる部屋では、ジャコメッティについての知られざるストーリーを題材に美術史を再検証したテリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラーの映像作品を展示。ジャコメッティが実現しなかったフィクションの要素も含めた映像で、彼の物語を見直していきます。


一行は京阪電車で移動し、次はアートエリアB1へ。鉄道芸術祭vol.9「都市の身体 ~外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私の声~」の観賞スタートです。

国立国際美術館では後世に作品を残すためコレクションされたものが展示されていましたが、一方でアートエリアB1ではまだ生まれたばかりの今の時代の作品を展示しています。対象的な展示の文脈もふまえつつ、今回は3名のアーティスト作品を当館運営委員のひとりである木ノ下智恵子さんのナビゲートで見ていきます。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

ジョンペット・クスウィダナントさん
インドネシアの複雑な政治性と、作家自身の個人的な記憶を結び合わせるような作品を発表しています。
一見デモ隊の行進に見える展示ですが、新作《Procession》は木製のおもちゃや子供時代に聞いていた、軍事政権統制下にあったポップミュージックを用いて自分の青春時代を表現しています。一方、2012年制作の《The Contingent #5》では今にも爆裂な音を奏でそうな楽器やマイクを持った人形が立っています。インドネシアのかつての独裁政権と民主化への移り変わりを背景としたこの作品は、喧騒と熱気を彷彿とさせる反面、そこにいるはずの人物の実体がありません。祝祭と暴力、記憶と歴史、喧騒と静寂を対比させることで自身のアイデンティティーやインドネシアの社会を表現した作品です。

中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜(撮影:表恒匡)

武田晋一さん
「運ぶ」をキーワードに、海外から日本に来たものとしての鉄道、時間という概念、外来種の雑草「鉄道草」を用いた作品を展示しています。武田さんは展示するまでの運搬行為も作品の一つとして扱うことを特徴としています。本展でも活動拠点である奈良の東吉野村から展示会場の中之島までコンパクトに梱包した作品を身一つで運び込み、その行程を撮影して映像作品として展示し、武田さんが関心をもつ「運ぶ」行為のあり方を呈示しています。本展における武田さんの作品はジョンペットさんと小沢裕子さんの作品を緩やかに結ぶと同時に境界としての役割を果たしている点にも是非注目してください。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

小沢裕子さん
言葉と身体の関係に焦点を当てた作品を作られており、本展での作品も映像の中の人物たちと鑑賞者の間で起こる微妙なズレを感じさせることで、言葉をどう捉えるか考えるきっかけを生み出しています。《石松三十石船道中》では5ヶ国5名の人々が伝言ゲームの形式で浪曲を聞こえたままのイメージ、音で順々に歌っていきます。本作では、それぞれの背景や人となりによって全く異なるイメージで受け取られた5者5様の《石松三十石船道中》と歌い継がれる過程でそれぞれのイメージが重なり合い少しずつ変容していく浪曲が捉えられています。《SPEAKERS 日本語学校の先生と生徒》は他者の身体を介したコミュニケーションを行う実験的なシリーズ作品の一つです。日本語教師と日本語を習い始めたばかりの中国人留学生に、他者からの声だけを手掛かりに発話・コミュニケーションを行ってもらうことで会話の構造、コミュニケーションをめぐる認識を改めて露見させています。


 橋本さんの解説の中で「アートは社会を映す鏡」という言葉が出ましたが、作品との出会いを通じてデジタルやグローバルにより世界が広がり表現が多様に広がっていること、しかし人間をとらえることへの探求は現代でも変わっていないことをどちらの展示からも感じました。
また、橋本さんも木ノ下さんも普段なかなかお話を聞けないお二人とあって、質問タイムでは美術展示に関わる仕事についても質問がありました。「共働」や「都市」といった現代人が生きる中で関わる要素を表現するアーティスト、作品のストーリーを組み合わせて展示をつくるキュレーター、そしてそれを受け取る鑑賞者がアートで繋がった瞬間を感じたイベントとなりました。

≪  2019年11月  ≫

  2020年4月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    

スタッフブログ カテゴリ一覧