スタッフブログ

クロージング・トークセッション「いとうせいこうとめぐる都市の身体」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.12.22(B1事務局 サポートスタッフ 深川)

10月26日から約2ヶ月にわたって開催してきた鉄道芸術祭vol.9「都市の身体〜外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私たちの声〜」が、とうとう閉会となりました。

展覧会ならびに関連イベントを通じて多くの方にご参加いただいた鉄道芸術祭のクロージングを祝して、ラップ、小説、詩、MC、演劇etc...さまざまなフィールドを横断しながら言葉の表現に挑戦し続ける、いとうせいこうさんをスペシャルゲストにお招きして、本展参加アーティストの小沢裕子さん武田晋一さんとのトークセッションを開催しました。

いとうせいこうさん独自の視点と巧みなトークによってアーティストたちと作品の様々な側面が引き出され、会場は終始笑いと熱気に包まれ充実した時間となりました。

▶︎クロージング・トークセッションの詳細はこちらから

ギャラリーツアーはジョンペットさんの作品からスタート

 

前半は、いとうせいこうさん、武田さん、小沢さんによるギャラリーツアーです。
2人のアーティストがいとうさんに自ら作品解説を行いました。

《running》の説明をする武田さん本展で、武田さんは雑草を自ら漉いてつくった紙、複数枚の木の板から構成されるベンチ、ご自宅の庭から刈ってこられたススキ、雑草など、身近で素朴な素材からなる作品を発表しています。

会期中、特に多くの注目を集めていた鉄道草ことケナシヒメムカシヨモギを使った新作《running》。時計の動く仕組みを利用した土台に刺された鉄道草が列をなし、ゆっくりと時計回りに回転する作品です。鉄道草は日本の鉄道の展開とともに全国に広がっていった植物であることから、本展のタイトルにも含まれる鉄道と都市にも深く関係する草です。一方では、都市における雑草のしたたかな戦略を、他方では私たちの身体に染み込んでいる都市の時間感覚を象徴的に扱った作品であると武田さんは語ります。



《石松三十石船道中》の説明をする小沢さん



一方の小沢さんは、本展に参加することになった際、頭に浮かんだのは「大阪」と「伝統芸能」をテーマにすることだったそうです。大阪をテーマに設定したとき、見えてきたのはたくさんの「外国人観光客」だったといいます。そこから着想を得て、外国人と日本人の方々に協力してもらいかたちになったものが今回の浪曲、言葉、コミュニケーションを用いた作品でした。

出展作品である《SPEAKERS 日本語学校の先生と生徒》と《石松三十石船道中》は、どちらも日本語話者と日本語話者でない人々が登場します。そして、耳で聞き取った言葉を意味がわからないままに、自分の口から発して(歌って)相手に伝えたり、感情を表現するという点で共通しています。
この作品の制作後、小沢さんが外国人参加者に感想を尋ねてみたところ、「(言葉の意味が)わからなくても、わかっているような演技をした」という答えが返ってきて、「人間は言葉に意味が伴っていなくても演技をする生き物なんだな」と感じたと述べました。



ギャラリートークを踏まえて、後半はアーティストたちの過去作を参照しながらのトークセッションです。ここからは、印象的だったいとうさんのコメントを引用しながらトークを振り返ります。

後半のトークセッション風景

「あえて無関心なものを展示する。自分の意識なんて大したことじゃない。関心のあるもの=自分の好きなものということは、ほんの小さなことなんじゃないかな。」


いとうさんと武田晋一さんとのトークでは、「無関心」というワードが印象的でした。武田さんの過去の作品の一つに、本棚を運ぶ、というものがあります。本棚の中には武田さんがまだ読んでいない本が詰められており、それを観賞者が自由に読むことができるという作品です。

"まだ読んでいない本"という点に着目したいとうさんから、「無関心」というワードが出されました。無関心というと冷たい印象を受けますが、無関心とまではいかないまでも、武田さんと作品との間には何ともたとえがたい距離感があるように思います。



いとうさん(中央)と武田さん(右)

「ものを運ぶ武田さん自身が、移動しながら行った先で作品を開いては、また作品を運びながら移動する植物みたいになっちゃったんだ。」


武田さんの作品は展示する場所、移動手段など、その空間、その時々の条件や要素を踏まえて構成されています。今回も、鉄道芸術祭のテーマである鉄道、都市と身体の関係ということから作品が発想され、移動手段である電車で運べるよう設計され、また会場ではジョンペットさんや小沢さんの作品とも関わるような展開がみられます。こうして様々な条件に合わせていくことで成立する武田さんの作品は、ある意味で「主体がない」と言えるようにも感じます。

過去の作品を振り返る中で、全く知らない土地で制作・展示を行うのは「違うなと感じる」と語る武田さん。作品をつくり、運び、展示し、持ち帰り、保管するまでを自らの手と足で行うことで、土地との関わりは深まっていきますが、こうした過程のどの段階も等しく、淡々と行われているので、まるでそこに武田さんが居るような居ないような、やはり作品との不思議な距離感が感じられます。武田さん自身の関心はどこにあるのだろうかと、奈良からアートエリアB1へ作品を運ぶ姿を映像を通して見ながら考えさせられました。



小沢さんとのトークセッション風景

「小沢さんには、〈痛み〉の側から言葉に対抗するという姿勢がある。〈非言語〉の側に自分が立って、言語をどう捉えるかを考えるってすごいことじゃない?」


小沢さんといとうさんのトークセッションでは、「歌」や「音色」ということに関心が集まりました。まず小沢さんから、痛みを言葉に表現したくないという話がありました。痛みというのは、その人、その時に固有の状態という意味で一回性でしかないものなのに、既にあるもの(他者がつくってきたもの)に書き換えなければいけないのは切なく、言葉に書き換えてしまうことで失われてしまうものがあると感じているそうです。いとうさんは、その単語と単語の間で失われてしまうものを表現するのが音色なのではないかといいます。



いとうさん(中央)と小沢さん(右)

「言語よりも最初に歌があったんだと思う。でも歌だと長いから、歌から切り出して短い言語をつくったときに人間の言葉から音色は切り離された。前は、人間は鳥みたいに歌っていたんじゃないか。」


小沢さん自身も過去の映像作品の中で、出演者の方が自分の懐かしい歌を歌うことで、体と表情が合致したところを見たという経験があったそうで、音色と体が切り離せない関係にあることを感じていたそうです。またいとうさんは、歌には恐怖や苦痛をなくす力があると指摘されました。歌には辛さを軽くする力があり、それは人を救う反面、とても怖いものでもあるとおっしゃいます。「言葉と体を引き剥がす」をテーマに制作されている小沢さんは、自分の意識と一致していると考えられている言葉から、自分(主体)を取り除き、言葉そのもをむき出しにしようとしていると言えます。

あえて主体をなくそうとする小沢さんの作品と、一個人ではなく群衆の中から多様な訴えや感情が湧き上がってくる様子を表現するジョンペットさんの作品、そして周囲の環境や条件に委ねながら作品をつくりだす武田さんの制作態度には、表現の主体として自分のみに重きを置かないという点で共通するものがあるように思えました。こうしてみると、小沢さんが提案したという本展の副題「外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私の声」は、この3人のアーティストのものごとの捉え方を正確に表した言葉になっているのではないかと感じます。



12/22 鉄道芸術祭vol.9クロージング・トークセッション 「いとうせいこうとめぐる都市の身体」



今回のトークでは、それぞれの作品やお話に対するいとうさんの反応とアーティストたちの返答をとても近い距離感で見聞きすることで、みなさんにとってもより深い作品の理解に繋がったのではないでしょうか。いとうさんの豊富な知識と巧みな話術によって、作品のみならずアーティストたちの人間的な一面も引き出されるなど、発見と笑いの絶えないクロージングイベントとなりました。

こうして秋から冬にかけて走り抜けた鉄道芸術祭vol.9は、無事にゴールを迎えることができました。何度も足を運んでくださったみなさま、ふらりと立ち寄ってくださったみなさま、イベントに参加してくださったみなさま、本当にありがとうございました。

2020年も鉄道芸術祭はまた新たな形で開催予定ですので、引き続き楽しみにしていただけたら幸いです。

 

写真:表恒匡

「都市の身体を形成する交通インフラー東京資源区からの提言ー」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.12.20(B1事務局 サポートスタッフ 林)

12月20日に、ラボカフェスペシャルfeaturing 鉄道芸術祭「都市の身体を形成する交通インフラ」が開催されました。

12/20「"都市の身体"を形成する交通インフラ」ゲスト:吉見俊哉さん(社会学者/東京大学大学院情報学環教授)

ゲストは、社会学者で『視覚都市の地政学』(2016)や『都市のドラマトゥルギー』(1987/2008)など、都市に関する著作も多い、吉見俊哉さん(東京大学大学院情報学環教授)。カフェマスターは、木ノ下智恵子さん、久保田テツさん(アートエリアB1運営委員)です。

今年の鉄道芸術祭vol.9のテーマは「都市の身体」です。われわれは「都市」に暮らしながらも「都市」の形成過程や、そこで生まれる身体感覚についてあまり考える機会はありません。今回は、都市が過去から現在までどのように発展し、鉄道などのモビリティがどのようにそのあり方に関係するのかを、「東京文化資源区」という東京の北東部で展開されているプロジェクトに絡めながらお話いただきました。



12/20「"都市の身体"を形成する交通インフラ」ゲスト:吉見俊哉さん(社会学者/東京大学大学院情報学環教授)





《都市の時間軸》

都市における身体感覚を考えるにあたって、まず吉見さんが着目されたのが「時間の体感」すなわち「速さ」です。都市における時間の歴史とは、「速い」ものが推奨され「遅い」ものは淘汰されていく過程だと言えます。そのため、「近代の時間」というものを作るうえで最も重要だったのが鉄道です。鉄道の時刻表の制定は、国土全体に共通する一つの時間軸を生み出しました。
東京では、1964年の東京オリンピック開催により大規模な都市改造がおこなわれた際、首都高速道路、東海道新幹線、地下鉄・東京モノレール、超高層ビルなどが構築されました。これらは「より速く、より高く、より強い」東京を実現するためのものであり、速さこそが絶対的な価値を持っていました。

しかしその一方で、大規模な開発により江戸時代から続く街並みが破壊され、川や堀の上には高速道路がかけられ、運河や路面電車はその役割を失っていきました。吉見さんは、この変化で失われたものたちを問い直し、再評価するのが現代の課題であると言います。実際、2017年には日本橋の首都高速道路地下化の話が出るなど、川辺や水辺を復活させようという動きは、東京でも大阪でも見られるようになっています。

高度経済成長期を通り過ぎた日本は、成熟社会に突入し、低成長が続くと予想されています。再来するはずのない高度経済成長を追い求めるのではなく、低成長のなかでどう豊かさを追求するかが、今後の鍵となります。2020年代の価値があるとすれば、もやは「より速く・より高く・より強く」ではなく「より愉しく・よりしなやかに・より末永く」というのが吉見さんの考えです。ではその新しい価値を実現していくには、どうしたらよいのでしょうか?



12/20「"都市の身体"を形成する交通インフラ」ゲスト:吉見俊哉さん(社会学者/東京大学大学院情報学環教授)



≪東京文化資源区プロジェクト≫

その一つのモデルとなるのが、吉見さんが7、8年前から様々なかたちで携わる「東京文化資源区」というプロジェクトです。「東京文化資源区」は、東京都心北東部の谷根千、根岸から上野、本郷、秋葉原、神田、神保町、湯島に至る地域を指します。半径約1.5Km〜2Kmの地域で、おおよそ中之島の長さを直径とした円ほどの範囲に相当します。この地域には江戸時代からの文化的資産が集中しており、プロジェクトでは、道路や鉄道により分断されてしまった地域同士をつなぐ仕組みを構築しようと、「上野スクエア構想」「本郷のキオクの未来」など、多くの取り組みが同時多発的に展開されています。 その中で吉見さんが注力しているのは「トーキョートラムタウン構想」です。

「トーキョートラムタウン構想」とは、東京のJR山手線と都営大江戸線の2大環状線に次ぐ、第3の環状線として路面電車を復活させようというプロジェクトです。 なぜ電車でもなく地下鉄でもなく、路面電車(トラム)なのか。

その理由は、路面電車であれば、人が街とのインタラクションを維持しながら移動することができる点にあるといいます。山手線の電車は時速約40~50Kmですが、トラムは約13~15Km。これはちょうど自転車で走るぐらいの速度であり、歩行者と同じ空間を共有できる速度です。 地下鉄の場合、もちろん移動はできますが、地上の街の風景を楽しむことはできません。また地上でも電車では速度が速く、駅間の距離があるため、窓から素敵なレストランやカフェやお店を見つけても、じゃあ次の駅で降りて歩いて戻ろうといったことはなかなか難しい。また、交通工学の専門家によると、「乗り物の適正な窓の大きさと速度は反比例する」そうです。つまり、速い乗り物の窓が大きいと、乗っている人に不安を与える結果になります。路面電車ぐらいの速度ならどれだけ窓が大きくても不安感を与えることはないため、乗客は思いきり周囲とのインタラクションを楽しめます。 そして路面電車が通ると、街としても常に見られているので綺麗になっていきます。つまり、路面電車は街を活性化していく一種のメディアになれると、吉見さんは言います。

実際に欧米ではトラムの復活が大きな流れになってきており、オーストラリアのアデレードでは、トラムが運賃無料で運転していて、トラムは言うなれば「動く歩道」ならぬ「走る歩道」と考えられているそうです。 速さ重視の電車や地下鉄から離れて、東京でも大阪でも都心部に無料の路面電車を通すことで、モビリティの経験が豊かになり、都市としての在り方を大きく変化させることにつながっていくと吉見さんは主張されていました。



12/20「"都市の身体"を形成する交通インフラ」ゲスト:吉見俊哉さん(社会学者/東京大学大学院情報学環教授)



≪多層的な都市の歴史≫

ここまででお話されたのは、いわば現在の私たちの時間の流れですが、「都市の時間」にはもうひとつあります。それが、数百年単位の時間の流れです。

そもそも、時間というものは直線的ではないと吉見さんは言います。一本の直線のように時間が未来に向かっているのではなくて、現代の都市の至る所に、数百年単位の歴史の痕跡が残されていて、私たちは都市の中でこのいくつもの時間を経験することができます。つまり、都市の時間の中には未来に向かう時間もあるけれども、江戸の時間、明治の時間というように異なる時間が空間化されて都市に存在している。その異なる時代の時間をつなぐことによって、現代の都市の時間はもっと豊かになる、ということです。

例えば、吉見さんが注目されている東京の北東部には、戦前まで東京の中心であった上野・浅草があり、明治維新後は近代的な美術館・博物館などの展覧会場が次々に建設され、最先端の文化が花開く場所でした。さらに神保町や神田には、東京大学の旧キャンパスや一橋大学など多くの大学が集まる大学街があり、大正期には魯迅や孫文、周恩来をはじめとする5万人もの中国人留学生がいて、アジアとのつながりが深かい地域でもありました。また、江戸時代の名残が強いのも北東部ですが、江戸は参勤交代によって全国の文化が入り混じるコスモポリタン的な性格を持っていたそうです。このように東京の北東部には、現代における都市の在り方を模索するうえで、オルタナティブとしての東京を描くためのエッセンスが大量に残されているようです。

12/20「"都市の身体"を形成する交通インフラ」ゲスト:吉見俊哉さん(社会学者/東京大学大学院情報学環教授)



吉見さんの目には、大阪と東京がパラレルな関係にあるように見えるといいます。というのも、中之島には美術館やホールに、このアートエリアB1など新しい施設がある一方で、江戸時代から続く川辺や明治時代からある建物など、異なる時間のものが存在しているからです。異なる時間を経験できる豊かさが、ここ中之島のある種のルネッサンスを支えているのではないかと吉見さんはおっしゃっていました。



吉見さんのお話をお聞きして、われわれが何気なく過ごしているときの時間感覚がどのように形作られたのか、そして都市というものがいかに多層的であるか、良く理解できました。
都市を身体性や時間軸で捉えてなおしてみると、本当に色んなものが見えてきます。今回の鉄道芸術祭では、「都市の身体」について様々な方向から捉えた作品が展示されています。ぜひ、足を運んでみて考えを巡らせていただければ幸いです。

(展覧会は終了しています。)

12/20「"都市の身体"を形成する交通インフラ」ゲスト:吉見俊哉さん(社会学者/東京大学大学院情報学環教授)

武田晋一アーティスト・トーク 「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.12.7(B1事務局 サポートスタッフ 市川)

現在開催中の鉄道芸術祭vol.9で、都市における雑草の存在に着目した作品を展示している武田晋一さんと、京都大学で雑草学を研究されている冨永達教授のトークを開催しました。

▶︎武田晋一アーティスト・トーク「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」の詳細はこちらから

【鉄道芸術祭vol.9】12月7日開催 武田晋一×冨永達トーク「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」

まずは、武田さんからこれまでの活動や現在展示している作品についてご紹介いただきました。

本展で展示されている武田さんの作品は、「鉄道草」と呼ばれる雑草の一つ、ヒメムカシヨモギが時計のムーブメントの動きを利用してゆっくりと回転する《running》、鉄道駅のホームベンチをモチーフとした「休眠」を意味する《quiescency》、参加アーティスト3名の作品にまつわるキーワードから考案したアナグラムを雑草から漉いた紙で制作した《saying》、武田さんの自宅の前庭で伐採したススキで構成される《standing》の4つです。

スライドで展示されている写真は、自宅のある奈良県東吉野村からアートエリアB1まで電車を乗り継いで展示作品を運搬している過程が写されています。これには作品を自身の身体で持って来られることと歩くことへのこだわりがあります。人間は二足歩行になることで手が空き、荷物を運ぶことができるようになりました。武田さんはこれを人間の根源性に関わることと捉えているそうです。例として、両手にサトウキビを持って二足歩行で歩くチンパンジーの姿が突然写し出された時には驚きました。

【鉄道芸術祭vol.9】12月7日開催 武田晋一×冨永達トーク「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」

なぜ運ぶ過程を可視化するのかというと、作品が作品として成立するのは展示期間だけではなく、その状態を拡張したいという思いがあると武田さんは言います。
大抵の場合、作品は荷物として運搬され、展示期間が終わればまた倉庫や自宅に戻されます。しかし、武田さんは作品が展示されている時、運搬されている時、保管されている時、それらすべての状態を作品の一部と捉えて制作されており、作品がどこから来てどこへ行くのかを考えておられるそうです。
以前フランスで展示をした際には、作品を飛行機の手荷物サイズにして運搬し、展示会場で開くと3mもの大きさになるといった作品を発表されました。作品が鑑賞される時と運ぶ時で、その姿かたちが変化するということも武田さんの作品の大きな特徴です。

武田さんは現在、東吉野村でヨモギを育てていて、雑草と対峙する日々を過ごしているといいます。本展覧会の「都市」「都市開発」というテーマで雑草を考えたとき、田舎ではお盆の前など、自然の時の流れに沿って草刈りの時期が決まっていますが、都市では経済が優先され、雑草にとっては草刈りの時期が予測不可能な状況であるといえます。この状況をふまえ武田さんは不安定で予測不可能な現代の都市社会を連想されたそうです。

今回、雑草学者との対談が実現するに至り、「休眠性」と「表現型可塑性」が気になっていると告げて、冨永さんにバトンタッチされました。


【鉄道芸術祭vol.9】12月7日開催 武田晋一×冨永達トーク「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」

富永さんは、雑草を取り上げたことに対して感謝の言葉を述べられて、雑草のお話が和やかに始まりました。

まずは雑草の定義について紹介されるなかで、「撹乱」というキーワードが出ました。
撹乱とは、植物体の一部や全部を破壊する外部からの力のことをいい、植物にとって例えば農業、耕作、災害、動物の踏みつけや、開発による草刈りも撹乱です。山野草は撹乱のあるところでは繁殖できませんが、雑草は撹乱のある場所でないと繁殖できないそうです。農業は作物と雑草の繁殖場所が重なるために、農家にとって雑草は敵になるわけです。しかし、雑草にとって抜くという行為は撹乱ですから、抜いても抜いても出てくるという無限のループに悩まされるのです。

【鉄道芸術祭vol.9】12月7日開催 武田晋一×冨永達トーク「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」

武田さんのお話にもあった都市と田舎の環境について、たとえば田んぼでは春に田植え、秋に稲刈りをするというように、撹乱の時期が予測できますが、都市においてはビルなどの建設前に刈られるため、植物には予測不可能です。
ところが、撹乱が予測できるところとできないところで生えている雑草が違うそうです。たとえば、都市の歩道の隙間などに見られるスズメノカタビラは、踏みつければ踏みつけるほど穂の数が多くなり、種をたくさんつけるということが調査でわかっています。これを「表現型可塑性」といいます。

雑草は周囲の環境に応じてその生態を変化させる特性があるそうです。武田さんは、自分もその時その時の環境によって作品を変えるので、これも表現型可塑性と言えるかもしれないというコメントがとてもユニークでした。

【鉄道芸術祭vol.9】12月7日開催 武田晋一×冨永達トーク「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」

話は、武田さんの作品に使われている鉄道草へと移ります。

展示されているヒメムカシヨモギなどの鉄道草は、その名の通り鉄道沿いに見られますが、種が小さく軽いために列車が通る風に乗って線路沿いに広がっていくそうです。ヒメムカシヨモギは外来種ですが、外来種が新しい土地で定着するためには、運ばれる・生きる・繁殖する・広まっていく・広まった先の環境に適合するなど、いくつものステップをクリアしなければなりません。鉄道草はそれらを達成したエリートであると冨永さんはいいます。

【鉄道芸術祭vol.9】12月7日開催 武田晋一×冨永達トーク「アーティストと雑草学者のみちくさ談義」

続く対談では、武田さんから冨永さんにいくつか質問が投げかけられ、みちくさ談義はどんどん深まっていきます。

日本で勢いを増している西洋たんぽぽは、外来植物として広く知られていますが、実は関西では西洋たんぽぽと関西たんぽぽの雑種が多く生息しています。関西の熱い夏に弱い西洋たんぽぽに対して、在来の関西たんぽぽは、夏場に休眠することによって暑さを凌いでいます。
現在、関西で繁殖している雑種は、西洋たんぽぽの繁殖力と関西たんぽぽの休眠の知恵を合わせ持っている種なのです。また、地中では雑草の種がたくさん休眠していて、だらだらと時間をかけて芽を出すという特徴も紹介がありました。

武田さんにとって会場に展示された作品は「休んでいる」状態らしく、作品が展示を終えて運ばれて行く過程も含めて作品という考え方は雑草の生態の特徴に近しいのかもしれません。

参加者からもさまざまな興味深い質問や感想をいただき、終始活発に対話が展開されました。冨永さんは地面を見ながら歩いて欲しいとおっしゃって笑いを誘っていましたが、これから地面を見る目も変わりそうです。

電車公演「texts in the train」を開催しました。
鉄道芸術祭vol.9 イベントプログラム

 2019.12.1(B1事務局 サポートスタッフ 三村)

12月1日(日)に鉄道芸術祭vol.9電車公演「texts in the train」を開催しました。
電車公演とは、走る貸し切り電車を舞台に、実験的なパフォーマンスを繰り広げ、観客も電車の乗客として参加することができる、その日その場限りの特別な公演です。

今回の公演では、チェルフィッチュ主宰で作家の岡田利規さんが、身の回りにあふれる情報や文献などの一部から"テキスト"を選び出し、それらを女優の青柳いづみさん、シンガーソングライターの七尾旅人さんYPYさん(日野浩志郎さんによるソロプロジェクト)が言葉と音、身体を通して独自の表現へと変えていきます。多種多様な"テキスト"が、パフォーマンスと移動する空間によってどのように乗客のみなさんと出会うのか、当日の様子をご紹介します。

▶︎電車公演「texts in the train」のイベント詳細はこちらから

 


京阪電車中之島駅では参加者のみなさんが特別切符を受け取り、貸切電車に乗りこみます。
公演車両は3車両で、座席に座ってゆっくりと旅を楽しみながら公演を鑑賞したり、車両間を自由に移動してパフォーマンスを間近で観ることができます。

 

12/1 鉄道芸術祭vol.9 電車公演「texts in the train」

 

全車両の吊り広告のスペースには、岡田さんの選んだ日常生活で見かける看板のテキストや小説の引用など、宣伝広告とは違う印刷物が吊りさげられ、これから繰り広げられるパフォーマンスへいざないます。

 

12/1 鉄道芸術祭vol.9 電車公演「texts in the train」

 

15時15分、電車が中之島駅を出発しました。
青柳さんの声が聞こえてきます。その声は「中之島」からはじまり続く駅名を告げていきます。そして、YPYさんと七尾さんが放つノイズのような音が徐々に重なり始め、電車が走る音と重なって車内に非日常な空気が漂います。

 

電車は地下から地上へ出て、車内が外の光で明るくなります。
青柳さんが告げる駅名は、車窓から見える広告などの"テキスト"に変わります。走る電車から眺める流れる景色のように、青柳さんの言葉となった"テキスト"も聞く人の耳と頭の中を流れていくようです。聞き取った広告を、車窓から楽しそうに探す方もいらっしゃいます。

 

12/1 鉄道芸術祭vol.9 電車公演「texts in the train」

 

電車は駅を通過しながら、京都方面へ進んでいきます。
車内はYPYさんの放つ音が響き渡り、岡田さんの選んだ"テキスト"を七尾さんと青柳さんが抜粋し、声にして放っていきます。それらはとても意味があるようにも聞こえ、単なる情報の羅列のようでもあります。

 

12/1 鉄道芸術祭vol.9 電車公演「texts in the train」

 

車内は昼下がりの穏やかな空気に包まれています。その中を七尾さんが、文献の一部を朗読しながら移動していきます。座席や椅子に座り、電車の中で本を読んでいるかのようです。

 

15時58分、枚方駅で電車は一時停車。
段々と陽が落ちてきて、窓からやわらかな光が差し込みます。電車の外から聞こえるまちの音と、車内で繰り広げられる音と言葉が呼応して、和音のように重なっていきます。
そして、車窓から見える夕焼けを背景にして、電車は再び走り出します。

 

16時01分、樟葉駅で電車は少しの時間停車。
七尾さんのギターが奏でられると、車内は一気に叙情的な雰囲気となり、優しくシャウトする声に聴く人は夢うつつになりそうです。今まで放たれた音と言葉が飽和状態となった車内は、幻想的な夕焼けの情景と相まって、時間が止まっているかのように見えました。

 

12/1 鉄道芸術祭vol.9 電車公演「texts in the train」

 

そして、非日常な世界から現実へ引き戻されるように電車は折り返し、大阪方面へ走り出します。

大阪の都市部へ近づくほど七尾さんの放つ音はハウリングして、YPYさんのノイズ音も激しくなります。電車は止まることなく都市へと戻っていきます。雑誌『WIRED』からの引用「人間中心デザインよ、さらば」を青柳さんと七尾さんが連呼すると、めまぐるしい都市の日常生活が蘇ってくるようです。

 

12/1 鉄道芸術祭vol.9 電車公演「texts in the train」

 

七尾さんと青柳さんが「触らないでください。」「引き込まれないようご注意ください。」と呼応しあう中、終着駅に引き込まれるように電車はなにわ橋駅へ到着します。

 

17時、なにわ橋駅に到着した電車の扉が105分間の旅を終えて開きます。
駅のホームからは日常音が聞こえてきます。車内で鳴りやまぬ音を残して、乗客は普段通り駅を利用するように、電車を下車して日常へと戻ります。

 


 

都市で生活していく内に、あふれる情報は視覚や頭で何気なく処理されます。今回の電車公演では日常の感覚とは違う、じっくりと言葉と音を堪能しながら心身に響き渡らせる公演でした。

ご乗車いただいた皆様、誠にありがとうございました。

 

12/1 鉄道芸術祭vol.9 電車公演「texts in the train」

写真:表恒匡

「外国人と日本人がともに輝ける社会のために~多文化共創による持続可能な社会開発」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.11.27(B1事務局 サポートスタッフ 小河)

開催中の鉄道芸術祭vol.9に参加しているアーティストの一人、小沢裕子さんは、大阪の在留外国人に着目し、就労や勉学などで大阪に住む外国人に登場してもらう作品を2点制作しました。

少子高齢化にあり、外国人の受け入れは欠かせない施策となっている日本において、外国人と日本人が互恵的な補完関係となり多文化共創を実現するにはどのようにすればいいのか、国際的な人の移動について研究されている大阪大学共創機構社学共創本部の佐伯康考さんにお話を聞きました。

▶︎イベントの詳細はこちらから

11/27 「外国人と日本人がともに輝ける社会のために〜多文化共創による持続可能な社会開発」(ゲスト:佐伯康考(大阪大学共創機構社学共創本部 助教))

現代は、観光、就労、留学などを目的に多くの人びとが世界中を移動する時代になっています。
内戦などによる移民の流入も各国で課題になり、移民政策が国家の政権選択を左右する傾向さえ見られます。佐伯さんは、そうした国際的な人の移動"migration(マイグレーション)"を特に経済学の観点から研究されています。

日本においては、少子化問題等に起因する労働力不足に対応する社会の担い手の一員として、定年退職後の雇用延長者とともに外国人技能実習生を含む外国人労働者が期待されているのは知られているところですが、技能実習生に関して2017年に施行された「外国人の技能実習の適正な実施及び技能実習生の保護に関する法律」、2019年4月からの「出入国管理及び難民認定法」の改正により、彼らを取り巻く環境、雇い入れる側の環境は大きく変化してきています。

日本に住む外国人は何人くらいでしょうか。
佐伯さんは参加者の皆さんに尋ねられました。答えは現在約282万人で、毎年大きく増加しています。本格的に外国人との共生が問われる時代になり、特に2025年の大阪万博に持続可能な開発目標(SDGs、Sustainable Development Goals)を掲げている関西にとって、外国人共生は重要なテーマであると言えます。しかし、日本における外国人との共生の課題は取り残されていないだろうかと佐伯さんは問題提起されました。

11/27 「外国人と日本人がともに輝ける社会のために〜多文化共創による持続可能な社会開発」(ゲスト:佐伯康考(大阪大学共創機構社学共創本部 助教))

「我々が欲しかったものは労働者だったが、来たのは生身の人間だった」
この言葉は20世紀初頭に活躍したスイスの作家、マックス・フリッシュの名言として知られていますが、この言葉から一体どのような解釈ができるでしょうか。

労働者という言葉の意味と、生身の人間との違いはなんでしょう。生身の人間は怪我や病気もしますし、女性であれば妊娠もします。いろんな理由で突然働けなくなることは誰にでも起こりえます。子供を持つことも十分ありえますし、家族もいるでしょう。この言葉を念頭に置きながら、外国人労働者が一気に増加したここ30年間の日本を振り返ってみると、残念ながら、生身の人間のことをきちんと考えられていたとは言えないと、佐伯さんは指摘します。

日本では現在日本語教育の必要な子供が約4万人いるとされています。人口減の現況にある日本で再び経済成長を遂げるためには、外国人との共生により新たな価値を生み出す必要があり、そのためには日本で暮らす外国人への十分な日本語の指導が不可欠となります。
現状、日本語の教育が必要な人々のうち約6割強に十分な日本語教員がついておらず、支援の不足から国に頼らずに独自に予算をつける自治体も存在しているそうです。加えて今年春の調査では、そもそも学校にすら行けていない子供が約2万人近くいることが明らかになりました。在日外国人の中退率、非正規雇用率が著しく高いことも問題になっています。十分な教育を受けられず、将来、進学や雇用のチャンスに恵まれないという悪循環にいる彼ら彼女らのために、ボランティア頼みの構造を改良し、置き去りにされている家庭への教育支援こそが求められているのだ、と佐伯さんは主張します。

11/27 「外国人と日本人がともに輝ける社会のために〜多文化共創による持続可能な社会開発」(ゲスト:佐伯康考(大阪大学共創機構社学共創本部 助教))

持続可能な開発目標のテーマは「no man left behind」、すなわち「誰一人取り残さない」ことにあります。これは来たる2025年大阪万博の主要テーマでもありますが、5年後、再び「no man left behind」の言葉を振り返った時、果たしてそこにどれだけ取りこぼしなく多様性を含むことができているのかが、未来の日本を決定する分岐点の一つとなると言えるでしょう。

佐伯さんの外国人との共生の課題への経済学の面からの分析によるアプローチは、とても新鮮であり、明解なものでした。
外国人は私たちの生活にどんどん身近になってきています。日本社会の担い手として期待を寄せるのであれば、生身の人間として日本人と変わらない社会保障を望むのは不思議なことではないと感じました。

小沢裕子アーティスト・トーク 「言葉の乗り物たちの集会」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.11.23(B1事務局 サポートスタッフ 森)

11月23日、『鉄道芸術祭vol.9 都市の身体』の参加アーティストである小沢裕子さんをゲストに、アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」が開催されました。

アートエリアB1の運営委員である木ノ下智恵子さん、久保田テツさん、塚原悠也さん、そして展示している映像作品に出演された方々も交えて、小沢さんの作品に込められた「言葉」についての思想や『鉄道芸術祭』との関係が紐解かれ、有意義なイベントとなりました。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

トークは、まず小沢さんによるご自身の経歴と作品紹介から始まりました。

最初に、現在のアーティスト活動の最も初期に位置づけられるものとして挙げられたのが、《語呂合わせ》(2005)という映像作品です。これは芸大在籍中に制作された作品で、テレビやビデオなどから集めてきた様々な声を、まるでひとりの人間がしゃべっているかのように見せています。

発話の主体と話された内容を故意に一致させない本作品には、小沢さんの一貫したテーマである「言葉」に対しての姿勢がすでに表れています。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

次に、過去作品《James》(2014)や《デキリやギーゼ》(2017)、《SPEAKERS》シリーズ(2014~)を紹介し、展示している二つの作品の説明へと移りました。

本展覧会に合わせて制作された《石松三十石船道中》と《SPEAKERS》シリーズの新作は、いずれも、外国人居住者が大勢住む大阪の「異文化」性に焦点をあて、その考え方、感じ方の違いを小沢さんの「言葉」を扱う特徴的な手法で作品化したものです。今回の二作品を塚原さんは、従来の小沢さんの作品の特徴を維持しつつ、新たな可能性を見出すことに成功していると話されていました。

映像作品《石松三十石船道中》(2019)は、大阪に伝わる「浪曲」を伝言ゲームのように、それぞれ異なる文化、国籍を持つ5人に歌い継いでもらう作品です。参加する人々は浪曲というものや歌詞の内容を知らず、歌のメロディや世界観を自分で連想しながら表現し、次の人に歌い継ぎます。実際に作品制作に参加した方々に感想を尋ねると、各自が連想したイメージが全く違うことがわかりました。たとえば、最初に歌ったシナンジャさんはダンサーということもあって、身体も使いながらアグレッシブに歌われています。ところが、2番手を務めたニルミニさんにはそれが子守歌に聞こえたため、一転して静かに歌われています。このように歌い継がれるたび、浪曲はオリジナルからどんどん離れ、最後を担当したタピオさんが歌う時にはもはや独自のものへと変わっています。歌い継ぐことで失われた浪曲の意味が、5人の独自な表現によって補われていき、やがて異なるものへと変わっていく。この面白さに注目しながら作品を見ていただきたいと、小沢さんは仰っていました。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

もう一つの作品である《SPEAKERS 日本語学生の先生と生徒》(2019)は、これまでのSPEAKERSシリーズで初めて外国人を起用したことで、塚原さんが言う「新たな可能性」が見出される一つの要因となったことでしょう。

「言葉の二人羽織」とも言えるSPEAKERSシリーズは、会話の間にあえて他者を介在させることで、私たちが何気なく行っているコミュニケーションの困難さを作品としています。今回の作品では、中国人留学生の傅(フ)さんと姜(キョウ)さん、日本語講師の川村さんと後藤さんがそれぞれ「中国人と日本人」でペアになり、二人羽織のように会話が展開されます。川村さんは、中国語の発話が果たして肯定文なのか、質問をしているのか、そしてその言葉にはどんな感情がこもっているのかが理解できず、やりにくかったと述べられました。分からない会話の中でふいに笑いが込み上げたという川村さんのお話は、コミュニケーションを交わしにくい環境でどう振る舞うのかという、本作品の核心を突いているのではないかと思います。

11月23日 小沢裕子アーティスト・トーク「言葉の乗り物たちの集会」

最後に小沢さんは、隠れキリシタンの間で江戸時代から歌い継がれてきた『オラショ』を例に、さらにご自身の関心について説明されました。オラショは、もとは海外宣教師によって伝えられた「意味」を持った歌でしたが、意味を知らない当時のキリシタンの間で伝承過程で、次第に独自の祈りの歌へと発展しました。言葉の意味が少しずつ失われ、最後にはわずかな音の片鱗しか残らなくとも、一方でそれによって新たな意味も生まれてくる点に小沢さんは強く興味を惹かれるといいます。言葉の伝達の難しさと同時に、それでも伝達を試みることで生じる変化や面白さ、そしてそのいとなみの尊さについて考える時間となりました。

12月に入り、鉄道芸術祭も残り数週間の開催となりました。まだまだ関連イベントも続きます。ぜひ一度、足を運んでみてください。

「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.9

 2019.11.13(B1事務局 サポートスタッフ 金城)

11月13日、「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」の関連として「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」を開催しました。

ゲストに、ポピュラー音楽や大衆音楽、近現代大衆文化史を専門とする研究者であり、大阪大学大学院文学研究科准教授の輪島裕介さんをお招きし、近代日本の大衆音楽史に沿って、カタコト、空耳、デタラメを歌詞にした歌謡曲="カタコト歌謡"をテーマに、時代における背景や人々の意識などを解説していただきました。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

まずは、明治時代の流行歌『オッペケペー節』を例にデタラメについてお話しいただきました。

『オッペケペー節』は日本最古のラップとも言われ、当時関西一円の寄席で様々な演者によってうたわれていました。 "オッペケペー"という言葉自体に意味はなく、言葉自体が新しく面白い反面、わけのわからない外来語に対する揶揄としても用いられたのではないかと言われているそうです。中でも民衆から人気を博した川上音二郎の『オッペケペー節』は、当時の洋服、洋髪、洋食などの表面的な西洋化政策への反発が歌詞全体から窺えます。

他には、中国の歌である明清楽『九連環』を耳で聞いたとおりに覚え、日本語風に変化させた『かんかんのう』や、"ラメチャンタラギッチョンチョンデ パイノパイノパイ"という不可思議な歌詞のある『東京節』(原曲『Marching Through Georgia』)などが紹介され、聞き馴染みのない外国語が謎めいたオノマトペに変化した背景がよく分かりました。

言葉の意味がわからないまま聞こえたとおりに歌われた例として紹介されたのは、沖縄民謡の名人である登川誠仁と照屋林助によるデュエット『ペストパーキンママ』(原曲『Pistol Packin' Mama』)です。

この曲は、外来の曲を三線を弾きながら、異国の言葉の響きのまま歌っています。アメリカ統治期の沖縄で青年期を過ごした登川誠仁が当時得意としていたネタだそうです。沖縄で定着した英語由来の言葉には、書き言葉に寄せることなく、聞こえる言葉からそのものが定着した例がいくつかあり、このことを輪島さんは「言葉というより響き」と表現されました。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

続いて、空耳について。

『タモリ俱楽部』という番組の人気コーナーのひとつ「空耳アワー」などを例に、言葉の音韻は分かるが、意味を知らないからこそ成り立つ可笑しさや面白さを説明していただきました。空耳には、外国の言葉を音として聞いた時に日本の言葉に聞こえる、或いは、外国の言葉風に聞こえるが語彙自体はナンセンスなものという特徴があります。その言葉の意味が分かるかどうかよりも、外国語話者たちや文化に対する先入観から、聞き手がそれらとどのような距離をとっているのかを自覚する装置になりうるかもしれないと輪島さんは言います。

11月13日、ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「カタコト、空耳、デタラメの歌謡史:聞こえることと歌うこと」ゲスト:輪島裕介さん(大阪大学大学院文学研究科 准教授)

輪島さんはデタラメにおいて海外の文化の流入への抵抗を指摘されていましたが、最後のカタコトでは、日本語が英語に歩み寄っていくさまを教えていただきました。

昭和初期、レコード産業の隆盛に併いジャズが新しい大衆歌謡として根付きはじめた頃、アメリカ人がカタコトの日本語で歌うバートン・クレーンの『酒がのみたい』や、日本人が外国人風に歌うディック・ミネの『ダイナ』など、レコード盤の流通という経済的な戦略とともにカタコトの歌が生まれていきます。また、昭和47年、矢沢永吉、ジョニー大倉を擁するキャロルのデビュー曲『ルイジアナ』では、ジョニー大倉が歌詞を日本語表記からアルファベット表記に書き換え、日本語でありながら英語風に歌ったというエピソードがあるそうです。また、空耳とカタコトが異常な進化を遂げた例としてMONKEY MAJIK×岡崎体育の『留学生』という曲をご紹介されました。この曲では空耳とカタコトの要素が全て計算されて取り入れられています。

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そもそも日本語は外来語を借用しやすいのだそうです。日本語は、表意文字・表音文字を併用でき、異なる言語との出会いにバイアスがかかり、外国語がデタラメ、空耳、カタコト化すると輪島さんは言います。明治時代には風刺として、昭和から近年にかけては娯楽として、各年代それぞれにデタラメ、空耳、カタコトが何かしらのツールとして社会的に重要な役割を果たしていることを理解できたのと同時に、それらが私たちの耳から離れないある種の呪術的とも言いうる要素を持つものだと実感しました。

アートエリアB1では現在、都市と身体の関係性に着目した企画展「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を12月29日まで開催しています。
本展の参加アーティストのひとりである小沢裕子さんは、日本人と外国人双方の言葉によるコミュニケーションのあり方などについて考察した2つの新作映像作品を発表しています。なかでも、大阪発祥の語りの芸能である「浪曲」に着想を得た作品《石松三十石船道中》では、5カ国5人の人々が、言葉の意味がわからないまま聞こえたとおりに歌い、さらに、その歌を伝言ゲームのように歌い継いでいます。言葉の意味が抜け落ちた歌には、国や文化、生活環境などの背景によって異なる受け取り方がされ、それぞれの感知や記憶が投影された独自のものへ変容していく様子が浮かび上がっています。
引き続き、皆さんのご来場をお待ちしています。

「コレクション特別展示 ジャコメッティとⅡ」と「鉄道芸術祭vol.9」を巡る夜
中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1

 2019.11.1(B1事務局 サポートスタッフ 毛利)

鉄道芸術祭vol.9が始まり1週間が経とうとしている11月1日、"人とまちの知と感性を育むクリエイティブ・シンキングの場と時間"をテーマに、中之島の文化施設ツアーやトークを開催する「中之島夜会」として、国立国際美術館「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」アートエリアB1「鉄道芸術祭vol.9」を巡るスペシャルツアーを開催しました。

11/1開催 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

まずは、国立国際美術館のコレクション展「ジャコメッティとⅡ」を、企画を担当された橋本梓さんのナビゲート付きで鑑賞するガイドツアーを行いました。

「ポートレート」をキーワードに美術の歴史を紐解いていく今回のコレクション展。
美術館がコレクションを増やしていく過程のストーリーとともに、現代美術の中でのジャコメッティの位置づけを見ていきました。

会場入口には哲学者・矢内原伊作が撮影したジャコメッティの彫刻作品「ヤナイハラ Ⅰ」制作過程の写真が展示されています。1つの彫刻ができるまでの過程が写った2年間の数十枚の写真とともに完成した彫刻作品「ヤナイハラ Ⅰ」が置かれています。この彫刻作品は制作開始2時間でほぼ作品の原型ができていたようです。しかし、何度も何度も顔の細部(特に鼻)を作り直し完成まで2年もの歳月がかかりました。
ジャコメッティの「見えるものを見えるとおりに表現する」が体現された作品として油彩画の「男」も並べて展示され、対象をとらえる手段として顔を描くポートレートの意味を考えさせられます。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

「ヤナイハラ Ⅰ」は、ある意味でジャコメッティと矢内原伊作との共同作品とも言えます。この作品を完成させるために矢内原氏は大阪大学で教鞭をとる合間を縫って何度もフランスへと渡り、何時間もじっと座り続けモデルを務め、世界でも希少なジャコメッティの制作過程の記録を残しました。ジャコメッティもまた「ヤナイハラ Ⅰ」を制作しながら、渡仏することさえ難しかったその時代で矢内原氏のために許可証や宿のサポートを全て負担し、2年もの時間をかけて彫刻作品を完成させました。お互いの協力と支援、忍耐、執念がなければこの作品を完成させることは難しかったでしょう。
「共同」の要素は展覧会の他の作品にも見て取れます。会場入口すぐに目に入る映像作品、加藤翼の「言葉が通じない」は作者自身と韓国人の男性との共同作業を撮影したものです。日本語しか話せない加藤翼氏、韓国語しか話せない韓国人男性は時にディスコミュニケーション、誤解を生みながら日本海の離島、対馬を目指します。時折挟まれるすれ違いに笑いを誘われながらも、二人の国の背景やその間にある問題、国が違う者同士の対話のあり方を考えずにはいられない作品です。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

ポートレートは絵で描かれるものだけではありません。トーマス・ルフは真正面からバスト・アップの写真を撮り、2mほどの高さに大きく引き伸ばしてプリントアウトすることで手のひらサイズの写真から漂うのとはまた違った被写体の不思議な空気を作り上げます。
プリンティングあるいは過剰なズーム・アップによって対象となる人を新たに見つめ直す契機を与える例もあります。北野謙は数十名の人物を撮影した写真を重ねて焼き付け、輪郭や顔をぼやけさせることで写っている集団と個の存在について問い直します。石内都は人間の生きてきた過去を表わすポートレートとしての傷に注目し、クローズ・アップして写真に残します。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

さらに奥へ進んだコーナーで注目すべき点は、女性アーティストの作品ばかりが展示されていることです。美術館で展示コレクションを入れ替える際には収蔵品リストをひたすら読み込むことから始まるそうです。橋本さん自身も美術館が過去の展覧会でなぜこの作品をコレクションしたのか、そして各作品の共通点などを考え、その中で非ヨーロッパの女性作家のポートレートのコレクションが少ないことに気が付いたとのことです。その疑問を反映し、このコーナーではより多様な表現として、「落穂拾い」などの著名な西洋絵画のレプリカをタイの村に展示し、村の人々が異文化の国からやってきた絵画を鑑賞しながら自由な反応・会話を繰り広げる様を捉えたアラヤー・ラートチャムスックを始めとしたアジア圏の女性アーティストの作品が展示されています。

展示会場の一番奥にあたる部屋では、ジャコメッティについての知られざるストーリーを題材に美術史を再検証したテリーサ・ハバード/アレクサンダー・ビルヒラーの映像作品を展示。ジャコメッティが実現しなかったフィクションの要素も含めた映像で、彼の物語を見直していきます。


一行は京阪電車で移動し、次はアートエリアB1へ。鉄道芸術祭vol.9「都市の身体 ~外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私の声~」の観賞スタートです。

国立国際美術館では後世に作品を残すためコレクションされたものが展示されていましたが、一方でアートエリアB1ではまだ生まれたばかりの今の時代の作品を展示しています。対象的な展示の文脈もふまえつつ、今回は3名のアーティスト作品を当館運営委員のひとりである木ノ下智恵子さんのナビゲートで見ていきます。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

ジョンペット・クスウィダナントさん
インドネシアの複雑な政治性と、作家自身の個人的な記憶を結び合わせるような作品を発表しています。
一見デモ隊の行進に見える展示ですが、新作《Procession》は木製のおもちゃや子供時代に聞いていた、軍事政権統制下にあったポップミュージックを用いて自分の青春時代を表現しています。一方、2012年制作の《The Contingent #5》では今にも爆裂な音を奏でそうな楽器やマイクを持った人形が立っています。インドネシアのかつての独裁政権と民主化への移り変わりを背景としたこの作品は、喧騒と熱気を彷彿とさせる反面、そこにいるはずの人物の実体がありません。祝祭と暴力、記憶と歴史、喧騒と静寂を対比させることで自身のアイデンティティーやインドネシアの社会を表現した作品です。

中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜(撮影:表恒匡)

武田晋一さん
「運ぶ」をキーワードに、海外から日本に来たものとしての鉄道、時間という概念、外来種の雑草「鉄道草」を用いた作品を展示しています。武田さんは展示するまでの運搬行為も作品の一つとして扱うことを特徴としています。本展でも活動拠点である奈良の東吉野村から展示会場の中之島までコンパクトに梱包した作品を身一つで運び込み、その行程を撮影して映像作品として展示し、武田さんが関心をもつ「運ぶ」行為のあり方を呈示しています。本展における武田さんの作品はジョンペットさんと小沢裕子さんの作品を緩やかに結ぶと同時に境界としての役割を果たしている点にも是非注目してください。

11/1 中之島夜会@国立国際美術館×アートエリアB1 「コレクション特集展示 ジャコメッティと Ⅱ」と「鉄道芸術祭vol.9 都市の身体」を巡る夜

小沢裕子さん
言葉と身体の関係に焦点を当てた作品を作られており、本展での作品も映像の中の人物たちと鑑賞者の間で起こる微妙なズレを感じさせることで、言葉をどう捉えるか考えるきっかけを生み出しています。《石松三十石船道中》では5ヶ国5名の人々が伝言ゲームの形式で浪曲を聞こえたままのイメージ、音で順々に歌っていきます。本作では、それぞれの背景や人となりによって全く異なるイメージで受け取られた5者5様の《石松三十石船道中》と歌い継がれる過程でそれぞれのイメージが重なり合い少しずつ変容していく浪曲が捉えられています。《SPEAKERS 日本語学校の先生と生徒》は他者の身体を介したコミュニケーションを行う実験的なシリーズ作品の一つです。日本語教師と日本語を習い始めたばかりの中国人留学生に、他者からの声だけを手掛かりに発話・コミュニケーションを行ってもらうことで会話の構造、コミュニケーションをめぐる認識を改めて露見させています。


 橋本さんの解説の中で「アートは社会を映す鏡」という言葉が出ましたが、作品との出会いを通じてデジタルやグローバルにより世界が広がり表現が多様に広がっていること、しかし人間をとらえることへの探求は現代でも変わっていないことをどちらの展示からも感じました。
また、橋本さんも木ノ下さんも普段なかなかお話を聞けないお二人とあって、質問タイムでは美術展示に関わる仕事についても質問がありました。「共働」や「都市」といった現代人が生きる中で関わる要素を表現するアーティスト、作品のストーリーを組み合わせて展示をつくるキュレーター、そしてそれを受け取る鑑賞者がアートで繋がった瞬間を感じたイベントとなりました。

「都市の身体―世界の内と外からの考察」
鉄道芸術祭vol.9 オープニング・トーク

 2019.10.26(B1事務局 サポートスタッフ 野村)

 鉄道芸術祭vol.9「都市の身体 ~外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私の声~」の開幕に伴い、初日10月26日15時からオープニングトーク「都市の身体―世界の内と外からの考察」を開催しました。

 この日は本展覧会の参加者である、ジョンペット・クスウィダナントさん、小沢裕子さん、武田晋一さんの3人のアーティストに、展示作品を通して、それぞれの視点から今回のテーマである「都市と身体」について語っていただきました。

10月26日開催 鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」

 まず、ロビーにて参加アーティストそれぞれの自己紹介からスタートしました。

 ジョンペット・クスウィダナントさんは、自国インドネシアの成立や歴史、文化を背景に現代の社会状況に焦点を当てたインスタレーションをこれまで発表されてきました。例えば《Noda》(インドネシア語でしみ、汚れを意味する)は、白い部屋の様々な場所から墨がしたたり落ち広がっていく様子を撮影した作品で、インドネシアの中で、暴力などの問題=しみが対話されずに残っている現状を抽象的に表現されているそうです。

10月26日開催 鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」

 小沢裕子さんは、「言葉と体を引きはがす」ことをテーマにした映像作品やインスタレーションを制作されています。これまでに制作された作品は字幕を用いたもの、文字を用いたもの、《SPEAKERS》という作品の3種類に大別され、それらは「私」という単語に始まる言葉と、その言葉を話す・書く主体としての「私」の関係を揺さぶります。知らない言語の文字を書き写すことをリレー形式で行った作品では、伝達していく中で何が失われ、何が残り、何が生まれていくのかを追うことができ、今回の展示はそういった作品が発展したものとみることができます。

10月26日開催 鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」

 武田晋一さんは空間に応じて多様な素材やオブジェクトを配置したインスタレーションを発表されてきました。作品を制作する中でその作品を「運ぶ」ことにも関心を持ち、自身の作品をいかにして運ぶか、どのように収納するかまでの過程全てを作品と捉え、作品を運びやすいように工夫をこらしてコンパクトにまとめ、自身で運び、その様子を写真に残すことをされています。

   

 次に、展示会場に移動して、それぞれの作品に関して話していただきました。

10月26日 鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」Jompet Kuswidananto作品

 ジョンペットさんの作品は2012年に制作された《The Contingent #5》と今回大阪滞在中に制作された《Procession》の2つの部分に分けることができます。"Contingent"とは分遣隊や小部隊のまとまりといった意味を持ち、マスクの代わりに頭に巻き付けた衣類や、旗やマイク、太鼓を持った人々が一定の共通性を持ちながら何かを主張する様子を表現しているように見えます。今回の新作は《The Contingent #5》を拡張したとも言えるもので、インドネシア工場で作られた木製のおもちゃや日本の蚤の市で手に入れた物品を組み合わせたものが《The Contingent #5》を先導するように床に並べられています。新作で使われた材料は、ノスタルジーを感じるものが選ばれ、また《The Contingent #5》の隊列からは、かつてインドネシアが軍事政権下で統制されていたポップミュージックが時折流れます。

   

 武田さんの雑草から作られた紙を用いた作品《saying》では、3名のアーティストが一つずつ出し合った文字を切り抜き展示しています。「multitude」はジョンペットさんが、「mobility」は武田さんが、「intonation」は小沢さんが選んだ単語です。この3つの単語をアナグラムにして「nation」「tumult」「deity」「moil」「biotin」が構成されました。

 武田さんの作品は、ジョンペットさんの作品と小沢さんの作品を緩やかに繋ぐようにして展示されています。ジョンペットさんの隊列の隣には、レールを思わせるように外来植物が並べられた作品《running》があります。整列された外来植物たちは、時計のムーブメントの動きを利用してゆっくりと回転しています。

10月26日鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」武田晋一、解体の様子のサムネイル画像のサムネイル画像10月26日鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」武田晋一、解体の様子のサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像10月26日鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」武田晋一、解体の様子のサムネイル画像のサムネイル画像のサムネイル画像

 鉄道駅のホームベンチをモチーフとして制作された《quiescency》は、この時まで2つ並んでいましたが、このギャラリーツアー中に、武田さんが1つのホームベンチを解体し、それらの部品を組み替え大小のプラカードに変容させました。デモ行動の象徴的な道具であるこのプラカードは、ジョンペットさん作品への武田さんからの応答として展示されました。

 

10月26日鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」小沢裕子作品

 ギャラリーの奥にある5つ並んだディスプレイと、3台のプロジェクターから壁面いっぱいに映し出された映像は、小沢さんの作品です。ディスプレイの作品《石松三十石船道中》は、浪曲を耳で覚えたものを伝言ゲーム形式で5人の異なった言語を母語とする方に歌ってもらった映像です。その向かい側には《SPEAKERS》の最新作で、日本語の先生である二人と、日本語を勉強している中国人の学生二人による奇妙な会話の映像が映されています。小沢さんが大阪滞在中に外国人が多く住む地域を訪問したり、浪曲を鑑賞したりした体験が、今回の作品を構成する要素の一部となっています。

   

10月26日鉄道芸術祭vol.9オープニング・トーク「都市の身体─世界の内と外からの考察」小沢裕子

 再びロビーに戻り、最後に今回の展覧会のテーマ「都市の身体」について改めて伺いました。

 本展の副題である「外から眺める私たちの輪郭、遠くから聞こえてくる私の声」は小沢さんにつけていただいたものです。小沢さんは、自身の作品から見えてくる"身体を通して何かが伝わっていく様子"や大阪での経験から、副題をつくられ、この言葉をとても気に入っていると言います。

 公共のものを使って作品を「運ぶ」武田さんや、私を個人ではなく集団の中のひとりとすることで何かを訴える様子を表現するジョンペットさんの作品にも、このテーマは共鳴するものであると感じました。

 今回の展覧会は身体をテーマにしていながら、身体が不在であることをもって、私たちの存在や目的から発生する必然性を浮き彫りにし、不在が新しいものを生み出す側面について考えさせるようなものであると感じました。

 鉄道芸術祭vol.9「都市の身体」は12月29日まで開催しています。
会期中には小沢裕子さんと展示作品に出演している方々によるトークや、武田晋一さんと雑草学者の冨永逹さんのトークなどを開催します。そして、会期終了間近の12月22日には、いとうせいこうさんをゲストにお呼びし、展覧会場をフィールドに本展参加アーティストとのトークセッションを繰り広げます。
 引き続き、皆さんのご参加をお待ちしております!

神戸はどこへ向かうのか 〜アートプロジェクト:TRANS- が目指すもの
プロジェクトミーティング

 2019.6.4(B1事務局 下津)

新開地、兵庫港、新長田の3つの地区を舞台に、今秋初の開催となる「アートプロジェクトKOBE 2019:TRANS- 」。歴史的に海外との交流が多く、外来文化と交わりながら独自の文化を育んできた神戸という地で行われる今回の芸術祭は、「何かを"飛び越え、あちら側へ向かう"ための試み」とされています。

今回のトークイベントでは横浜トリエンナーレ2014でもキュレーターを務めたディレクターの林寿美さんをお招きし、その取り組みをご紹介していただくとともに、現代アートとまちの関係や国際展/芸術祭のあり方、その可能性について語っていただきました。

 

6/4 プロジェクトミーティング「神戸はどこへ向かうのか 〜アートプロジェクト:TRANS- が目指すもの」ゲスト:林 寿美(TRANS- ディレクター)

TRANS- の会場は主に湾岸エリアに設けられています。文化的に洗練された北野坂やポートタワーのあるハーバーランドなどの街中ではなく、あえて下町や工業地帯を選び、そこで面白いことをやってみようという試みからこのプロジェクトはスタートしました。さらに一つの場所や拠点に絞り込まずに日常の風景の中に溶け込むように作品を展示することで、多義的な意味をその作品の中に見いだすことができます。ここで2名の参加アーティストの作品を少しだけ紹介しましょう。

 

ドイツの炭鉱町、ライト出身のグレゴール・シュナイダーさんは16歳の頃から自宅の部屋の中に別の部屋をつくるなど、異空間と非現実的な体験の創出を得意とするアーティストです。2001年にはヴェネツィア・ビエンナーレでドイツ館代表として選出され、最優秀作品として選ばれたものにだけ与えられる金獅子賞を受賞しました。

まず、今回のプロジェクトのために新たに制作される作品《虚構か現実か》(仮称)。
この作品の舞台となるのは昭和43年に兵庫県の衛生研究所として設立された旧兵庫県立健康生活科学研究所です。シュナイダーさんはこの廃ビル全体を作品化し、大型インスタレーションにしてしまうという試みを企てています。ビルに足を踏み入れた観客たちは非日常的な検査室、研究室、動物舎などの昔の痕跡が残る空間をさまよいながら違和感あるいは恐怖に近い体験に遭遇し、現実と虚構の間を行き来することができます。なお、建物は展示終了後に取り壊しが決定しているため作品はTRANS- 開催期間のみの限定公開となっていることも注目すべき点です。

廃墟を利用したり非日常的空間要素を取り入れた作品は他の会場でも展示される予定です。
兵庫港エリアでは昨年の3月頃まで1泊50円で宿泊できたといわれる、日雇い労働者のための一時宿泊施設「兵庫荘」を作品化した《消えゆく兵庫荘》(仮称)を設置、さらに新長田エリアの駒ヶ林駅構内には数年前にCIAによる収監者への拷問で話題になった、キューバのグアンタナモ湾収容所内の施設を再現したインスタレーション《白の拷問》(2005〜)を展示します。

 

6/4 プロジェクトミーティング「神戸はどこへ向かうのか 〜アートプロジェクト:TRANS- が目指すもの」ゲスト:林 寿美(TRANS- ディレクター)

 

一方、もう一人の参加アーティストであるやなぎみわさんは、中上健次の小説を原作にした2016年初演の野外劇《日輪の翼》に、神戸という地域性に合わせた新演出を折り込み上演します。公演場所はやなぎさんの生家の近くである神戸市中央卸売市場埠頭。芝居、歌、生バンド、サーカス、ポール・ダンスなど華やかで生々しく不思議なパフォーマンスで構成される幻想的な世界が今回どのように生まれ変わったのか、そしてやなぎさん自身の生まれ故郷である神戸とどのように交わるのか、大変注目度の高い作品です。

 

6/4 プロジェクトミーティング「神戸はどこへ向かうのか 〜アートプロジェクト:TRANS- が目指すもの」ゲスト:林 寿美(TRANS- ディレクター)

 

今回のアート・プロジェクトの背景には「兵庫県の海岸線を活性化させたい」という願いがあります。林さんもまた神戸市の須磨区出身だそうですが、神戸で生まれ育った林さんの目から見ても特に海岸沿い地域では時代とともに様々な変化が生まれてきつつあるようです。特に南部は元々在日韓国人の多い地域でしたが、昨今ではベトナムやミャンマーからの移住者やクリエイターの移住も増えており、下町芸術祭が開催されたことからも独特な地域性と新しいムーブメントが誕生しはじめている土地でもあります。さらにTRANS- の会場の一つでもある新開地も数十年前までは地元の人たちの間でも「子供や女性が一人で行ってはいけない場所」と呼ばれるような地域でしたが、現在では高層マンションが次々と建設され大きな商業施設ができるなどファミリー層が集まってくるようになりました。このように時代とともにその土地の雰囲気や文脈が変化していく中で、アートの持つ力も何か役に立てられるのではないか?というのがTRANS- が探求する可能性です。

 

そしてTRANS- の新奇性は、地域のアート・プロジェクトにおいて、シュナイダーさんの作品のような恐怖や違和感、今まで味わったことのない不思議な感覚に陥りながらも「興味深い」という気持ちに腹落ちするような作品で挑戦しようとすることにあると本トークの中で明らかになりました。地域性の高い芸術祭は「元気になる」「励まされる」あるいは「町おこしになる」といった価値観へと転換することを目指す傾向がある中で、こうした形での非日常との交差を試みることは地域性と芸術性の交わりに対する大いなる期待になるかもしれません。

「アートプロジェクトKOBE 2019:TRANS- 」は今年9月14日(土)〜11月10日(日)開催予定です。日常と非日常の往来、時代とともに変化する地域性を体感できる新たなプロジェクトに期待大です。

 

「アート・プロジェクトKOBE2019:TRANS- 」開催概要
会期:2019年9月14日(土)~11月10日(日)
出展作家:グレゴール・シュナイダー、やなぎみわ
ディレクター:林 寿美
開催エリア:兵庫港地区、新開地区、新長田地区
▶︎詳細は「アート・プロジェクトKOBE2019:TRANS-」ウェブサイトからご確認ください。

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