スタッフブログ

「集団と群衆の心理学」(釘原直樹さんをお迎えして)
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭

 2018.1.19(B1事務局 菊池)

1月19日 (金)
ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「集団と群衆の心理学」
ゲスト:釘原直樹(大阪大学大学院人間科学研究科 教授)
カフェマスター:沢村有生(大阪大学21世紀懐徳堂 特任研究員)


鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」とのコラボレーションシリーズとして開催してきた"ラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭"、本日はシリーズ最後のトークでした。
今回の鉄道芸術祭では「鉄道と身体・知覚・行動」をテーマにしています。
人間の集団における知覚、行動とその心理についてより深く掘り下げていくための関連トークとして、ゲストに集団心理の専門家である大阪大学教授の釘原直樹先生をお呼びしてお話を伺いました。
人間社会ではある程度の人数の集団・組織が形成されると、暗黙の守るべきルールや約束事である「行動規範」が出来上がってきます。では具体的に行動規範とはどのようなものがあり、どれくらい人は影響を受けているのでしょうか。
それを検証したのが以下の「同調実験」です。

20180119集団と群衆の心理学1
最初にご紹介いただいたのは、大阪のエスカレーターにおける同調実験です。
エスカレーターに乗る場合に、大阪では右側、関東では左側に立つことが慣例となっていますが、そこへ逆方向に乗るサクラを混ぜていくとどの程度が同調して逆に乗るでしょうか。
実施場所は大阪モノレールの「門真市駅」と「大阪空港駅」の2箇所で、実験時の利用者内訳(近畿在住者の割合)は門真市駅が88%と大阪空港駅53%でした。
門真市駅では元々左並びがほとんどいなかったにも関わらず、2割近くの人がサクラにつられて左に並びました。それに比べ大阪空港駅ではサクラからの同調圧力がとても強く、数名のサクラが並ぶと、なんと最大7割以上の人が左に並ぶという結果が出ました。
サクラに続いて並んだ人数をカウントすると、サクラの人数を増やしても門真市駅は最大4人しか並ばなかったにも関わらず、大阪空港駅では10人以上の人が並びました。
こうしたことから、人は「暗黙の規範」に拘束されるとともに、その場の同調圧力の影響を受けて微妙なバランスの上に立って行動しているのではないかと推測できます。

では、集団が間違った判断をした時、人は同調圧力にどの程度耐えられるのでしょうか。
これは1950年代に行われた古典的な同調実験を2〜3年前に釘原さんが独自の方法で行った実験です。
実験には8名が参加しますが被験者は1名だけ、それ以外は全員サクラです。AとB、二つのカードのうちAには1本の直線が、Bには長さの異なる3本の直線が描かれており、その中からAと同じ長さの直線を当てます。サクラが全員間違った解答をしたあとに被験者が答えます。
一人で答えた場合はほぼ100%間違うことはありません。しかし7人のサクラが順々に全員間違いを選び、それを見て最後に被験者の番が回ってくると、同調圧力に負けて、自分ではそれは間違いだろうという態度をそれまで取っていながらも、なんと間違いを選んでしまうのです。
こういった実験からも、いかに人が同調圧力に影響されるかということが伺えます。

20180119集団と群衆の心理学2


「同調」というのは、他の人に合わせて楽をしたいという気持ちが背後にあり、それは「社会的手抜き」につながっていきます。
「社会的手抜き」とは、綱引きや神輿など、たくさんの人が一緒に行う場合、意識的・無意識的問わず、人任せになり一生懸命さが失われてしまうことを言います。それは「2:8の法則」などとも言われ、10人が集まれば大体2人は怠けている、というものです。


例として釘原さんが以前行った、「社会的手抜き」を数値で現す実験を紹介してくださいました。
9人で、壁から出た別々のロープを同時に引っ張って合計の力を計測します。計測係にのみ、個別の数値がわかるようになっています。
これの結果によると、一人の場合と複数人になった場合では一人で引いた時の方が出す力が大きく、人数が増えるほど力が弱まる傾向が見られたそうです。
この実験から、「個人が評価されない状況」や、「個人が努力しても全体の結果に対して無駄と思えてしまうような状況」になると、意図している・いないに関わらず、手を抜いてしまうことがあると言えます。
また、そういった手抜きをしている人が他にもいると思うことから、手抜きの同調といったことも起こります。

20180119集団と群衆の心理学3


そういった「社会的手抜き」や「同調」の心理を利用した仕組みが社会にはあります。
「オプトイン・オプトアウト」という、臓器提供意思表示で「臓器提供を望まない人はチェックを入れる」という意思表示の形式や、メールの返信における「返信がない場合はこのまま進めさせていただきます。」という形式などに見られる、デフォルトの選択肢の設定の仕方によって面倒臭さをなくし、なるべく選択肢を少なくすることで、望む回答を得るものなどです。


集団・組織の内にはそれぞれに役割があり、それを演じ守ることで組織の安寧やバランスが保たれています。役割には主に「ヒーロー」、「小役人」、「マスコット」、「スケープゴート」の4種類があります。
組織を運営していく上で、ルールを守らなかったり、なまけていたりする人(悪人、主にスケープゴートに該当する)がいるということは上記の「2:8の法則」からもわかるように必ずあります。
しかし、それらの人を排除してしまえば良いかというと、必ずしもそうとは言えません。そういった人の組織への影響力は、ヒーローの役割を持っている人などに比べると低いので、善(品行方正、主にヒーロー)な人が間違った場合の方が大きな過ちが起きることもあります。
「善がいいかというと、必ずしもそうではないのです。」と釘原先生は仰います。
そういったスケープゴートにヒーローが自分の落ち度を被せ、排除していくということも起こります。しかし、排除することが原因の解決にはなっていないので、同様な問題が再び起こり、そうして排除を続けていくと、組織の士気も落ちていき、運営はうまくいきません。
集団の中にいるなまけものを許容する「寛容さ」が、長い目で見ると集団の存続に役立つのではないか、集団の健全さの一つの指標になるのではないかと釘原さんが仰っていたのが印象的でした。

20180119集団と群衆の心理学4
今回のお話を聞いていて最終的に、個性を認める、寛容する、ということについての話に思えました。
ある一側面から見たら「なまけもの」は足を引っ張っているだけかもしれませんが、見方を変えればそのような人がいることで、社会や組織はバランスを保っていると言えます。また、全く違う側面では高いパフォーマンスを発揮している場合もあるかもしれません。
寛容になることによって、組織は保たれるうえ、さらに他の可能性も見えてくるのではないか、という気がしました。
今の社会では、多様な考え方がある割に価値観が一辺倒すぎるように感じます。
人の多様さを寛容に受け入れることの重要さを、改めて感じました。

「事務局のクリエイティビティ【全国版】」

1月13日(土)の「事務局のクリエイティビティ【全国版】」は、おかげさまで盛況のうちに終了いたしました。
極寒の中ご来場頂いたみなさま、そして登壇者のみなさま、本当にありがとうございました。

5時間を超える長丁場でしたが、最後までほぼ満席状態の熱気あるトークセッションとなりました。
第一部では、事務局の機能とその意義について、メセナ事業、国際展や芸術祭などの公共事業、そしてNPOや社会運動といった観点から、歴史的な流れもふまえ縦横無尽に語られました。
第二部ではその次の世代が現在携わっているアートの現場、事務局のあり方(事務局の有無も含め)について、お金、行政との関わり、仕事のポリシーなどを正直にリアルに語ってくれました。
第三部ではゲスト全員が登壇し、来場者からの質問カードをもとに、社会の中のアートの立ち位置や価値、労働の話、未来の展望などについても率直な意見交換がなされました。

来場者の方々の質問やアンケートでのコメントからも、アートの現場に限らず「事務局のクリエイティビティ」というテーマに対する関心の高さが伺えました。
今後のさらなる議論、検証につなげるべく、今回のトークセッションの記録まとめ作業に入ります。

詳細レポートも後日アップを予定しています!

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第一部「アートマネジメントの開拓者たちから見た事務局の重要性」
ゲスト:荻原康子/帆足亜紀/樋口貞幸

事務局のクリエイティビティ【全国版】

事務局のクリエイティビティ【全国版】

第二部「多様化するプロジェクトや芸術祭と事務局の役割」
ゲスト:小川希/細川麻沙美/吉田有里

事務局のクリエイティビティ【全国版】

事務局のクリエイティビティ【全国版】

第三部「事務局のクリエイティビティとは何か」
ゲスト:荻原康子/帆足亜紀/樋口貞幸/小川希/細川麻沙美/吉田有里

事務局のクリエイティビティ【全国版】

「レールの曲げ方概論」
ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭

 2017.12.8(B1事務局 菊池)

12月8日(金)、鉄道と現代美術の企画展・鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」の関連トークとしてラボカフェスペシャルfeaturing鉄道芸術祭「レールの曲げ方概論」が開催されました。

今回の展覧会「鉄道芸術祭vol.7」の展示作品の中には、本物の鉄道レールが立花さんの彫刻作品として出品されています。長さ5メートル程度、重さは300kgほどになります。
このレールは、本日のゲスト「工務部保線課」のお二人に京阪車両基地で曲げて頂いたものです。これを中心に展覧会の構成が組まれていったという経緯がある重要な作品で、保線課の方々の仕事なしには得られないものでした。
では、保線課の仕事とは何なのでしょうか。

普段電車に乗るときにはあまり意識していないものの、それがないと電車は走ることが出来ない「線路」。日々線路に危険がないかを点検し、整備し続ける京阪電車「工務部保線課」のお二人をゲストにお迎えして、保線課の日々の業務内容や、実際のレールの加工についてなど、私が日頃知り得ない「線路(軌道)」のお話を伺いました。

12.08ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.7「レールの曲げ方概論」

ゲスト:
木戸宏(京阪電気鉄道(株)工務部保線課大阪保線係主任)
築山拓矢(京阪電気鉄道(株)工務部保線課設計担当)

カフェマスター:
塚原悠也、木ノ下智恵子(アートエリアB1運営委員)

まずは今回のトークタイトルにある「レール」や「線路」が何を指すかというところからトークは始まりました。
線路とは、レールだけで構成されているのではなく、主に《砂利や砕石(バラスト)》、《枕木》、そして《レール》の三つで構成され、これらは「軌道」と呼ばれます。他にも線路には頭上の電線やそのほかケーブルや信号などの構成物もありますが、今回のトークでは、本日のゲスト「保線課」のお二人が担当される「軌道」についてのお話がメインとなりました。
ゲストの木戸さんは保線課一筋30年の職人さんであり、築山さんは設計、経理担当です。
京阪電車は住宅地の間を縫って走っている為、とてもカーブの多い路線です。今回はインターネット上の地図を使って京都の路線を俯瞰しながら話していきました。
乗っているとあまり感じないことも多いですが、地図上で見てみるとかなり急なカーブもいくつかあります。

12.08ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.7「レールの曲げ方概論」

では、そのレールは一体どうやって曲げているのかというお話に入っていきました。
1メートルあたり約50kgという、とても重くて硬い鉄の塊を曲げるには、機械ではなくレール敷設現場で人間の手で曲げています。先に設置してある枕木に沿って、テコの原理を使って人力で少しずつ曲げて入れていくので、機械であらかじめ曲げたものを入れるということはありません。機械を使って曲げるのは、ごく限られた特殊な一部分のみです。
機械で曲げる場合は専用のマシンを使って行われます。レールを左右2点で挟み、真ん中をジャッキで押すという、かなりシンプルな仕組みです。機械自体は小型のため、レール全体を一度に曲げるのではなく、機械を少しずつ移動させながら全体を曲げる作業を行います。

1208ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.7「レールの曲げ方概論」

レールの主な原料は鉄です。かなり純度の高い、上質な鉄が使われています。
鉄は温度の変化によって膨張したり収縮したりするので、鉄の塊であるレールも気温の変化によって、なんと伸び縮みします。場合によっては曲がったり千切れたり、特に夏場は急激な熱膨張で、枕木に押さえつけられているレールが一気に伸びる瞬間に「ボン!」と破裂音がすることもあります。
そういったレールの変形に対応する為に、継ぎ目には多少のすき間がわざと空けてあります。走行中の「ガタンゴトン」という電車特有の音は、この継ぎ目を通る時に鳴る音なのです。
日々軌道(線路)の状態を監視して、夏はすき間を広げ、冬は逆に間を詰め、異常があれば交換したりと、電車を運行する上で危険な箇所がないように、巡回しながら点検、補修・維持管理を行うことが、保線課の主な業務です。

具体的な点検方法は、電車の運転席の隣に乗ってレールを目視しながら車両の揺れを感じる調査や、実際に線路に下り目視で点検します。
点検の結果異常があった部分のレールを交換する場合は、枕木はそのままにレールのみを交換します。当然1mmのズレもなく、元あったものと全く同じ場所に、寸分の違いもなく設置していきます。それらは全て、人の手で行われています。
近年は機械化が進み、異変箇所の調査に機械を用いるようになりましたが、機械の数値だけでは見えないものもあるため、最終的にはmm単位のレールのズレを、身体の感覚で判断して調整していきます。「保線は経験工学」と言われており、経験を積んだ人間が判断し、作業をするという、まさに文字通りの職人の世界です。
自分の保線担当箇所は、「自分の家の庭だと思って手入れしろ」と木戸さんは入社当時に先輩社員から教わったそうです。
日々伸び縮みして変化するレールは「生き物です」というお二人のお話がとても印象的でした。

 12.08ラボカフェスペシャル featuring 鉄道芸術祭vol.7「レールの曲げ方概論」

今回のトークは、「レール」がテーマで実際の作業をされている方がゲストということもあり、非常に電車に関心の高い方が多く参加されていました。トーク後半の質疑応答では待ってましたとばかりにかなりマニアックな質問が次々と飛び交い、とても賑わいました。レールの繋ぎ目を溶接する場合の方法や、レールのより詳しい曲げ方、車輪とレールの接地面の荷重について、京阪で一番長いロングレール(溶接された、継ぎ目のないレール)の長さ、レールの敷設時の持ち上げの方法、などなど。時間ギリギリまで質問は尽きませんでした。

普段から電車に乗るときだけでなく街中でもよく目にしているはずの線路ですが、あまり気にしたこともなく知らないことばかりでした。まさかレールが温度でそこまで変化するようなものだとは思いもよらないですよね。
それは裏を返せば、鉄道利用者が「気にならない」レベルまで異常が起こらないように、常に点検と補修をしている保線課の皆さんをはじめとした鉄道会社の安全管理の徹底さを表している、という話がありました。
乗るたびに「電車は危険かもしれないから覚悟をして乗る!」などと考えるようなものは普段から気軽には利用できません。
高速で移動する電車には本来危険なことがたくさんあるはず。そこをしっかりと確実に安全を確保し、利用者が危険を感じることのないよう、電車は安全でしかも正確であるという信頼を昔から勝ち取ってきた日本の鉄道会社の仕事のレベルの高さがあるのだということを感じました。

使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」
鉄道芸術祭vol.7関連トークプログラム

 2017.12.3(B1事務局 三ヶ尻)

12月3日(日)電車公演「電車と食堂とコントと」終演後、 トークプログラム「車窓の旅~ポルトガル編~」を開催しました。

鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」のはじまりにもなったポルトガルの旅について、リサーチメンバーである建築家の荒木信雄さん、作家の石田千さん、料理家・文筆家の高山なおみさん、そして鉄道芸術祭vol.7メインアーティストの立花文穂さんをお迎えし、それぞれの視点から見たポルトガルの旅と展覧会についてお話し頂きました。

12.03使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」

─ポルトガル・リサーチの旅の経緯について─

2017年11月10日から開催している本展は、2017年の夏、メインアーティストである立花さんの提案により、荒木さん、石田さん、高山さんとともに、ポルトガルをリサーチする旅から始まりました。

 

なぜポルトガルをリサーチ?とお思いかもしれませんが、これには経緯があります。

立花さんは何かを生み出す時に建築家の荒木信雄さんとお茶を飲むことが慣例で、今回も例によって立花さんと荒木さんはお茶をしながら本展のアイデアを生み出していきました。2人が鉄道芸術祭を企画するにあたって、荒木さんがよく訪れていたポルトガルのポルトとリスボンは、京都と大阪に共通している点が多いということに気がついたそうです。

また日本とポルトガルは歴史的にみても関連が深く、安土桃山時代、日本からポルトガルへ旅立った天正遣欧少年使節が活版印刷や宗教の概念など様々な技術や文化を持ち帰り、それらが日本の近代化に大きな影響を与えました。

このような共通点もあり、今回、現代の使節団として4人はポルトガルへ渡ることとなったのです。

 

ポルトガルに何度も行かれている荒木さんは、リスボンにあるパスティス・デ・ベレンのエッグタルトは絶品で忘れられない味らしく、【エッグタルト→食べること→高山なおみ】と立花さんの中で線が結ばれた結果、3人目の使節は料理家であり文筆家の高山なおみさん。そして、雑誌「球体」で『もじの緒』を連載されており、旅の情景を文字で形にする作家の石田千さんが4人目の使節となりました。

12.03使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」

─ポルトガルの日々─

高山なおみさん「ポルトガル料理の盛り付けと食べ方」
ポルトガルではイワシの塩焼きやたこを煮付けたもの等、日本人が普段食べている料理とそっくりなものによくお目にかかります。またポルトガル料理の薄い味つけも日本人の舌に親しみ深いと言われています。

高山さんはポルトガル料理そのものや味ではなく、食べ方やお皿の盛り付けなどを観察されていました。ポルトガル料理はメインディッシュの上に規則的な大きさに切り揃えらた副菜がおおいかぶさるように盛り付けられていることがよくあるそうです。
また、電車公演で上演された『イワシとムサカ』では、高山さんがイワシと付け合わせの野菜たちを細かく刻み、混ぜ合わせて食べる様子が印象的でした。立花さんは高山さんのイワシの食べ方をみて、料理を口に運ぶまでの過程も料理をしているようだと言い表していました。

12.03使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」

石田千さん「ポルトガルのサウダージ」
ポルトガルの民謡歌謡、ファドを好きな方も多いのではないでしょうか。ファドの歌詞には、サウダージ=郷愁、懐かしい気持ちを表わす言葉が度々登場します。石田さんは、ファドに限らずポルトガルの文学や詩にもこのサウダージを大切にしている印象があると言います。そして、ポルトガルの人たちの言うサウダージをリスボンの坂から見る街並みにも感じたそうです。リスボンは坂の多い町で、歩いているとすぐに息がきれます。その度に立ち止まり、振り返る。振り返ると青いテージョ川。石田さんは、この立ち止まり振り返るからだの行為と心情にポルトガルの人たちのサウダージがぴったりだと感じました。

また、旅の間は亡くなった人たちのことを考えていたという石田さん。旅の最中に訪れる余白の中に、今はいない人たちの姿が浮かび、ポルトガルへの旅はとくに記憶や気持ちの整理をする時間だったと言います。

 

荒木信雄さん「何もない感じに引き寄せられる」
荒木さんがはじめてポルトガルに行ったのは30代の頃でした。はじめて行った時から、荒木さんはポルトガルの何もない感じに引き寄せられたと言います。その経験から、何もない余白の部分をどう捉えるのか、他者といかに余白のような時間を共有するのかということをよく考えるようになったそうです。 またある時、ポルトガルで夕日を見た荒木さんは心を打たれ、「人は一瞬の記憶でもつのだ」と考えるようになりました。その夕日を見た時の感覚が荒木さんの思考に多大な影響を与えていると言います。

12.03使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」

立花文穂さん「見るタイミングが変われば、見るポイントが変わる」
立花さんは鉄道芸術祭vol.7に取り掛かる為にまず、電車に乗ることから始めました。京阪電車で〈京都─大阪〉間を何度も往復したそうです。電車に乗ったら外を見たいので、必ず窓側に座るという立花さん。しかし撮影中に感じたのは、外の風景を見ているようで意外とガラス面を見ているかもしれないということでした。 立花さんの作品「川の流れのように」では、車窓からみえる風景、そして車窓のガラス面に反射して写り込んだ車内の様子、双方を映し出しています。車窓からみえる風景などは立花さんが意図して映したものですが、車窓のガラスに反射していた車内の様子などは意図せず写り込んでいたものも多くあったそうです。今回作品をつくる際、後者が意外と良いと感じられたと立花さんは言います。鉄道芸術祭vol.7のメインビジュアルになっていた車窓に映った女性は立花さんにとって意図せず写り込んでいたものだったようです。この女性が本展のメインビジュアルとなったように、見るタイミングが変われば、見るポイントが変わるとおっしゃられた言葉がとても印象的でした。

また立花さんは、ともに現代の使節となった荒木さん、石田さん、高山さんについて、"自分時間で動く人"と表現されていました。それぞれのタイミングでものを生み出せる人たちなので、ポルトガルの旅が何にもならないはずがないと確信があったと立花さんは語ります。それぞれの時間で動いてもらうために「もしかしたら一緒に旅をしないほうが良かったかもしれない」という立花さんの言葉に、会場では笑いが起こりました。

12.03使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」

それぞれのエピソードを聞く中で、ポルトガルの土地から受け取ったもの、また、それぞれの感覚や経験がゆるやかに混じり合い、影響し合う旅だったのだと感じました。そして、鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」と「球体7号」としてアウトプットされた時、展覧会場の中で端々に感じる異国の文化の匂いが、わたしたちに旅に出向く直前の時のようなワクワクとした気持ちを想起させたのではないかと思いました。

 

 

 

 

電車公演「電車と食堂とコントと」を開催しました。
鉄道芸術祭vol.7イベントプログラム

 2017.12.3(B1事務局 三ヶ尻)

12月3日(日)に電車公演「電車と食堂とコントと」を開催しました。
電車公演とは、走行する電車を舞台とした一回限りの特別なプログラムです。

今回、国内では希少となった食堂車やお座敷列車へのオマージュを込めて、料理家・文筆家として活躍されている高山なおみさんと、のどかな新古典派ナンセンスコメディを展開するコントユニット、テニスコートがゲストとして乗車し、特別電車「電車と食堂とコントと」を発車しました。

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当日の様子を少しご紹介します。

中之島駅で受付を済まされた参加者の皆さんは、特別切符と、『球体7号・特別臨時便』テニスコート『快速急行インモラル』の2つの限定紙を手に、3つの車両にご乗車いただき、それぞれの席からじっくりと「電車と食堂とコント」を楽しんでいただきました。

車掌のアナウンスとともに扉が閉まり、特別電車がいよいよ出発。
電車の振動と振動音に心地よく揺られながら、各車両に設置されたモニターより高山なおみさん『イワシとムサカ』の映像が始まりました。まず、ごろごろとした立派なじゃがいもを皮がついたまま茹でています。「マッシュポテトのムサカ」です。熱々のじゃがいもを布巾の上にのせ、皮をひとつずつ剥いていく。皮が剥かれたじゃがいもたちをよく潰し、たっぷりのバターと牛乳を入れてはまた潰し、どんどん滑らかなマッシュポテトになる様子が映し出されていました。画面の中にはキッチンの青いタイルや近所のスーパーでよく見るパッケージの牛乳、そして、淡々とじゃがいもを潰す高山さんの後ろ姿。

12.03電車公演「電車と食堂とコントと」

公演当日はとてもお天気が良く、京橋駅を過ぎたあたりからたくさんの日光が車内に差し込みました。ぽかぽかと暖かい車内で映像の中の高山さんの後ろ姿を眺めていると、懐かしい場所に帰ったような、のどかな気持ちになりました。

また時折、映像の高山さんと重なるように、鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」で展示している高山さんの作品『ポルトガル日記』を高山さんご自身がマイクを通して朗読します。この作品は、鉄道芸術祭vol.7の始まりとなったポルトガルでの日々が日記として綴られているものです。朗読する高山さんの伸びやかな声とともに、ポルトガルで高山さんが見た光景が車内にふわりと立ち上がるようでした。

12.03電車公演「電車と食堂とコントと」

光善寺駅を過ぎた頃、BGMをきっかけに各車両に1人ずつ乗車していたテニスコートの3人がマイクを片手に各々立ち上がります。テニスコートのコントの題材となったのは、日本人で初めて公式にヨーロッパへ上陸した「天正遣欧少年使節」です。当時のヨーロッパを想起する襞襟(ひだえり)のついた洋服、手に黒革表紙の本を持った3人は、うろうろと車内を歩きながら、年表のような日記のようなものを読み上げ始めました。3人は異なる車両にいるのにも関わらず、近距離で話しているかのような会話がマイクを通して全車両で繰り広げられます。

12.03電車公演「電車と食堂とコントと」

日本からポルトガルへ渡る場面を演じるテニスコート扮する天正遣欧少年使節。大阪から京都へ向かう京阪電車は、さながら日本からポルトガルに渡る船中のようでした。 

枚方駅あたりで、3人は車両間を移動し始め、真ん中の車両で合流したり、また別れたり──。しかし各車両で聞こえる声の距離感は変わらず、車両から演者がいなくなっても言葉の投げ方と息遣いから場面の状況を捉え、想像を重ねるような、そんなコントでした。時折、旅路には暗雲が垂れ込めたり、気持ちよく晴れ上がったり、まるで車内の空間が伸び縮みするように3人のリズミカルな会話が積みあがっていき、時に笑いを誘います。

樟葉駅で停車すると、映像の中の高山なおみさんは、次の料理「イワシの塩焼き」にとりかかっていました。付け合わせの野菜たちを茹でたり、切ったり、和えたり。イワシはあら塩とともにグリルにかけられます。

12.03電車公演「電車と食堂とコントと」

電車は樟葉駅で折り返し、再び大阪方面へ走り出します。
行きの電車で繰り広げられたテニスコートのコントは同じ配役で、ポルトガルから日本に帰る船中のある日の出来事に移ります。コントでは、実際にはいない4人目の登場人物が登場し、別の車両にもう一人の人物がいるかのように話は進んでいきます。わずか3両の空間が、広大な海を渡る船であるかのような錯覚を引き起こします。

テニスコートのコントが終幕した頃、高山さんの「イワシの塩焼き」は、イワシの上に野菜が盛り付けられていました。そして、白いワインとともに、「イワシの塩焼き」を高山さんが食べる時間。付け合わせの玉ねぎや硬めにゆでられた卵、ピーマンのマリネをナイフで刻み、イワシの身からナイフとフォークで器用に骨を取り除き、じっくりと時間をかけて料理が口に運ばれます。料理の映像を見ていて生唾を飲む瞬間というのは誰しも経験があると思いますが、「イワシの塩焼き」は、食べているときの高山さんの仕草からも"美味しい"を感じました。

12.03電車公演「電車と食堂とコントと」

電車は終着の「なにわ橋駅」に到着。「なにわ橋駅」の改札口には、高山なおみさんの「イワシとムサカ」が蝋細工の食品サンプルで展示されていました。

車内のモニター越しに見た、高山さんの調理と完成した料理と食事の風景。そして実物の料理から型を取って作られた食品サンプル。
「イワシの塩焼き」も「マッシュポテトのムサカ」も、ポルトガルの代表的な料理の一つです。
ポルトガルへ行き、ポルトとリスボンを鉄道で旅した高山なおみさん。その日々を辿る朗読。
日本からポルトガルへ命がけの船旅をした天正遣欧少年使節。
使節の旅路をコントで辿るテニスコート。
大阪と京都を行き来する鉄道。窓から差し込む暖かなひかり。
異なる時間と空間と文化が車内で渾然一体となりながらも、出発駅から終着駅へ一直線に向かう鉄道の旅を楽しむ、そんな公演でした。

電車公演で上映した「イワシとムサカ」の映像と食品サンプルは、アートエリアB1の展覧会場にて1/21まで展示しています。

また、高山なおみさんによる「ポルトガルを感じる料理7品」のレシピが掲載された「球体7号・臨時特別便」も展覧会場でご購入いただけます。

電車公演に乗れなかった方は、この機会をぜひお見逃しなく。

12.03電車公演「電車と食堂とコントと」

12.03電車公演「電車と食堂とコントと」

終演後、アートエリアB1では、使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」が開催されました。

現代の使節としてポルトガルに渡った、建築家の荒木信雄さん、作家の石田千さん、料理家の高山なおみさん、そして鉄道芸術祭vol.7メインアーティストの立花文穂さんがゲストとして登壇したこのトーク。こちらの様子は次のブログ、使節団トーク「車窓の旅〜ポルトガル編〜」でご覧ください。

(撮影:松見拓也)

 

 

鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」 オープニングトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」

 2017.11.21(B1事務局 江藤)

アートエリアB1では、11月10日より企画展・鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」を開催しています。 11月11日(土)には、オープニングイベントとして、メインアーティストの立花文穂さんによるトークと、参加アーティストである太陽バンドさんによるライヴをおこないました。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」立花文穂さんは、ことばや文字、本を題材に作品を制作し、国内外で発表されていると同時に、グラフィックデザイナーとしてアーティストやクリエイター等の様々な本も手がけられています。 なかでも代表的な活動が立花さんが責任編集を務める雑誌『球体』です。2006年に創刊し、現在6号まで発刊されている本誌は、アーティストであり、デザイナーであり、編集者である立花さんの視点や考え、様々な思いが凝縮されている作品とも言えます。

独自の視点で線や文字を探究される立花さんは、元より軌跡や軌道というものにも深い関心を持たれています。

 

オープニングイベントでは、立花さんと太陽バンドさんの他、参加アーティストの石田千さん、荒木信雄さん、長崎訓子さん、齋藤圭吾さん、ワタナベケンイチさん、ナイジェルグラフさん、中野浩二さん、コンタクトゴンゾさん、MAROBAYAさん、片貝葉月さん、藤丸豊美さん、葛西絵里香さん、多数の方々にご参加いただき、 参加アーティストとともに展覧会場を巡りながら、ギャラリートークを行いました。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ギャラリーツアー

会場真ん中には、一本の湾曲したレールと映像作品があります。
ここでまずは、ポルトガルへリサーチ旅行に出かけることになった経緯を話されました。 「なぜポルトガル?」と思ってしまいますが、実はこの展覧会、立花文穂さんと、荒木信雄さん、石田千さん、高山なおみさんの4名がポルトガルへリサーチ旅行に行くところから企画がスタートしています。
その経緯は、立花さんによると、
鉄道芸術祭の企画にあたって京阪電車で大阪─京都間を往来していると、淀川沿いをずっと走りトンネルがほとんどない、そして曲線が多いということが気に留まりました。
参加アーティストの建築家の荒木信雄さんに相談すると、荒木さんはポルトガルが好きで、大阪と京都の対比がポルトとリスボンの関係に似ているという話になったそうです。
リスボンはラテンの血が入っているかのように明るい土地柄で大阪に似ているし、ポルトは観光地であり古い町並みが残っていて京都のようだと。

かつて、日本からポルトガルへ旅立ち、キリスト教文化とともに活版技術、料理、衣服等の様々な技術や文化を持ち帰った天正遣欧少年使節の4人の少年のように、
文字や本・建築・食・ことばという異なる表現手法をもつ4名が、現代の使節団となってポルトガルヘ赴いたのです。

 

ポルトガルでは、淀川沿いを走る京阪電車と同じように、リスボンからテージョ川沿いを走るカシュテロブランコまでの鉄道、ポルトからかつてポートワインを運んだドウロ川沿いを走る鉄道を選んで乗車しました。
展覧会場の最も広い壁に映された映像は、立花さんがポルトガルの鉄道の中から車窓の外や車内を撮影した映像です。

 2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ギャラリーツアー

その後、一つひとつの作品について、参加アーティストの紹介とそのアーティストに参加してもらった理由、作品展示の経緯などを説明されました。
鉄道というものをアーティストがどのようにイメージしているかといったことや、アーティストのことを「絵は下手なんだけど」と歯に衣着せず仰ったり、想像していたものが届かなかったアーティストもおられたとのことで、立花さんとアーティストとの関係の妙も面白く、終始和やかなギャラリートークでした。

 

ギャラリートークを終えると、アートエリアB1運営委員であるコンタクトゴンゾの塚原悠也さんの進行で、立花さんのトークが続きました。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」

立花さんは2006年に雑誌『球体』を創刊しました。発行したきっかけは、本屋で手に取れないような雑誌を見かけなくなったこと。
そのことに危機感を持って古本屋へ行き始めました。
この展覧会は、『球体 7号』を編集するというもので、雑誌をつくるように展覧会をつくるということを体現されています。 展覧会の作品の一部に刷り物の雑誌『球体七號(上リ)』があります。
「(上リ)」がありますから、「(下リ)」もあるとのことです。会期中に発行を予定していますので、ぜひご期待ください。

 2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」

大阪では、2010年に国立国際美術館で開催された『風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから』展に参加するなど、アーティストとして作品制作や展覧会への参加も精力的に行われる立花さんにとって、紙面をつくることと展覧会をつくることは基本同じだと仰られます。 球体をつくるように、絵画、彫刻、写真、ことば、映像などが目次のように並び、最後に台割ができあがっています。
これらのことばを聞いて、本展は雑誌『球体』のポリシー「美術・写真・ことば・・・さまざまな表現をぐちやっとまるめた紙魂である」を目の当たりにすることができる展覧会なのだと感じました。

他方、都市と都市、駅と駅、点と点を結ぶ鉄道は、点と線で構成されていると言えます。
立花さんが教鞭を取られている女子美術大学では、1年かけて点を集める、もう1年かけて線を集めるということを授業をされています。
それは、点が線を形成している感覚を知ることが大事であり、それが文字を知ることにつながるという考えからです。
学生には悩むほど考えると景色が変わることを知ってほしい、自分がやっていることを楽しむことを自覚してほしいというお話もありました。

 

トークの後には、太陽バンドさんによるライヴがおこなわれました。 ギターとハーモニカと歌声により、軽妙な詩でありながら叙情的に歌い上げられる曲が印象的でした。
本展の展示作品に、石田千さんがポルトガルを旅して作った「かつて彼らが旅したように」という詩があります。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ライヴ
これに太陽バンドさんが音をつけた鉄道芸術祭vol.7用の新曲も披露されました。
また、展覧会には、立花さんがポルトガルの蚤の市で購入されたとある楽譜も展示されています。 表紙には汽車が描かれ、その名も' IL TRANO(THE TRAIN)'。
この楽譜を読み解くことを依頼された野村卓史さんとの交渉のエピソードも太陽バンドさんによって紹介され、会場は笑いに包まれました。 この曲は、12月初旬より展示予定ですので、ぜひご期待ください。

 2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ライヴ

「『球体』はできあがってからできていく。」

この立花さんのことば通り、鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」はこれからも変化します。 雑誌『球体七號(下リ)』の発行、楽曲作品「'IL TRANO(THE TRAIN)'」、その他、葛西絵里香さん、MAROBAYAさんの作品も会期半ばでの展示を予定しています。
高山なおみさんとコントユニット・テニスコートによる電車公演やリサーチメンバーによるトークショーも開催します。

 

約2ヵ月半の会期をかけて、編集され続ける鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」を体感しに、ぜひ展覧会へお越しください。

サーチプロジェクトvol.6 クロージングトーク&イベント「クロージング・スパークパーク」

2015年から3回にわたって開催してきたアート&サイエンスの企画展の最終章「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」は6月25日(日)に最終日を迎え、「クロージング・スパークパーク」と題したクロージングイベントを開催しました。 

本イベントは、大きく分けて2部構成で開催しました。
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■第1部 ギャラリーツアー&トーク
プロジェクトメンバーによるギャラリーツアー&クロージングトーク〜展覧会の振り返り〜

■第2部 ライブ&パフォーマンス
Drone Development Departmentによるドローン飛行
光と音が交差するスパークパーク・ライブパフォーマンス
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6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

■■第1部■■

第1部では、本展のプロジェクトメンバーとともに巡るギャラリーツアー&デモンストレーション、続いてトークをおこない、会期中に開催した6本のトークプログラムや約3ヶ月の展覧会の様子を振り返りました。 

 

〜ギャラリーツアー&デモンストレーション〜

ギャラリーツアーのはじめに、本展のコンセプターである大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授の吉森保さんより、改めてご自身の研究活動についてご紹介いただきました。吉森さんのご専門はオートファジーの研究です。オートファジーとは私たちの体の細胞が毎日細胞のなかでものを分解する仕組みのことです。私たちの体を構成する主要な成分であるタンパク質は、絶えず合成と分解を繰り返していますが、細胞内でタンパク質を分解するための主な機構も、オートファジーです。

タンパク質は20種類のアミノ酸の組み合わせでできています。アミノ酸が直線上に並んでいる状態がタンパク質の一次構造で、らせん状となるのが二次構造、折りたたまれると三次構造です。さらに、三次構造のタンパク質どうしが結合して意味や役割を持つようになったものを四次構造と呼びます。このように複雑な階層構造を持つタンパク質を、オートファジーは再びアミノ酸へと分解するのです。この仕組みが、本展の根底にあるコンセプトとなっています。

展覧会では、会場全体を"体内公園"に見立てました。建築ユニット dot architectsは、タンパク質が20種類のアミノ酸からできていることになぞらえて、約20種のパーツと接合方法で設計した"細胞的遊戯装置"を作りました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ギャラリーツアー

広い壁面には、やんツーさんによる体内をイメージしたバーチャル映像がパノラマで映写されました。

会場の遊戯装置と壁面の映像が連動していて、来場者の動きに反応して映像の中にも遊戯装置を3Dスキャンしたものがごろごろと増殖したり、くっつきあって固まったりします。

つまり、階層構造においては三次構造である"細胞的遊戯装置"は、会場で人が遊ぶことによって、やんツーさんの映像の中で四次構造へと至るのです。

さらに、やがて映像内の天井が降りてきて全てが一層されるのですが、これはオートファゴゾームという構造体が細胞内のものを包み込んで分解するという、オートファジーの仕組みを再現しています。

また会場には、細胞の中をイメージした映像が流れるVRメガネを付けて遊べるブランコとシーソーがあり、まるで自分がタンパク質となって体内を浮遊するような感覚を体験することもできました。

ギャラリーツアーの途中では、VR付きのシーソーや、体内公園を縦断する大きなスロープの先端に設置された空中ブランコを、来場者数名に実演体験していただきました。空中ブランコが宙に飛び出すと、会場の皆様から大きな拍手が起こる一幕もありました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ギャラリーツアー 〜トークプログラムの振り返り〜

本展は、学術的な題材と建築・メディアアートを融合して、未知で不確かである"私たち自身"について来場者に多様な角度から問いかけることを企図していました。会期中はテーマについてさらに多方面から掘り下げるために、6回のトークプログラムを開催しました。クロージングトークでは、様々な専門分野の方々と、プロジェクトメンバーがくり広げたトーク内容を振り返りました。

学術的な内容ゆえ容易には理解しにくい回もありましたが、様々な視点から私たち自身を考える大変刺激的な機会となりました。

※関連トークプログラムの内容につきましては、下記リンクよりスタッフブログをご覧ください。

5月24日(水)開催
「膜である人の内と外」
ゲスト:永田和宏さん(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

5月31日(水)開催
「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」
ゲスト:飯田和敏さん(ゲームクリエイター/立命館大学映像学部インタラクティブ映像学科 教授)

6月1日(木)開催
「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」
ゲスト:島薗進さん(宗教学者、上智大学大学院 実践宗教学研究科 教授)

6月8日(木)開催
「『超ひも理論』から捉える未知なる"私"と"彼方"」
ゲスト:橋本幸士さん(物理学者、大阪大学大学院理学研究科 教授)

6月15日(木)開催
「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」
ゲスト:藤田一郎さん(脳科学者、大阪大学大学院生命機能研究科 教授)

6月16日(金)開催
「『遊び』から見る人間の本質」
ゲスト:西村清和さん(美学者、國學院大學文学部哲学科 教授)

 

〜展覧会でのできごと〜

今回の展覧会は、体験型の展示ということもあって、老若男女問わず様々な方々にご来場いただき、会場で実施した来場者アンケートには、子どもから大人まで多様な感想が寄せられました。他方、会場で日々来場者を案内し、その安全を見守っていたのが、サポートスタッフ(ボランティア)の皆さんです。トークの後半では、来場者アンケートと、サポートスタッフの感想を元に、会場での出来事をふり返りました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

アンケートの感想では、遊戯装置について、大人の方は総じて怖いというご意見多かったようですが、一歩踏み出して楽しんでくださった方も多くいらっしゃいました。一方で、遊ぶ子ども達を見守る保護者の方々からは、危なさを感じながらも子ども達は満足そうであることを冷静に見つめていらっしゃる様子が感じられました。展覧会のテーマや内容については、細胞を公園に見立てる発想や自分たちの細胞内の営みそのものに対して、驚きの声が寄せられました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク遊戯装置で大いに楽しんでくれた子ども達からのご感想では、VR装置のことを「げんだいのメガネみたいなもの」と言い換えるなど、独創的なことばの表現がみられました。「てづくりなのでこわかった」という建築家にとって興味深い意見が紹介された際には会場に笑いが起こり、「大学生になったら大阪大学に入ってもっといろいろしりたい」という声に、吉森さんから「100点!」の声が上がりました。

続いて、本展のサポートスタッフの声を抜粋し、ご紹介しました。 

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

男性よりも女性が積極的な場合が多かったということや、遊戯装置がコミュニケーションの場になって他者を結びつけるということが起こっていた様子、現代の子ども達のことを思ったり、体に触れるという行為が大人になるにつれ少なくなっていることに気づいた等、様々な感想がありました。

サポートスタッフは危険な場合もありうる遊戯装置で遊ぶ来場者の姿を緊張感を持って見守っていましたが、「はっきり危ないとわかるので、これまでの展覧会より案内時が気楽だった」という意見もあり、危険を危険ですと示すことで、どのように関わってもらうかという個人の判断を促し、コミュニケーションが明確であったのではないかと思われます。

 

〜締めくくり〜

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

吉森さんが全体を通して熱く語っておられたことは、細胞一つひとつに宇宙があること、その宇宙はまだまだ解明されておらず、尽きせぬ謎が皆さんの体の中にあり、研究者が見つけたことは皆さんと分かち合いたいという研究者からのメッセージでした。普段芸術やスポーツを観たり体験したりして感動されるように、「科学を通して一緒に感動したいというのが科学者の夢です」と語られたのが印象的でした。

やんツーさんは、本展を通して出会った「生命を規定するのが膜である」という定義に衝撃を受けられたようで、今後の創作活動に繋がる新しいアイデアの元に出会えた場にもなったようです。

 dot architectsの土井亘さんは、サーチプロジェクトでは研究者と議論しながら、全てを想像し得ないところで話を重ねて進めていく過程が面白く、本展は単なる「遊び」でも「企て」でもない射程の深いところまで行けたのではないかと話し、同じくdot architectsの寺田英史さんは、今回は細胞のための建築物をつくったが、今後建築家が「人間でないもののためにどうアクションできるのか身につけていきたい」と語られました。
また、家成さんは、素粒子レベルでは個と個の間に違いがないこと、いわば「わたしのかなたへ」行けば行くほど私がなくなっていくという感覚が感動的であったと語りました。

吉森さんがおっしゃられた「細胞まで行くとあなたも私もみな一緒である。」という言葉でクロージングトークは締めくくられました。私たちの体の中の、細胞や素粒子などのごく小さな世界では、人間関係や社会問題の解決のきっかけになるのではないかと思わせる不思議な真実が存在しています。

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■■第2部■■
ライブ&パフォーマンス

〜ゲスト・Drone Development Departmentによるドローン飛行〜

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ドローン映像

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ドローン飛行

トークが終わり、ドローンの羽音が聞こえてきました。スクリーンにはドローンに搭載されたカメラが写す体内公園があります。中之島を拠点に活動するDrone Development Departmentによるパフォーマンスです。

ドローンのカメラを通して、これまでとは全く違う視点、全く違う視線の動きで見ると、人間の視覚で捉えていた体内公園とは別の世界である

かのような感覚にもなります。また、シーソーをしている人間を斜め上から見る感覚は、体内公園で繰り広げられていた遊びの思い出を回想するようでもありました。2周の飛行を終え、スタート地点に降り立った後に、会場からは拍手が起こりました。

 

〜ライブ&パフォーマンス〜

舞台は最終章のDJ KΣITOさん、やんツーさん、dot architectsによるライブ&パフォーマンスへ。ここからは、舞台、客席ともに"体内公園"(展覧会場)へと移動します。

ほどなくして、ビート音が鳴り響き始め、公園のあちらこちらで勢いよく電灯が点滅しはじめました。スロープの先のDJ台でパッドを叩き、トラックメイクをおこなうのは、トラックメイカー、DJのKΣITOさんです。様々な音やリズムが重なり、やんツーさんによる"仮想の体内公園"(映像)の中を歩くおじいさんの姿、暗闇の中で不意に点いては消える灯り...。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

緩やかなリズムに変わると、KΣITOさんがインラインスケートを滑りながらDJ台を離れました。駆けのぼったり滑り下りたり、ジャンプしたりと、体内公園で縦横無尽に滑りまわるKΣITOさんの動きに合わせて、やんツーさんがKΣITOさんの靴に施した仕掛けによって新たな音が加わりました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

再び軽快なリズムが始まると、dot architectsの皆さんが会場に入り、遊戯装置の解体が始まりました。音楽に加えて電気ドリルの音や床に置かれる部材の音が鳴り響き、さらに体内公園は渾然一体となりました。 

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

タンパク質が自立的に異なる役割を持って働き、それらが私たちの体内で驚くべき巧妙なシステムをつくりあげ、宇宙にも似た壮大な世界が繰り広げられている。今回のクロージングイベントは、展覧会を通して考察した体内世界や、"わたし"という存在の不思議さや不確かさ、そして会場での様々な出来事がこのライブ&パフォーマンスというかたちで結実したように思います。

本展は、たくさんの来場者と会話をし、時には身体的も接触することで、たくさんの気づきや学び、そして未来への何らかの手がかりを感じることができました。また、関連トークプログラムを重ねながら様々な専門分野を超えて、新たな気づきも見出すことができたことも大きな特徴でした。

ご来場くださいました皆様、展覧会を支えてくださった皆様、どうもありがとうございました。

 

アートエリアB1では、この「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」の3カ年の軌跡を記録集というかたちでまとめ、未来に残していきたいと考えています。発行はまだ先になりますが、ぜひご期待いただければ幸いです。

「遊び」から見る人間の本質(西村清和さんをお迎えして)

 2017.6.21(B1事務局 大槻、鄭/サポートスタッフ 石原)

6月16日(金)、サーチプロジェクトvol.6の関連企画として、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『遊び』から見る人間の本質」を開催しました。

ゲストには、西村清和さん(美学者/國學院大學文学部哲学科 教授、東京大学名誉教授)をお迎えし、「遊び」とは何なのか、その感覚の中身や構造がどうなっているのかについてお話をうかがいました。6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜「遊び」〜

まず、西村さんが話してくださったのは、ホイジンガやカイヨワをはじめとする、これまでの遊び論の議論で展開されてきた、遊びに関する二つの側面の紹介と、それらについての見解です。 一つは「非現実の虚構」、もう一つが「現実の模型」です。

たとえば、鬼ごっこやままごとのとき、わたしたちは現実とは異なる非現実の役割を演じ、虚構の世界を作り出しています。これは、非日常を出現させており、一つ目の側面に該当します。しかしその一方で、遊びはなんらかのルールを持ち、私たちはそれに従って他者と関係を構築します。この点で実社会の模型であり、「遊び」は実人生への予行演習だというものです。

この遊び論について、西村さんは批判的な見解を示されました。遊びは「遊んでいるという現実」であるし、遊びは教育学者がよく言うように現実の人生の「模型」による学習のためにあるのではない。また、株の取引が賭の遊びに見えたり、戦争がシューティングゲームに見えたりしても、それらはまったく異なったものだ。というのが西村さんの主張です。

哲学的な観点からみると、遊びと切り離して考えている社会的事象が「遊び」としての要素を持ちうる可能性があるのが興味深かったです。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜遊び感覚―浮遊と同調―〜
つぎにお話ししてくださったのは、「遊ぶ」という感覚の中身についてです。

西村さんは、突き詰めていくと「浮遊」と「同調」に行き着くといいます。
「浮遊」は、言い換えると、「かろやかで、あてどなく揺れ動く運動。それ自身の内部で、ゆきつもどりつする運動」といえます。 例えば、揺れ動きゆきつもどりつする典型的な仕掛け"シーソー"では、二人が異なった動きをしているように見えますが、二人は自分勝手な動きをしているのではなく、二人がひとつの動きに同調し、笑い合いながら浮遊する1つの感覚を共有しています。

この行動の関係は、まなざしのキャッチボール(まなざしの同調)であり、人々が"遊び"感覚があると言ってるのは、この浮遊と同調が起きている時といえるのでは、というのが西村さんの見解です。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  浮遊と同調

 重要なのは、この「浮遊」は必ずしも心地よいものばかりではないということです。ひとはジェットコースターのような危険が伴う状況にもお金を払って興じます。これはどういうことなのでしょうか?

これは不快の快と呼ばれ、古代ギリシアの時代から議論されてきたことですが、西村さんは、そもそもこれを「恐怖」と呼ぶこと自体が誤りであるとしています。なぜなら、ジェットコースターに乗っても、原則として死ぬことはないため、本当の意味で恐怖とは言えないからです。 むしろこれは恐怖を楽しんでいるわけではなく、「どうなるかわからないハラハラドキドキする状況」=「宙づり」を楽しんでいるにすぎないと考えると、筋が通ります。

このことから、「遊び」のなかには、「どうなるかわからない状況やスリルを楽しむ」感覚が本質的に内在していると西村さんは言います。

小さいころ、高いところにぶら下がったり飛び降りたりとわざと危険な遊びをした経験を思い出して、納得してしまいました。

  

〜遊びの基本骨格〜
トークの半ばになると、「遊び」と「仕事」の話になりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん 

西村さんはこの二つは「遊び」と「企て」という、対立する二つの概念で説明できるといいます。

「遊び」は先の通り、「あてどない」、「浮遊」と「同調」「宙づり」の行動です。
「企て」とは「投企=目標や計画を立てて、それを達成する行動」だそうです。

まさにわれわれが仕事と呼んでいるものと言えます。「遊び」では自分と他人がおなじ動きに同調しますが、「企て」においては、むしろ各々の利害やまなざしは対立します。 

 おなじ「ふりをする」でも、こどものおままごとと、プロの俳優の演技が大きく異なるのがその例です。

一方は誰かに見せるという目的は持たずただ互いに同調し、その場でストーリーをつくり、父や母といった役割を模倣します。他方、俳優たちはひとつの作品を作り上げることを目標に技術を磨きスケジュールを組んで稽古をします。

西村さん曰く「よくアーティストは遊びの延長線上で仕事をしていると言うが、明確に作品をつくるという目標があることから、遊びというよりは企てという方が妥当である」そうです。なんだか意外ですよね。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  遊びの基本構造

〜自由がないから「遊び」は楽しい〜
後半の司会を交えたトークセッションでは、スマホが普及し、いつでも連絡ができてしまうため、遊びと仕事を時間によって分けることができない状況について意見が交わされました。

 西村さんはこの状況のしんどさは、「自由のない遊び」が確保できないことに由来すると言います。普通に考えれば、遊びは自由で、仕事は自由がないように思えますが、そうではないそうです。

遊びにはごっこ遊びにしろボードゲームにしろ必ずルールがあり、プレーヤーはそれに従わねばなりません。しかし、それは裏を返せば「鬼から逃げろ」、「キングを取って勝て」という行動の動機を与えてもらえるということでもあります。
すべて自分で選択・決定せねばならない普段の生活は自由であり、自由であるがゆえに辛さが生じます。
遊びが楽しいのは、そういった自由がないから、という発想には目からうろこで、会場でもうなずくお客さんが見られました。

 

〜最後に〜

最後に西村さんは、「我々の人生には食べたり飲んだり仕事をしたりすることと並んで、絵を見たり音楽を聞いたり演劇を見たり、と遊ぶことが不可欠」「それが欠けるということは、自分の人生が壊れるということを意味し、遊べないことは、人生の病理として不幸である」とまとめられました。

今回のトークでは、わたしたちは知らず知らずのうちにいろいろな行動様式を取っており、それは生きることに直結するふるまいであることをわずかではありますが理解できた気がします。様々な示唆を得られた二時間でした。

講演後の質疑でも、「夜中でも仕事の内容がきて企てと遊びの境がなくなっている。そんな状況を遊びにかえるのはどうしたらよいか」との質問への、「スマートフォンは持たないこと。」というストレートなコメントに会場が沸く等、終始和やかな雰囲気で終演したトークライブとなりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

 

視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密(藤田一郎さんをお迎えして)

 2017.6.21(B1事務局 三ヶ尻、鄭/サポートスタッフ 小河)

6月15日(木)、サーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"〜 わたしのかなたへ〜」の関連企画、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」が開催されました。


脳科学者であり、大阪大学大学院生命機能研究科の教授でもある藤田一郎さんをゲストにお招きし、視覚がもたらす様々な不思議や、脳が心を生み出すこととは何かについて等をお聞きしました。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ー脳が世界を見るー

私たちは「目に映っている」=「見ている」と考えてしまいますが、藤田さんは「世界がそのまま見えているわけではない」といいます。

私たちの脳は、まず網膜で光の情報を受け取りますが、それをそのまま世界として認識するわけではありません。形や色、動き、奥行きなどを分析し、「解釈」することによって世界をもう一度「つくりなおしている」のだそうです。つまり、私たちの見ている世界は、脳が認識し解釈した沢山の情報から選ばれた「正しいと思われる世界」なのです。

「見えるものには圧倒的な説得力があるが、私たちが見る世界は脳が作りだしたもの」と、藤田さんが話されていたことがとても印象的でした。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ー問題を解決しようとする脳ー

脳や視覚の働きには、工学的にも模倣できない多くの機能や仕組みがありますが、網膜が脳に与える情報は曖昧な部分も多いために生じる事象もあります。それが一般的に錯視(視覚に関する錯覚)と呼ばれる現象です。

私たちが網膜で受け取る像は、実は立体的な三次元の像ではなく、奥行きのない二次元の像です。そのため、脳は情報を分析して三次元構造を推定し、復元する必要があります。錯視はその復元の能力によって引き起こされます。

例えば、平面の黒い模様が横に動いているだけであるにも拘らず、脳が奥行きを作り出し、あたかも軸を中心に回転しているかのように感じてしまうシルエット錯視。

あるいは、同じ画像を見ているにも関わらず、人によって布地の色が青と黒に見える人と、黄と白に見える人が出てきてしまうドレス錯視。

おなじグレーに塗られているのに、位置によって、一方は白、他方は黒に見えてしまうチェッカーシャドー錯視など、その種類は枚挙に暇がありません。

なぜこういうことが起きるかというと、人には環境に惑わされずに本来の色を見ようとする習性があるからです。光の色を脳内で補正して見ているために、人によって補正の仕方も変わり、それぞれに違う色で認識してしまうのです。同じグレーなのに、白や黒に見えるのも、そうした習性によるものといえます。

脳はこのように、解釈が複数あり、答えを一つに絞ることのできない「不良設定問題」を常に解決している組織なのです。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん


ー生きていく上で重要な感覚と脳ー

いつでも問題を解決しようとしている脳ですが、手を抜くこともあります。たとえば、数秒前のことであっても、覚えていなかったりするのが、その証拠です。これは、脳がさほど重要ではないと判断したことには、リソースを配分しないようにできているためです。では、どういうことに大きくリソースを割いているかというと視覚です。実に脳の3分の1が使われているというから驚きです。脳をどの感覚にどれだけ使うかは、生物によって異なっており、ネズミの場合は髭の触覚に、カモノハシならクチバシの触覚、アライグマは手の触覚に、多くを使うようです。

視覚ということで、展覧会場に設置しているVR機器についても話が広がりました。VR機器を体験した人は、現実空間ではなく、VR空間の中にいるかのような気分になることがあります。これは、現実にあるものを見たときに起こる脳への刺激と、仮想空間にあるものを見た時に起こる脳への刺激が、視覚情報としては差異が無いため、神経細胞が両者を区別することができずに起こります。言い換えれば、私たちが当たり前にあると思っている世界も元をたどれば、視覚の刺激と言うことが出来てしまうのです。そう思うと、世界の輪郭があやふやになるような感じがしました。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ーおわりにー

最近の研究では、夢で見ている像を読み取る試みや、逆に脳のなかへ映像を作り出すような試みが始まろうとしているそうです。この先研究がどうなるのかは未知数ですが、統合失調症などに全く新しいアプローチの療法ができる可能性があるそうです。しかし一方で、一度被験するとその影響が一年ほど残ってしまうため、慎重にならねばならない取り組みであることは確かです。私自身は使い方次第では、良い方向にも、悪い方向にも転びそうだと感じました。

とは言え、これほどの科学が発達した現代においても、様々な感情を生み出す仕組みを説明できていません。頭部に収まっている、僅か1,300gの組織が心を作り出し、文化や科学をつくりだしていると考えると、不思議なかんじがします。
人の脳という組織は本当におもしろい「授かりもの」なんだなと感じた二時間でした。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

「超ひも理論」から捉える未知なる"私"と"彼方"(橋本幸士さんをお迎えして)

 2017.6.17(B1事務局 大槻/サポートスタッフ 竹花)

梅雨入りが発表されましたが、穏やかなお天気だった6月8日(木)。現在開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"〜 わたしのかなたへ〜」の関連企画、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『超ひも理論』から捉える未知なる"私"と"彼方"」が開催されました。
今回は、物理学者で大阪大学大学院理学研究科教授の橋本幸士さんをゲストにお招きしました。カフェマスターは家成俊勝さん、木ノ下智恵子さん、塚原悠也さんです。

橋本さんのご専門は理論物理学。『超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』の著者でもいらっしゃいます。そもそも「超ひも理論」とは、何を説明するどんな理論なのでしょう?「超ひも理論」 からわたしについて考える今回のトークは、橋本さんによるレクチャーから始まりました。

 橋本さん1

今回の展覧会の「わたしのかなたへ」というテーマに寄せて、まず橋本さんがお話ししてくださったのは、"科学者がどういう風に世界を見ているか"についてでした。
科学が見る世界では、原因から結果までの間がある数式によって繋がれています。そしてその計算を学べば、誰でも答えを導くことができます。すなわち科学とは、誰にとっても言い切れるような、全人類が共通に持てる認識なのです。それがわかってはじめて、「世界はこれです。でもわたしは世界とはちがいます。だからこれは"わたし"なんです。」と、"わたし"というものもわかる。自分を知るにはまず外界がどう動いているかを知る、ということが、橋本さんの物理学者としての意識の持ち方だそうです。

 

その上で、"この世界が科学的にはどのように成っているか"について、2つの事実について話してくださいました。
1つ目は、わたしたちが存在しているこの宇宙は「素粒子の標準理論の作用」と呼ばれるただ1つの数式によって全てが支配されているという事実です。高校の教科書にも載っていないため知らない人は多いはずですが、宇宙の膨張や地球の公転、私たちの動き・・・全てを決めている完璧な方程式があり、なんと人類はすでにそれを知っているのです。
2つ目は、宇宙の中にあるものを構成している最小単位は素粒子であるということです。素粒子とは、人類が知る最小の構成物のことです。現在は全部で17種類の素粒子が知られています。この世のものは分割していくと全てがそのいずれかの素粒子になり、同種の素粒子は入れ替え可能な同一のものであるとわかっています。
つまり、宇宙を構成する素粒子がどのようにくっついたり離れたり飛んで行くかということを知れば、この宇宙の全てを知ることになります。それを与えてくれるのが、先の"ただ1つの数式"なのです。しかし、人類はまだこれを解ききるための数学的ノウハウを持ち合わせていないそうです。

 「宇宙を支配する数式」

「宇宙を1つの式が支配している」と聞くと、「本当に...?」「そんな都合のいいことが...?」など、ちょっと信じがたいなあという気持ちになった方も多かったようです。最後の質疑応答でも質問されている方がいらっしゃいました。橋本さんは「1つであるからこそ科学は発達してきた」と話された一方で、「あまりにもうまく出来過ぎているから、なにか上位の存在 (神的なもの)がこの世界を創ったと考えた方が安心できる、という科学者もたまにいますね」というお話もありました。

 

そしておまちかねの「超ひも理論」についてのお話。超ひも理論とは、素粒子はひも状であるとする仮説です。
例えば光子と呼ばれる粒として知られている光は、偏光という揺れ動く性質を持つ点で特殊なのですが、超ひも理論を記述している方程式を解くと光を特定している「マクセル方程式」が導かれ、矛盾がありません。重力についても、重力を媒介している素粒子を輪ゴムのように閉じたひもであると仮定した方程式を解くと、それが重力の方程式と同じであることが示されます。
このように、素粒子がひも状であると仮定すると、さまざまな現象が矛盾なく説明できるそうです。この仮説を確かめるべく橋本さんは研究なさっています。

 超ひも理論について

では、素粒子がひもだとすると、どんな面白いことが予言できるのか。
それは、「次元の違うものが同じかもしれない」ということです。

トークの中では、素粒子をひもだと仮定すると、重力と光は、次元は異なるが同じものであると考えられるという仮説が紹介されました。この仮説によると、光(光子)が移動した軌跡と重力 (ゲージ粒子)が移動した軌跡は、違う方向に進む(光がx軸方向に進むとき、重力はy軸方向に進む)けれども同じ軌跡になるので、偏光素粒子=仮想重力であるとして矛盾がないそうです。
そうすると、直感的に導かれた「素粒子はひもである」という仮説によって、「次元が違う=別のもの」と言う一般常識が覆されてしまいます。現代科学によって常識的に考えられていることがひっくり返る可能性が示唆されつつある。その先に面白い科学があるのではないかと考え、科学者は研究をしているそうです。

光(直線のひも)と重力(輪のひも)が同じ次元にあると捉えることについて、塚原さん、家成さんは「どこを切り口にするか、どの面を捉えるかということは建築に通じるところがある」とおっしゃられていました。

 「超ひも理論」のかたち

わたしはこの素粒子はひも状、という説明の方が理解しがたく、「素粒子はひも状......?粒子なのに......?」と混乱してしまいました。普段見慣れているものの形や動きがボキャブラリーとしてストックされていて、それをパズルのように使ってわたしたちはものを考えているため、矛盾していることがうまく想像できないのですね。自分が持っている考えるための材料の限界を知ったような気がして、"わたし"に関する新たな気づきでした。

 

印象的だったのが、「問題を解いた人がえらいのではなく、本当にえらいのはその問いをたてた人」というお話です。もちろん、問題を解いて正しい答えを導いたということは立派な業績であるけれども、そもそもの、答えを導くことのできる適切な式を書くことができた、 答えに対する正しい問いのたて方ができた人というのが一番えらい人なのだそうです。答えが出ない、結果が矛盾している、そんな時は適切な問いをたてることができていないのだとおっしゃっていました。言われてみれば確かにそうなのですが、何も意識しなければ答えを出した人が一番すごい人だと思ってしまいますよね。

このお話に対して、木ノ下さんが「それはアートも同じこと。科学が1つの解を導くのに対し、芸術作品は複数の解釈を導くという違いはあるけれども、適切な問いをたてることが一番大事だという点は共通している」ということをお話ししてくださいました。木ノ下さんは作品によってなされる問いかけで、多くの答えを生み出し、誤読を許すことのできる作品が良い作品だと考えているとのことでした。

また、橋本さんは「自然によって選ばれる正解は一つで、ノーベル賞をとれるのはそれを見つけた一人だけ。そのほかの何万という解は間違いだけれども、でも必要なのだ」 というお話もしてくださいました。カフェマスター側からも、「アートも、売れる人はほんの一握りだけれど、そうじゃない作り手がたくさんいることで多様性が生まれてより良いものが生まれてくるという点が似ている」という意見が出ました。言わずと知れた働きアリの話ではありませんが、正解、売れるもの、役立つものだけがあればいいのではなく、そうしたもののために間違いや無駄に思えるものも必要なのですね。永田和宏さんをお招きしたトークでも言及されていましたが、多様性が発展には不可欠だということはどの分野も同じようです。

 橋本さん2

他にも、偶発性についての考え方、空間をどう捉えるかなど、興味深いお話をたくさんお聞かせいただきました。科学とアートとでは、目指すところは違いますが、プロセスの部分では共通する部分が多かったです。科学者にとっての世界は、一般の人が想像する社会のような形態ではなく、素粒子によって構成されているものですが、自分を知るために世界がどうあるかを知る必要がある、という考え方は人文的なアプローチと共通しています。科学とアート、目標が異なるそれぞれの世界の見方を知る事で、"わたし"や"世界"への新たなアプローチの可能性を感じられたトークになりました。

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