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「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」(飯田和敏さんをお迎えして)

 2017.6.7(B1事務局 サポートスタッフ 田中)

5月31日(水)、サーチプログラムvol.6の関連企画として「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」を開催しました。ゲストには、「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」、「巨人のドシン」など、革新的なビデオゲームを手掛けたゲームクリエイターの飯田和敏さんにお越し頂きました。

「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」などの一風変わったシステムの理由や、それぞれのゲームをどのように考えて作り上げたか、そしてクリエイターとしての創作に関する姿勢などもお聞きしました。

〜「太陽のしっぽ」 〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

まず飯田さんの手掛けたビデオゲームの代表作のひとつ「太陽のしっぽ」を実際にプレイしながらご紹介頂きました。 1996年に発売されたプレイステーション用ゲームソフト「太陽のしっぽ」は、原始人となったプレーヤーがひたすらゲーム空間を探索する元祖オープンワールドとも呼べる無目的的な怪作ゲーム。それまでのゲームの制度やセオリーに挑んだ内容は実に挑発的で、例えば以下の様に当時に「当たり前」の正反対を張る内容があげられます。

・ゴールが設定されていない。
・ミッションが存在しない。
・アバターが突然眠りその間プレイヤーはコントロールできない。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

例えば原始人が睡眠をとるタイミングはプレイヤーがコントロールできず、原始人は急に眠ってしまいます。そしてプレイヤーはただ画面を見ながら待っていることしかできません。寝ている間に鳥につつかれて体力が減ってしまったり、海の中で寝てしまい、寝たまま亡くなるということもあるそうです。

一聞すると理不尽とも単なる悪戯にも思えるこのシステムには、開発当時の飯田さんのこんな思いが反映されてるのだそうです。

製作を進めている際に、「原始人を操っているこのプレーヤー自身は(ゲーム空間において)一体何者であるのか」と疑問に思ったそうです。原始人たちが崇め奉る神のような存在、または、原始人の守護霊のような存在がプレイヤーなのかもしれないと仮定し、そのような視点からアバター(原始人)を操ると、思い通りに動かせない事が当然ある。けれども、あまりにも思い通りにならないとゲームにはならないので、思いがけないところで急に眠るというシステムが生まれたそうです。

また、話題はゲームの境界=世界の果てにまで及び、「始点と終点を結ぶ閉じた世界」は敢えて採用せずに決して渡りきれない海を設定するなどして、原始人がゲーム内で絶対にその先に行けない領域を作ることでゲーム世界の果てを設定しました。これは、西遊記において孫悟空が釈迦の掌で世界の果てを見た世界観を、飯田さん流にプレーヤーと原始人のアバターの関係に昇華させたものだったそうです。

 

〜「アクアノートの休日」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

続いて代表作品の一つである、「アクアノートの休日」(1995年発売)をご紹介頂きました。プレイヤーの一人称視点でひたすら海の中を自由に散策するゲームシステムは、「太陽のしっぽ」から続くオープンワールド形式を踏襲。海の中をどこまでも自由に探検できるのです。BGMは特になく、波や海の中の音が聞こえてきます。一人で遊んでいるとどうやらとても孤独になるそうです。

こちらも「太陽のしっぽ」と同じように、クリアしなければならないミッションや目的が設定されていないゲームで、 「太陽のしっぽ」も「アクアノートの休日」も3D空間の自由を楽しもうということで作られました。よって、ビデオゲームによくあるミッション遂行の使命や、難易度の上がっていくステージはありません。これらを発売した当時は、ハードの性能も上がりポリゴン表現技術で3Dの仮想景色を自由に表現出来るようになった時代でした。その世界を十分堪能するために、制限時間や目的を設定せずに、プレイヤーにとってストレスのないゲームを作りたいという飯田さんの意思が伝わって来ました。

もともと芸術大学を卒業後にゲーム制作に携わり始めた飯田さんは、拡張する表現方様式の一つとしてゲームの可能性を捉えていたそうで、アートの役割には従来の価値観/制度に挑戦していく社会的機能があるという持論の上に制作されたゲームは、敢えて挑発的で時に人を驚かせるシステムが採用されていきました。


そして、話題は2009年にwiiで発売されたゲームソフト「ディシプリン*帝国の誕生」へ。

〜「ディシプリン*帝国の誕生」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

「ディシプリン*帝国の誕生」は、「太陽のしっぽ」「巨人のドシン」の後に制作された異色な作品です。舞台は厳戒体制が敷かれる監獄・ディシプリンです。プレイヤーは、現実に起こった事件の犯人たちをモデルとした、投獄されている囚人たちと会話することができます。

飯田さんは「ディシプリン*帝国の誕生」の製作前、私たちの世界は残酷なものとつながっていると悟ってしまった時期があるそうです。「ディシプリン*帝国の誕生」を作ろうとしたのも、私たちの本当の日常の世界を知らなければいけないと思い立ったからだそうです。見て気持ちのいいものしか触れない、関わろうとしなければ、いつまでたっても自分中心でしか考えられなくなると考えたそうです。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん生活している中でメディアに乗った情報としてしか接する事のない事件の犯人。実際には同じ世界を共有する人間であることを無自覚的に忘れていることをこのゲームでは迫ってみせています。

『映画や本に比べて現場感が違うんですよね。(ビデオゲームでプレイすることにより)自分がその映像空間の中にいるということになっているので、そのテキストが友人との対話レベルで分からなきゃいけないという感覚が(ビデオゲームには)ある。』と飯田さんは言います。

現実世界にある物理的な距離、時空的な隔たりをゲームの世界は易々と乗り越える。「ディシプリン*帝国の誕生」の製作を通して、ぎりぎりのところにも遊びは現れると気づいたそうです。

ハードの性能、ネット技術、ソフトの進化は過去とは比肩できないレベルでその進化は日々進化している中で、「ビデオゲーム=子供の遊び」は既に古い概念となり、ゲームは確実にもう一つの現実世界として機能し始めている。常に完成された権力としての制度を疑うことで、ビデオゲームの遊びの領域を拡張してきた飯田さんのゲーム開発。これからどのようなゲームと遊びが飛び出してくるのかとても楽しみに思えるトークとなりました。

 
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▽ 「膜であるヒトの内と外」(永田和宏さんをお招きして) - 2017.6.6(B1事務局 サポートスタッフ 川原)

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