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リュミエールから出発した、映像の「自生性」について

12月2日(水)、現在開催中の鉄道芸術祭vol.5の関連プログラムとして、東京藝術大学大学院教授であり映画監督もされている諏訪敦彦さんをゲストにお呼びして、「リュミエールと小津から出発する、映像にまつわる旅」と題してトークプログラムを開催しました。

鉄道芸術祭の会場入口には、ホンマタカシさんの手による、リュミエールと小津安二郎の映像が並べられている作品が展示されています。

今回のプログラムでは、鉄道、駅、列車を待つ人、車窓、移動、旅、西洋と東洋などなど、実に多様なイメージが喚起されるその作品をめぐって、諏訪さんが持ってきてくださった沢山の貴重な映像資料や、諏訪さんが監督をされた映画を観ながらトークが展開されました。さらに、展覧会プロデューサーのホンマタカシさんも急遽東京からお越しくださり、終盤はお二人で小津について対談するという、スペシャルな回となりました。

トークは「映画」を初めて作ったとされるリュミエール兄弟の話からスタート。

151202リュミエール1

スクリーンへ映写して沢山の人と観ることができる映画の形を作ったのはリュミエールが最初と考えられており、フランスでは「映画はリュミエールから始まる」といわれています。(ちなみにアメリカではエジソンが先に作ったとも考えられ、「エジソンから始まる」ともいわれているそうです)

当然のことながら、リュミエール兄弟の作品を初めて観た人々は、映像が「動く」ということに非常にショックを受けました。

151202リュミエール2

紹介されたリュミエール兄弟の作品「港を出て行く小舟」では、外海に漕ぎ出そうとする船を女性が見送るという構図がしっかりつくられています。しかしこの作品で観客が最も驚き、一番伝わったことは「海」でした。作者が意図した主題よりもそこに実際にあるとしか思えないほどリアルに映し出された自然そのものに、当時の観客たちは驚いたのです。上映が終わった後、本当に水が無いかどうかスクリーンを触って確かめる人がいた程でした。

現代に生きるわたしたちは、映像を観ることに慣れてしまっているので、その映像が何を伝えようとしているのか、ということをすぐに理解してしまいます。しかし察してしまうからこそ、それ以上のものを見ようとしなくなる。(あるいは、分かったつもりになって、そこに映っているものを見ていないのかもしれません)現代のわたしたちが失くしてしまった感性が、当時の人にはあった、という諏訪さんの言葉がとても印象的でした。

151202諏訪さん

別の紹介作品は、森の中の木の壁の手前で女装した男二人が騒いでいる、途中あるカットで急に瞬間移動したかのように壁の向こう側へ男二人が移動していて、別の男が来て壁の手前からイタズラを仕掛けるというコミカルなもの。

この作品からは、映像初期における演出の失敗を見ることが出来ます。作者の意図としては最初から女装の二人は壁の向こうに居て、そこにイタズラを仕掛けてくる男が来るという構造なのですが、「壁があって二人が見えない」という理由から最初は手前でやってしまっているというもの。今であれば壁の反対側から撮ればいい話ですが、当時はカメラは動かなくてもいいよね、また映っている森も舞台や絵画と同じような「書割」感覚で使用したため、どれも森で一緒だから(変わらなくて)いいよね、という考えで撮られていたのです。

カメラは全てを等価に撮るため、背景としての「森」という概念は撮れず、森は単なる背景にはならなく失敗したという例で、こういった失敗を繰り返して段々と今の映像表現へと繋がっていきました。

また別の作品では主題、主人公について。

現在の映像形式では、背景に何がいてもカメラは主人公を追い、それ以外の作者が企んでいないものは切られます。

151202少年 151202リュミエール3

カメラには様々な情報が等価に映るものの、見る側は構図や編集されたカットの前後関係で大事なのが主人公だと理解し、それ以外のものは必要のない情報として忘却してしまい、(作者の意図した)見るべきもの、主題となるものだけが残るように選別されています。このように、カメラは世界を過ぎ去っていきますが、たとえ映っていなくとも世界は人間の理解を超えた力を持っていて、それは常に起きている。それが映像における「自生性」なのです。

「カメラは世界に対して開かれている。」という言葉が、象徴的でした。


最後にはホンマさんを交えての対談となり、鉄道についてや小津についてのトークがあり、終了。

光善寺のカメラオブスキュラについて、あれはただ現実を上下反転して映しているだけなのに何故惹きつけられ、見てしまうのかという話になり、ホンマさんは、現実なんだけどコマ数が落ちているように感じ、時空を超えた何かに見えると仰っていました。

151202_4.jpg

最後のホンマさんの言葉。

「みんな映像にリアルを求めるけど逆に現実じゃないなっていうところが面白い。元々、(写真の)止めたってことで変。不自然なんだから止まってることに驚くべきだった。」

いかに現代の映像の撮り方、見かたに我々が慣れてしまっているか、勝手に情報をシャットダウンしてしまっていることの多さに驚き、仕組まれた見易いものをだけを見ているのだなと改めて感じ、それは必ずしも悪いことではなく現代に生きる上で必要なことなのでしょうけれど、本当は何が「見え」ているのかということ、見逃しているかも知れないもっと沢山のことがあるのかと「見る」ことを再度発見してみたくなりました。今回の展覧会のテーマである「見ること」に直結した、非常に視野の広がるお話でした。

 
△ 建築を考えることは「振る舞い」を考えること - 2015.12.5(B1事務局 サポートスタッフ林、菊池)
▽ 『光の世紀』から『記憶の世紀』へ - 2015.11.20(B1事務局 三田)

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