スタッフブログ

鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」 オープニングトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」

 2017.11.21

アートエリアB1では、11月10日より企画展・鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」を開催しています。 11月11日(土)には、オープニングイベントとして、メインアーティストの立花文穂さんによるトークと、参加アーティストである太陽バンドさんによるライヴをおこないました。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」立花文穂さんは、ことばや文字、本を題材に作品を制作し、国内外で発表されていると同時に、グラフィックデザイナーとしてアーティストやクリエイター等の様々な本も手がけられています。 なかでも代表的な活動が立花さんが責任編集を務める雑誌『球体』です。2006年に創刊し、現在6号まで発刊されている本誌は、アーティストであり、デザイナーであり、編集者である立花さんの視点や考え、様々な思いが凝縮されている作品とも言えます。

独自の視点で線や文字を探究される立花さんは、元より軌跡や軌道というものにも深い関心を持たれています。

 

オープニングイベントでは、立花さんと太陽バンドさんの他、参加アーティストの石田千さん、荒木信雄さん、長崎訓子さん、齋藤圭吾さん、ワタナベケンイチさん、ナイジェルグラフさん、中野浩二さん、コンタクトゴンゾさん、MAROBAYAさん、片貝葉月さん、藤丸豊美さん、葛西絵里香さん、多数の方々にご参加いただき、 参加アーティストとともに展覧会場を巡りながら、ギャラリートークを行いました。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ギャラリーツアー

会場真ん中には、一本の湾曲したレールと映像作品があります。
ここでまずは、ポルトガルへリサーチ旅行に出かけることになった経緯を話されました。 「なぜポルトガル?」と思ってしまいますが、実はこの展覧会、立花文穂さんと、荒木信雄さん、石田千さん、高山なおみさんの4名がポルトガルへリサーチ旅行に行くところから企画がスタートしています。
その経緯は、立花さんによると、
鉄道芸術祭の企画にあたって京阪電車で大阪─京都間を往来していると、淀川沿いをずっと走りトンネルがほとんどない、そして曲線が多いということが気に留まりました。
参加アーティストの建築家の荒木信雄さんに相談すると、荒木さんはポルトガルが好きで、大阪と京都の対比がポルトとリスボンの関係に似ているという話になったそうです。
リスボンはラテンの血が入っているかのように明るい土地柄で大阪に似ているし、ポルトは観光地であり古い町並みが残っていて京都のようだと。

かつて、日本からポルトガルへ旅立ち、キリスト教文化とともに活版技術、料理、衣服等の様々な技術や文化を持ち帰った天正遣欧少年使節の4人の少年のように、
文字や本・建築・食・ことばという異なる表現手法をもつ4名が、現代の使節団となってポルトガルヘ赴いたのです。

 

ポルトガルでは、淀川沿いを走る京阪電車と同じように、リスボンからテージョ川沿いを走るカシュテロブランコまでの鉄道、ポルトからかつてポートワインを運んだドウロ川沿いを走る鉄道を選んで乗車しました。
展覧会場の最も広い壁に映された映像は、立花さんがポルトガルの鉄道の中から車窓の外や車内を撮影した映像です。

 2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ギャラリーツアー

その後、一つひとつの作品について、参加アーティストの紹介とそのアーティストに参加してもらった理由、作品展示の経緯などを説明されました。
鉄道というものをアーティストがどのようにイメージしているかといったことや、アーティストのことを「絵は下手なんだけど」と歯に衣着せず仰ったり、想像していたものが届かなかったアーティストもおられたとのことで、立花さんとアーティストとの関係の妙も面白く、終始和やかなギャラリートークでした。

 

ギャラリートークを終えると、アートエリアB1運営委員であるコンタクトゴンゾの塚原悠也さんの進行で、立花さんのトークが続きました。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」

立花さんは2006年に雑誌『球体』を創刊しました。発行したきっかけは、本屋で手に取れないような雑誌を見かけなくなったこと。
そのことに危機感を持って古本屋へ行き始めました。
この展覧会は、『球体 7号』を編集するというもので、雑誌をつくるように展覧会をつくるということを体現されています。 展覧会の作品の一部に刷り物の雑誌『球体七號(上リ)』があります。
「(上リ)」がありますから、「(下リ)」もあるとのことです。会期中に発行を予定していますので、ぜひご期待ください。

 2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」

大阪では、2010年に国立国際美術館で開催された『風穴 もうひとつのコンセプチュアリズム、アジアから』展に参加するなど、アーティストとして作品制作や展覧会への参加も精力的に行われる立花さんにとって、紙面をつくることと展覧会をつくることは基本同じだと仰られます。 球体をつくるように、絵画、彫刻、写真、ことば、映像などが目次のように並び、最後に台割ができあがっています。
これらのことばを聞いて、本展は雑誌『球体』のポリシー「美術・写真・ことば・・・さまざまな表現をぐちやっとまるめた紙魂である」を目の当たりにすることができる展覧会なのだと感じました。

他方、都市と都市、駅と駅、点と点を結ぶ鉄道は、点と線で構成されていると言えます。
立花さんが教鞭を取られている女子美術大学では、1年かけて点を集める、もう1年かけて線を集めるということを授業をされています。
それは、点が線を形成している感覚を知ることが大事であり、それが文字を知ることにつながるという考えからです。
学生には悩むほど考えると景色が変わることを知ってほしい、自分がやっていることを楽しむことを自覚してほしいというお話もありました。

 

トークの後には、太陽バンドさんによるライヴがおこなわれました。 ギターとハーモニカと歌声により、軽妙な詩でありながら叙情的に歌い上げられる曲が印象的でした。
本展の展示作品に、石田千さんがポルトガルを旅して作った「かつて彼らが旅したように」という詩があります。

2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ライヴ
これに太陽バンドさんが音をつけた鉄道芸術祭vol.7用の新曲も披露されました。
また、展覧会には、立花さんがポルトガルの蚤の市で購入されたとある楽譜も展示されています。 表紙には汽車が描かれ、その名も' IL TRANO(THE TRAIN)'。
この楽譜を読み解くことを依頼された野村卓史さんとの交渉のエピソードも太陽バンドさんによって紹介され、会場は笑いに包まれました。 この曲は、12月初旬より展示予定ですので、ぜひご期待ください。

 2017.11.11 鉄道芸術祭vol.7 OPトーク+ライヴ「立花文穂、STATION TO STATIONを語る」ライヴ

「『球体』はできあがってからできていく。」

この立花さんのことば通り、鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」はこれからも変化します。 雑誌『球体七號(下リ)』の発行、楽曲作品「'IL TRANO(THE TRAIN)'」、その他、葛西絵里香さん、MAROBAYAさんの作品も会期半ばでの展示を予定しています。
高山なおみさんとコントユニット・テニスコートによる電車公演やリサーチメンバーによるトークショーも開催します。

 

約2ヵ月半の会期をかけて、編集され続ける鉄道芸術祭vol.7「STATION TO STATION」を体感しに、ぜひ展覧会へお越しください。

サーチプロジェクトvol.6 クロージングトーク&イベント「クロージング・スパークパーク」

2015年から3回にわたって開催してきたアート&サイエンスの企画展の最終章「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」は6月25日(日)に最終日を迎え、「クロージング・スパークパーク」と題したクロージングイベントを開催しました。 

本イベントは、大きく分けて2部構成で開催しました。
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■第1部 ギャラリーツアー&トーク
プロジェクトメンバーによるギャラリーツアー&クロージングトーク〜展覧会の振り返り〜

■第2部 ライブ&パフォーマンス
Drone Development Departmentによるドローン飛行
光と音が交差するスパークパーク・ライブパフォーマンス
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6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

■■第1部■■

第1部では、本展のプロジェクトメンバーとともに巡るギャラリーツアー&デモンストレーション、続いてトークをおこない、会期中に開催した6本のトークプログラムや約3ヶ月の展覧会の様子を振り返りました。 

 

〜ギャラリーツアー&デモンストレーション〜

ギャラリーツアーのはじめに、本展のコンセプターである大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授の吉森保さんより、改めてご自身の研究活動についてご紹介いただきました。吉森さんのご専門はオートファジーの研究です。オートファジーとは私たちの体の細胞が毎日細胞のなかでものを分解する仕組みのことです。私たちの体を構成する主要な成分であるタンパク質は、絶えず合成と分解を繰り返していますが、細胞内でタンパク質を分解するための主な機構も、オートファジーです。

タンパク質は20種類のアミノ酸の組み合わせでできています。アミノ酸が直線上に並んでいる状態がタンパク質の一次構造で、らせん状となるのが二次構造、折りたたまれると三次構造です。さらに、三次構造のタンパク質どうしが結合して意味や役割を持つようになったものを四次構造と呼びます。このように複雑な階層構造を持つタンパク質を、オートファジーは再びアミノ酸へと分解するのです。この仕組みが、本展の根底にあるコンセプトとなっています。

展覧会では、会場全体を"体内公園"に見立てました。建築ユニット dot architectsは、タンパク質が20種類のアミノ酸からできていることになぞらえて、約20種のパーツと接合方法で設計した"細胞的遊戯装置"を作りました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ギャラリーツアー

広い壁面には、やんツーさんによる体内をイメージしたバーチャル映像がパノラマで映写されました。

会場の遊戯装置と壁面の映像が連動していて、来場者の動きに反応して映像の中にも遊戯装置を3Dスキャンしたものがごろごろと増殖したり、くっつきあって固まったりします。

つまり、階層構造においては三次構造である"細胞的遊戯装置"は、会場で人が遊ぶことによって、やんツーさんの映像の中で四次構造へと至るのです。

さらに、やがて映像内の天井が降りてきて全てが一層されるのですが、これはオートファゴゾームという構造体が細胞内のものを包み込んで分解するという、オートファジーの仕組みを再現しています。

また会場には、細胞の中をイメージした映像が流れるVRメガネを付けて遊べるブランコとシーソーがあり、まるで自分がタンパク質となって体内を浮遊するような感覚を体験することもできました。

ギャラリーツアーの途中では、VR付きのシーソーや、体内公園を縦断する大きなスロープの先端に設置された空中ブランコを、来場者数名に実演体験していただきました。空中ブランコが宙に飛び出すと、会場の皆様から大きな拍手が起こる一幕もありました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ギャラリーツアー 〜トークプログラムの振り返り〜

本展は、学術的な題材と建築・メディアアートを融合して、未知で不確かである"私たち自身"について来場者に多様な角度から問いかけることを企図していました。会期中はテーマについてさらに多方面から掘り下げるために、6回のトークプログラムを開催しました。クロージングトークでは、様々な専門分野の方々と、プロジェクトメンバーがくり広げたトーク内容を振り返りました。

学術的な内容ゆえ容易には理解しにくい回もありましたが、様々な視点から私たち自身を考える大変刺激的な機会となりました。

※関連トークプログラムの内容につきましては、下記リンクよりスタッフブログをご覧ください。

5月24日(水)開催
「膜である人の内と外」
ゲスト:永田和宏さん(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

5月31日(水)開催
「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」
ゲスト:飯田和敏さん(ゲームクリエイター/立命館大学映像学部インタラクティブ映像学科 教授)

6月1日(木)開催
「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」
ゲスト:島薗進さん(宗教学者、上智大学大学院 実践宗教学研究科 教授)

6月8日(木)開催
「『超ひも理論』から捉える未知なる"私"と"彼方"」
ゲスト:橋本幸士さん(物理学者、大阪大学大学院理学研究科 教授)

6月15日(木)開催
「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」
ゲスト:藤田一郎さん(脳科学者、大阪大学大学院生命機能研究科 教授)

6月16日(金)開催
「『遊び』から見る人間の本質」
ゲスト:西村清和さん(美学者、國學院大學文学部哲学科 教授)

 

〜展覧会でのできごと〜

今回の展覧会は、体験型の展示ということもあって、老若男女問わず様々な方々にご来場いただき、会場で実施した来場者アンケートには、子どもから大人まで多様な感想が寄せられました。他方、会場で日々来場者を案内し、その安全を見守っていたのが、サポートスタッフ(ボランティア)の皆さんです。トークの後半では、来場者アンケートと、サポートスタッフの感想を元に、会場での出来事をふり返りました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

アンケートの感想では、遊戯装置について、大人の方は総じて怖いというご意見多かったようですが、一歩踏み出して楽しんでくださった方も多くいらっしゃいました。一方で、遊ぶ子ども達を見守る保護者の方々からは、危なさを感じながらも子ども達は満足そうであることを冷静に見つめていらっしゃる様子が感じられました。展覧会のテーマや内容については、細胞を公園に見立てる発想や自分たちの細胞内の営みそのものに対して、驚きの声が寄せられました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク遊戯装置で大いに楽しんでくれた子ども達からのご感想では、VR装置のことを「げんだいのメガネみたいなもの」と言い換えるなど、独創的なことばの表現がみられました。「てづくりなのでこわかった」という建築家にとって興味深い意見が紹介された際には会場に笑いが起こり、「大学生になったら大阪大学に入ってもっといろいろしりたい」という声に、吉森さんから「100点!」の声が上がりました。

続いて、本展のサポートスタッフの声を抜粋し、ご紹介しました。 

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

男性よりも女性が積極的な場合が多かったということや、遊戯装置がコミュニケーションの場になって他者を結びつけるということが起こっていた様子、現代の子ども達のことを思ったり、体に触れるという行為が大人になるにつれ少なくなっていることに気づいた等、様々な感想がありました。

サポートスタッフは危険な場合もありうる遊戯装置で遊ぶ来場者の姿を緊張感を持って見守っていましたが、「はっきり危ないとわかるので、これまでの展覧会より案内時が気楽だった」という意見もあり、危険を危険ですと示すことで、どのように関わってもらうかという個人の判断を促し、コミュニケーションが明確であったのではないかと思われます。

 

〜締めくくり〜

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」クロージングトーク

吉森さんが全体を通して熱く語っておられたことは、細胞一つひとつに宇宙があること、その宇宙はまだまだ解明されておらず、尽きせぬ謎が皆さんの体の中にあり、研究者が見つけたことは皆さんと分かち合いたいという研究者からのメッセージでした。普段芸術やスポーツを観たり体験したりして感動されるように、「科学を通して一緒に感動したいというのが科学者の夢です」と語られたのが印象的でした。

やんツーさんは、本展を通して出会った「生命を規定するのが膜である」という定義に衝撃を受けられたようで、今後の創作活動に繋がる新しいアイデアの元に出会えた場にもなったようです。

 dot architectsの土井亘さんは、サーチプロジェクトでは研究者と議論しながら、全てを想像し得ないところで話を重ねて進めていく過程が面白く、本展は単なる「遊び」でも「企て」でもない射程の深いところまで行けたのではないかと話し、同じくdot architectsの寺田英史さんは、今回は細胞のための建築物をつくったが、今後建築家が「人間でないもののためにどうアクションできるのか身につけていきたい」と語られました。
また、家成さんは、素粒子レベルでは個と個の間に違いがないこと、いわば「わたしのかなたへ」行けば行くほど私がなくなっていくという感覚が感動的であったと語りました。

吉森さんがおっしゃられた「細胞まで行くとあなたも私もみな一緒である。」という言葉でクロージングトークは締めくくられました。私たちの体の中の、細胞や素粒子などのごく小さな世界では、人間関係や社会問題の解決のきっかけになるのではないかと思わせる不思議な真実が存在しています。

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■■第2部■■
ライブ&パフォーマンス

〜ゲスト・Drone Development Departmentによるドローン飛行〜

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ドローン映像

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ドローン飛行

トークが終わり、ドローンの羽音が聞こえてきました。スクリーンにはドローンに搭載されたカメラが写す体内公園があります。中之島を拠点に活動するDrone Development Departmentによるパフォーマンスです。

ドローンのカメラを通して、これまでとは全く違う視点、全く違う視線の動きで見ると、人間の視覚で捉えていた体内公園とは別の世界である

かのような感覚にもなります。また、シーソーをしている人間を斜め上から見る感覚は、体内公園で繰り広げられていた遊びの思い出を回想するようでもありました。2周の飛行を終え、スタート地点に降り立った後に、会場からは拍手が起こりました。

 

〜ライブ&パフォーマンス〜

舞台は最終章のDJ KΣITOさん、やんツーさん、dot architectsによるライブ&パフォーマンスへ。ここからは、舞台、客席ともに"体内公園"(展覧会場)へと移動します。

ほどなくして、ビート音が鳴り響き始め、公園のあちらこちらで勢いよく電灯が点滅しはじめました。スロープの先のDJ台でパッドを叩き、トラックメイクをおこなうのは、トラックメイカー、DJのKΣITOさんです。様々な音やリズムが重なり、やんツーさんによる"仮想の体内公園"(映像)の中を歩くおじいさんの姿、暗闇の中で不意に点いては消える灯り...。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

緩やかなリズムに変わると、KΣITOさんがインラインスケートを滑りながらDJ台を離れました。駆けのぼったり滑り下りたり、ジャンプしたりと、体内公園で縦横無尽に滑りまわるKΣITOさんの動きに合わせて、やんツーさんがKΣITOさんの靴に施した仕掛けによって新たな音が加わりました。

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

再び軽快なリズムが始まると、dot architectsの皆さんが会場に入り、遊戯装置の解体が始まりました。音楽に加えて電気ドリルの音や床に置かれる部材の音が鳴り響き、さらに体内公園は渾然一体となりました。 

6月25日サーチプロジェクトvol.6 「クロージング・スパークパーク」ライブ&パフォーマンス

タンパク質が自立的に異なる役割を持って働き、それらが私たちの体内で驚くべき巧妙なシステムをつくりあげ、宇宙にも似た壮大な世界が繰り広げられている。今回のクロージングイベントは、展覧会を通して考察した体内世界や、"わたし"という存在の不思議さや不確かさ、そして会場での様々な出来事がこのライブ&パフォーマンスというかたちで結実したように思います。

本展は、たくさんの来場者と会話をし、時には身体的も接触することで、たくさんの気づきや学び、そして未来への何らかの手がかりを感じることができました。また、関連トークプログラムを重ねながら様々な専門分野を超えて、新たな気づきも見出すことができたことも大きな特徴でした。

ご来場くださいました皆様、展覧会を支えてくださった皆様、どうもありがとうございました。

 

アートエリアB1では、この「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」の3カ年の軌跡を記録集というかたちでまとめ、未来に残していきたいと考えています。発行はまだ先になりますが、ぜひご期待いただければ幸いです。

「遊び」から見る人間の本質(西村清和さんをお迎えして)

 2017.6.21(B1事務局 大槻、鄭/サポートスタッフ 石原)

6月16日(金)、サーチプロジェクトvol.6の関連企画として、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『遊び』から見る人間の本質」を開催しました。

ゲストには、西村清和さん(美学者/國學院大學文学部哲学科 教授、東京大学名誉教授)をお迎えし、「遊び」とは何なのか、その感覚の中身や構造がどうなっているのかについてお話をうかがいました。6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜「遊び」〜

まず、西村さんが話してくださったのは、ホイジンガやカイヨワをはじめとする、これまでの遊び論の議論で展開されてきた、遊びに関する二つの側面の紹介と、それらについての見解です。 一つは「非現実の虚構」、もう一つが「現実の模型」です。

たとえば、鬼ごっこやままごとのとき、わたしたちは現実とは異なる非現実の役割を演じ、虚構の世界を作り出しています。これは、非日常を出現させており、一つ目の側面に該当します。しかしその一方で、遊びはなんらかのルールを持ち、私たちはそれに従って他者と関係を構築します。この点で実社会の模型であり、「遊び」は実人生への予行演習だというものです。

この遊び論について、西村さんは批判的な見解を示されました。遊びは「遊んでいるという現実」であるし、遊びは教育学者がよく言うように現実の人生の「模型」による学習のためにあるのではない。また、株の取引が賭の遊びに見えたり、戦争がシューティングゲームに見えたりしても、それらはまったく異なったものだ。というのが西村さんの主張です。

哲学的な観点からみると、遊びと切り離して考えている社会的事象が「遊び」としての要素を持ちうる可能性があるのが興味深かったです。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

〜遊び感覚―浮遊と同調―〜
つぎにお話ししてくださったのは、「遊ぶ」という感覚の中身についてです。

西村さんは、突き詰めていくと「浮遊」と「同調」に行き着くといいます。
「浮遊」は、言い換えると、「かろやかで、あてどなく揺れ動く運動。それ自身の内部で、ゆきつもどりつする運動」といえます。 例えば、揺れ動きゆきつもどりつする典型的な仕掛け"シーソー"では、二人が異なった動きをしているように見えますが、二人は自分勝手な動きをしているのではなく、二人がひとつの動きに同調し、笑い合いながら浮遊する1つの感覚を共有しています。

この行動の関係は、まなざしのキャッチボール(まなざしの同調)であり、人々が"遊び"感覚があると言ってるのは、この浮遊と同調が起きている時といえるのでは、というのが西村さんの見解です。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  浮遊と同調

 重要なのは、この「浮遊」は必ずしも心地よいものばかりではないということです。ひとはジェットコースターのような危険が伴う状況にもお金を払って興じます。これはどういうことなのでしょうか?

これは不快の快と呼ばれ、古代ギリシアの時代から議論されてきたことですが、西村さんは、そもそもこれを「恐怖」と呼ぶこと自体が誤りであるとしています。なぜなら、ジェットコースターに乗っても、原則として死ぬことはないため、本当の意味で恐怖とは言えないからです。 むしろこれは恐怖を楽しんでいるわけではなく、「どうなるかわからないハラハラドキドキする状況」=「宙づり」を楽しんでいるにすぎないと考えると、筋が通ります。

このことから、「遊び」のなかには、「どうなるかわからない状況やスリルを楽しむ」感覚が本質的に内在していると西村さんは言います。

小さいころ、高いところにぶら下がったり飛び降りたりとわざと危険な遊びをした経験を思い出して、納得してしまいました。

  

〜遊びの基本骨格〜
トークの半ばになると、「遊び」と「仕事」の話になりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん 

西村さんはこの二つは「遊び」と「企て」という、対立する二つの概念で説明できるといいます。

「遊び」は先の通り、「あてどない」、「浮遊」と「同調」「宙づり」の行動です。
「企て」とは「投企=目標や計画を立てて、それを達成する行動」だそうです。

まさにわれわれが仕事と呼んでいるものと言えます。「遊び」では自分と他人がおなじ動きに同調しますが、「企て」においては、むしろ各々の利害やまなざしは対立します。 

 おなじ「ふりをする」でも、こどものおままごとと、プロの俳優の演技が大きく異なるのがその例です。

一方は誰かに見せるという目的は持たずただ互いに同調し、その場でストーリーをつくり、父や母といった役割を模倣します。他方、俳優たちはひとつの作品を作り上げることを目標に技術を磨きスケジュールを組んで稽古をします。

西村さん曰く「よくアーティストは遊びの延長線上で仕事をしていると言うが、明確に作品をつくるという目標があることから、遊びというよりは企てという方が妥当である」そうです。なんだか意外ですよね。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん  遊びの基本構造

〜自由がないから「遊び」は楽しい〜
後半の司会を交えたトークセッションでは、スマホが普及し、いつでも連絡ができてしまうため、遊びと仕事を時間によって分けることができない状況について意見が交わされました。

 西村さんはこの状況のしんどさは、「自由のない遊び」が確保できないことに由来すると言います。普通に考えれば、遊びは自由で、仕事は自由がないように思えますが、そうではないそうです。

遊びにはごっこ遊びにしろボードゲームにしろ必ずルールがあり、プレーヤーはそれに従わねばなりません。しかし、それは裏を返せば「鬼から逃げろ」、「キングを取って勝て」という行動の動機を与えてもらえるということでもあります。
すべて自分で選択・決定せねばならない普段の生活は自由であり、自由であるがゆえに辛さが生じます。
遊びが楽しいのは、そういった自由がないから、という発想には目からうろこで、会場でもうなずくお客さんが見られました。

 

〜最後に〜

最後に西村さんは、「我々の人生には食べたり飲んだり仕事をしたりすることと並んで、絵を見たり音楽を聞いたり演劇を見たり、と遊ぶことが不可欠」「それが欠けるということは、自分の人生が壊れるということを意味し、遊べないことは、人生の病理として不幸である」とまとめられました。

今回のトークでは、わたしたちは知らず知らずのうちにいろいろな行動様式を取っており、それは生きることに直結するふるまいであることをわずかではありますが理解できた気がします。様々な示唆を得られた二時間でした。

講演後の質疑でも、「夜中でも仕事の内容がきて企てと遊びの境がなくなっている。そんな状況を遊びにかえるのはどうしたらよいか」との質問への、「スマートフォンは持たないこと。」というストレートなコメントに会場が沸く等、終始和やかな雰囲気で終演したトークライブとなりました。

6月16日(金)「『遊び』から見る人間の本質」ゲスト:西村清和さん

 

視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密(藤田一郎さんをお迎えして)

 2017.6.21(B1事務局 三ヶ尻、鄭/サポートスタッフ 小河)

6月15日(木)、サーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"〜 わたしのかなたへ〜」の関連企画、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」が開催されました。


脳科学者であり、大阪大学大学院生命機能研究科の教授でもある藤田一郎さんをゲストにお招きし、視覚がもたらす様々な不思議や、脳が心を生み出すこととは何かについて等をお聞きしました。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ー脳が世界を見るー

私たちは「目に映っている」=「見ている」と考えてしまいますが、藤田さんは「世界がそのまま見えているわけではない」といいます。

私たちの脳は、まず網膜で光の情報を受け取りますが、それをそのまま世界として認識するわけではありません。形や色、動き、奥行きなどを分析し、「解釈」することによって世界をもう一度「つくりなおしている」のだそうです。つまり、私たちの見ている世界は、脳が認識し解釈した沢山の情報から選ばれた「正しいと思われる世界」なのです。

「見えるものには圧倒的な説得力があるが、私たちが見る世界は脳が作りだしたもの」と、藤田さんが話されていたことがとても印象的でした。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ー問題を解決しようとする脳ー

脳や視覚の働きには、工学的にも模倣できない多くの機能や仕組みがありますが、網膜が脳に与える情報は曖昧な部分も多いために生じる事象もあります。それが一般的に錯視(視覚に関する錯覚)と呼ばれる現象です。

私たちが網膜で受け取る像は、実は立体的な三次元の像ではなく、奥行きのない二次元の像です。そのため、脳は情報を分析して三次元構造を推定し、復元する必要があります。錯視はその復元の能力によって引き起こされます。

例えば、平面の黒い模様が横に動いているだけであるにも拘らず、脳が奥行きを作り出し、あたかも軸を中心に回転しているかのように感じてしまうシルエット錯視。

あるいは、同じ画像を見ているにも関わらず、人によって布地の色が青と黒に見える人と、黄と白に見える人が出てきてしまうドレス錯視。

おなじグレーに塗られているのに、位置によって、一方は白、他方は黒に見えてしまうチェッカーシャドー錯視など、その種類は枚挙に暇がありません。

なぜこういうことが起きるかというと、人には環境に惑わされずに本来の色を見ようとする習性があるからです。光の色を脳内で補正して見ているために、人によって補正の仕方も変わり、それぞれに違う色で認識してしまうのです。同じグレーなのに、白や黒に見えるのも、そうした習性によるものといえます。

脳はこのように、解釈が複数あり、答えを一つに絞ることのできない「不良設定問題」を常に解決している組織なのです。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん


ー生きていく上で重要な感覚と脳ー

いつでも問題を解決しようとしている脳ですが、手を抜くこともあります。たとえば、数秒前のことであっても、覚えていなかったりするのが、その証拠です。これは、脳がさほど重要ではないと判断したことには、リソースを配分しないようにできているためです。では、どういうことに大きくリソースを割いているかというと視覚です。実に脳の3分の1が使われているというから驚きです。脳をどの感覚にどれだけ使うかは、生物によって異なっており、ネズミの場合は髭の触覚に、カモノハシならクチバシの触覚、アライグマは手の触覚に、多くを使うようです。

視覚ということで、展覧会場に設置しているVR機器についても話が広がりました。VR機器を体験した人は、現実空間ではなく、VR空間の中にいるかのような気分になることがあります。これは、現実にあるものを見たときに起こる脳への刺激と、仮想空間にあるものを見た時に起こる脳への刺激が、視覚情報としては差異が無いため、神経細胞が両者を区別することができずに起こります。言い換えれば、私たちが当たり前にあると思っている世界も元をたどれば、視覚の刺激と言うことが出来てしまうのです。そう思うと、世界の輪郭があやふやになるような感じがしました。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

ーおわりにー

最近の研究では、夢で見ている像を読み取る試みや、逆に脳のなかへ映像を作り出すような試みが始まろうとしているそうです。この先研究がどうなるのかは未知数ですが、統合失調症などに全く新しいアプローチの療法ができる可能性があるそうです。しかし一方で、一度被験するとその影響が一年ほど残ってしまうため、慎重にならねばならない取り組みであることは確かです。私自身は使い方次第では、良い方向にも、悪い方向にも転びそうだと感じました。

とは言え、これほどの科学が発達した現代においても、様々な感情を生み出す仕組みを説明できていません。頭部に収まっている、僅か1,300gの組織が心を作り出し、文化や科学をつくりだしていると考えると、不思議なかんじがします。
人の脳という組織は本当におもしろい「授かりもの」なんだなと感じた二時間でした。

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

6月15日(木)「視覚がもたらす不思議と脳細胞の秘密」ゲスト:藤田一郎さん

「超ひも理論」から捉える未知なる"私"と"彼方"(橋本幸士さんをお迎えして)

 2017.6.17(B1事務局 大槻/サポートスタッフ 竹花)

梅雨入りが発表されましたが、穏やかなお天気だった6月8日(木)。現在開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"〜 わたしのかなたへ〜」の関連企画、ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト「『超ひも理論』から捉える未知なる"私"と"彼方"」が開催されました。
今回は、物理学者で大阪大学大学院理学研究科教授の橋本幸士さんをゲストにお招きしました。カフェマスターは家成俊勝さん、木ノ下智恵子さん、塚原悠也さんです。

橋本さんのご専門は理論物理学。『超ひも理論をパパに習ってみた 天才物理学者・浪速阪教授の70分講義』の著者でもいらっしゃいます。そもそも「超ひも理論」とは、何を説明するどんな理論なのでしょう?「超ひも理論」 からわたしについて考える今回のトークは、橋本さんによるレクチャーから始まりました。

 橋本さん1

今回の展覧会の「わたしのかなたへ」というテーマに寄せて、まず橋本さんがお話ししてくださったのは、"科学者がどういう風に世界を見ているか"についてでした。
科学が見る世界では、原因から結果までの間がある数式によって繋がれています。そしてその計算を学べば、誰でも答えを導くことができます。すなわち科学とは、誰にとっても言い切れるような、全人類が共通に持てる認識なのです。それがわかってはじめて、「世界はこれです。でもわたしは世界とはちがいます。だからこれは"わたし"なんです。」と、"わたし"というものもわかる。自分を知るにはまず外界がどう動いているかを知る、ということが、橋本さんの物理学者としての意識の持ち方だそうです。

 

その上で、"この世界が科学的にはどのように成っているか"について、2つの事実について話してくださいました。
1つ目は、わたしたちが存在しているこの宇宙は「素粒子の標準理論の作用」と呼ばれるただ1つの数式によって全てが支配されているという事実です。高校の教科書にも載っていないため知らない人は多いはずですが、宇宙の膨張や地球の公転、私たちの動き・・・全てを決めている完璧な方程式があり、なんと人類はすでにそれを知っているのです。
2つ目は、宇宙の中にあるものを構成している最小単位は素粒子であるということです。素粒子とは、人類が知る最小の構成物のことです。現在は全部で17種類の素粒子が知られています。この世のものは分割していくと全てがそのいずれかの素粒子になり、同種の素粒子は入れ替え可能な同一のものであるとわかっています。
つまり、宇宙を構成する素粒子がどのようにくっついたり離れたり飛んで行くかということを知れば、この宇宙の全てを知ることになります。それを与えてくれるのが、先の"ただ1つの数式"なのです。しかし、人類はまだこれを解ききるための数学的ノウハウを持ち合わせていないそうです。

 「宇宙を支配する数式」

「宇宙を1つの式が支配している」と聞くと、「本当に...?」「そんな都合のいいことが...?」など、ちょっと信じがたいなあという気持ちになった方も多かったようです。最後の質疑応答でも質問されている方がいらっしゃいました。橋本さんは「1つであるからこそ科学は発達してきた」と話された一方で、「あまりにもうまく出来過ぎているから、なにか上位の存在 (神的なもの)がこの世界を創ったと考えた方が安心できる、という科学者もたまにいますね」というお話もありました。

 

そしておまちかねの「超ひも理論」についてのお話。超ひも理論とは、素粒子はひも状であるとする仮説です。
例えば光子と呼ばれる粒として知られている光は、偏光という揺れ動く性質を持つ点で特殊なのですが、超ひも理論を記述している方程式を解くと光を特定している「マクセル方程式」が導かれ、矛盾がありません。重力についても、重力を媒介している素粒子を輪ゴムのように閉じたひもであると仮定した方程式を解くと、それが重力の方程式と同じであることが示されます。
このように、素粒子がひも状であると仮定すると、さまざまな現象が矛盾なく説明できるそうです。この仮説を確かめるべく橋本さんは研究なさっています。

 超ひも理論について

では、素粒子がひもだとすると、どんな面白いことが予言できるのか。
それは、「次元の違うものが同じかもしれない」ということです。

トークの中では、素粒子をひもだと仮定すると、重力と光は、次元は異なるが同じものであると考えられるという仮説が紹介されました。この仮説によると、光(光子)が移動した軌跡と重力 (ゲージ粒子)が移動した軌跡は、違う方向に進む(光がx軸方向に進むとき、重力はy軸方向に進む)けれども同じ軌跡になるので、偏光素粒子=仮想重力であるとして矛盾がないそうです。
そうすると、直感的に導かれた「素粒子はひもである」という仮説によって、「次元が違う=別のもの」と言う一般常識が覆されてしまいます。現代科学によって常識的に考えられていることがひっくり返る可能性が示唆されつつある。その先に面白い科学があるのではないかと考え、科学者は研究をしているそうです。

光(直線のひも)と重力(輪のひも)が同じ次元にあると捉えることについて、塚原さん、家成さんは「どこを切り口にするか、どの面を捉えるかということは建築に通じるところがある」とおっしゃられていました。

 「超ひも理論」のかたち

わたしはこの素粒子はひも状、という説明の方が理解しがたく、「素粒子はひも状......?粒子なのに......?」と混乱してしまいました。普段見慣れているものの形や動きがボキャブラリーとしてストックされていて、それをパズルのように使ってわたしたちはものを考えているため、矛盾していることがうまく想像できないのですね。自分が持っている考えるための材料の限界を知ったような気がして、"わたし"に関する新たな気づきでした。

 

印象的だったのが、「問題を解いた人がえらいのではなく、本当にえらいのはその問いをたてた人」というお話です。もちろん、問題を解いて正しい答えを導いたということは立派な業績であるけれども、そもそもの、答えを導くことのできる適切な式を書くことができた、 答えに対する正しい問いのたて方ができた人というのが一番えらい人なのだそうです。答えが出ない、結果が矛盾している、そんな時は適切な問いをたてることができていないのだとおっしゃっていました。言われてみれば確かにそうなのですが、何も意識しなければ答えを出した人が一番すごい人だと思ってしまいますよね。

このお話に対して、木ノ下さんが「それはアートも同じこと。科学が1つの解を導くのに対し、芸術作品は複数の解釈を導くという違いはあるけれども、適切な問いをたてることが一番大事だという点は共通している」ということをお話ししてくださいました。木ノ下さんは作品によってなされる問いかけで、多くの答えを生み出し、誤読を許すことのできる作品が良い作品だと考えているとのことでした。

また、橋本さんは「自然によって選ばれる正解は一つで、ノーベル賞をとれるのはそれを見つけた一人だけ。そのほかの何万という解は間違いだけれども、でも必要なのだ」 というお話もしてくださいました。カフェマスター側からも、「アートも、売れる人はほんの一握りだけれど、そうじゃない作り手がたくさんいることで多様性が生まれてより良いものが生まれてくるという点が似ている」という意見が出ました。言わずと知れた働きアリの話ではありませんが、正解、売れるもの、役立つものだけがあればいいのではなく、そうしたもののために間違いや無駄に思えるものも必要なのですね。永田和宏さんをお招きしたトークでも言及されていましたが、多様性が発展には不可欠だということはどの分野も同じようです。

 橋本さん2

他にも、偶発性についての考え方、空間をどう捉えるかなど、興味深いお話をたくさんお聞かせいただきました。科学とアートとでは、目指すところは違いますが、プロセスの部分では共通する部分が多かったです。科学者にとっての世界は、一般の人が想像する社会のような形態ではなく、素粒子によって構成されているものですが、自分を知るために世界がどうあるかを知る必要がある、という考え方は人文的なアプローチと共通しています。科学とアート、目標が異なるそれぞれの世界の見方を知る事で、"わたし"や"世界"への新たなアプローチの可能性を感じられたトークになりました。

"わたし"という彼方を巡る思考の旅(島薗進さんをお迎えして)

 2017.6.11(B1事務局 菊池/サポートスタッフ 林)

6月1日(木)のラボカフェスペシャルは、「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」と題して、宗教学者であり、上智大学 グリーフケア研究所長の同大学院実践宗教学研究科教授、東京大学名誉教授でもあられる島薗進さんをお迎えしてのトークイベントが開催されました。

6月1日(木)「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」ゲスト:島薗進さん

島薗さんが教鞭を執っておられる上智大学はカトリック系の神学部がある日本でも唯一の大学であり、関西の同志社大学や関西学院大学のプロテスタント系とは異なっていますが、島薗さんは俯瞰的な視点から宗教に接しておられます。
また、島薗さんが所長を務められているグリーフケア研究所は、過日発生したJR福知山線脱線事故を踏まえJR西日本から寄付を受けて設立されました。
この研究所では、自然災害ではなく人災による取り返しのつかない大きな事件や事故で身近な人との死別を経験し悲嘆に暮れる人が、その悲しみから立ち直れるよう支援する人を養成しています。

島薗さんは当初医学を目指したものの、途中から宗教学へと変わっていった、という経緯をお話くださいました。ところが最近は、再び医学の領域に帰ってきたようなところがあるそうです。
というのも、医学者や医療関係者の間でも宗教の必要性が再認識される時代になってきているということがあります。80年代頃に「脳死って人の死なの?」という議題がありましたが、死に向き合った人は医学でも心理学でも治せないものがあり、スピリチュアル的なもの、いわゆる宗教に通じる様な要素が必要なのではないか。「我々は宗教後の時代に生きているが、宗教なしでやっていけるのかな」と、島薗さんは仰られます。

医学・医療と、いのちについて。
万能細胞と呼ばれるiPS細胞とゲノム編集の親和性の良さなどにも触れながら、この2、3年で急速に伸びてきたゲノム編集について解説して頂きました。
従来の、人間の命は神から授かるものという考え方に対し、人間が命を作ることが出来る様になったのです。それは言い替えれば、「神を演じることが出来る様になってしまった」ということになり、例えば将来人間は500歳まで生きられる様になるかもしれない。このことは人類にとって大変な福音ですが、使い様によっては人類の破滅とまでは言えないものの、行き先を見失ってしまう可能性があるのではないでしょうか。
現在研究が進んでいる iPS細胞は人間の体の様々細胞に分化していくことが可能な幹細胞なので、ヒトの細胞や組織、臓器などを作り出すことが出来ます。
IPS細胞を用いて、豚の体の中に人間の臓器を作るという様な研究も可能になります。これはキメラと呼ばれ、この研究をどこまで進めるのかが大問題となっています。
脳が動物でも、体の各部分が人間という様な生き物を人間の様に扱うのか、それとも動物の様に扱うのか。それはどこで人間と動物を判断するか、ひいては何を以って「人間」なのかという問題に繋がっていきます。

そして話題は生命倫理へ。
安楽死や自殺など死に関わる問題がある一方、「命の始まり」に関しても様々な問題が出てきています。
例えば生まれてくる子供の障害の有無を母親の血液を調べることでわかる出生前診断など、科学技術が進んでくると、命の始まりの時点で命を選んだり、作り変えたりすることが可能になるのです。
始まりの段階の生命への介入ということに関しては、「命の破壊」やデザイナーズベイビーなどの「命の拡充」(より良く操作して得られるもの)が何を起こし得るのかという問題もあります。そしてそれは、「命は授かりもの」という考え方との間に大きなズレを生じさせています。

6月1日(木)「"わたし"という彼方を巡る思考の旅」ゲスト:島薗進さん

科学技術を用いて"いのち"に介入し操作することは、本当に望ましいことなのでしょうか。
島薗さんはトーク中、フランスのジャン=ピエール・デュピュイの現代科学論をご紹介くださりました。

「今の科学はだんだん人間のコントロールを超えてきた。カタストロフィーということを言っています。こういう技術を開発したら将来どういうことが起こるかと予測するよりも今使えるからやっちゃう。その結果何が起こるかわからない。そうなるといつか、科学というのは分からないことを調べているわけですから、分からないことを起こしてしまうわけです。そうすると気がついた時にはとんでもないことが起こっている。」

環境問題であれば後々の影響を鑑みる事が当然となっていますが、医療・治療で役に立つとなると、後々の社会に与える影響を考えづらい。こういった現代科学の進歩による、聖なるもの(生命)への介入を止められるのは、宗教だけかもしれないという島薗さんの考察について、 ご紹介下さりました。
科学技術を用いて社会や私たちの生活をより良くすることは一概に悪いことか、どうなのでしょうか。そういったことを話し合っていく上で、連綿と続いている様々な宗教で培われてきた考え方、倫理観には参考となることが数多くあります。

現在の日本では宗教を拠り所にしない人が増えています。島薗さんは、お墓参りの慣習や「いただきます」の挨拶など、風習として伝えられてきた振る舞いに潜む知恵や価値観が失われることを危惧されています。それらには、単に宗教ということで収まらないこれまでの歴史で培われてきた沢山の民族性や人間性、倫理観が含まれているからです。

しかし加えて、宗教は大事だが、宗教ひとつだけに「嵌まる」、どちらかに偏りすぎることは危険であり、重要なのは"バランス"であるとも強調されました。

会場にお越しいただいた皆さんとの質疑応答でも、それぞれの関心や具体的な実体験に基づいて、様々なやりとりがありました。
参加者それぞれが、科学技術と宗教のあいだで自分自身の"いのち"にまつわる価値観をたどりながら、日常の暮らしや身近な"いのち"のあり方について、そして、これからの人類の未来について真剣に考えることができ、大変貴重で有意義な時間となりました。

「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」(飯田和敏さんをお迎えして)

 2017.6.7(B1事務局 三ヶ尻/サポートスタッフ 田中)

5月31日(水)、サーチプログラムvol.6の関連企画として「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」を開催しました。ゲストには、「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」、「巨人のドシン」など、革新的なビデオゲームを手掛けたゲームクリエイターの飯田和敏さんにお越し頂きました。

「太陽のしっぽ」や「アクアノートの休日」などの一風変わったシステムの理由や、それぞれのゲームをどのように考えて作り上げたか、そしてクリエイターとしての創作に関する姿勢などもお聞きしました。

〜「太陽のしっぽ」 〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

まず飯田さんの手掛けたビデオゲームの代表作のひとつ「太陽のしっぽ」を実際にプレイしながらご紹介頂きました。 1996年に発売されたプレイステーション用ゲームソフト「太陽のしっぽ」は、原始人となったプレーヤーがひたすらゲーム空間を探索する元祖オープンワールドとも呼べる無目的的な怪作ゲーム。それまでのゲームの制度やセオリーに挑んだ内容は実に挑発的で、例えば以下の様に当時に「当たり前」の正反対を張る内容があげられます。

・ゴールが設定されていない。
・ミッションが存在しない。
・アバターが突然眠りその間プレイヤーはコントロールできない。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

例えば原始人が睡眠をとるタイミングはプレイヤーがコントロールできず、原始人は急に眠ってしまいます。そしてプレイヤーはただ画面を見ながら待っていることしかできません。寝ている間に鳥につつかれて体力が減ってしまったり、海の中で寝てしまい、寝たまま亡くなるということもあるそうです。

一聞すると理不尽とも単なる悪戯にも思えるこのシステムには、開発当時の飯田さんのこんな思いが反映されてるのだそうです。

製作を進めている際に、「原始人を操っているこのプレーヤー自身は(ゲーム空間において)一体何者であるのか」と疑問に思ったそうです。原始人たちが崇め奉る神のような存在、または、原始人の守護霊のような存在がプレイヤーなのかもしれないと仮定し、そのような視点からアバター(原始人)を操ると、思い通りに動かせない事が当然ある。けれども、あまりにも思い通りにならないとゲームにはならないので、思いがけないところで急に眠るというシステムが生まれたそうです。

また、話題はゲームの境界=世界の果てにまで及び、「始点と終点を結ぶ閉じた世界」は敢えて採用せずに決して渡りきれない海を設定するなどして、原始人がゲーム内で絶対にその先に行けない領域を作ることでゲーム世界の果てを設定しました。これは、西遊記において孫悟空が釈迦の掌で世界の果てを見た世界観を、飯田さん流にプレーヤーと原始人のアバターの関係に昇華させたものだったそうです。

 

〜「アクアノートの休日」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

続いて代表作品の一つである、「アクアノートの休日」(1995年発売)をご紹介頂きました。プレイヤーの一人称視点でひたすら海の中を自由に散策するゲームシステムは、「太陽のしっぽ」から続くオープンワールド形式を踏襲。海の中をどこまでも自由に探検できるのです。BGMは特になく、波や海の中の音が聞こえてきます。一人で遊んでいるとどうやらとても孤独になるそうです。

こちらも「太陽のしっぽ」と同じように、クリアしなければならないミッションや目的が設定されていないゲームで、 「太陽のしっぽ」も「アクアノートの休日」も3D空間の自由を楽しもうということで作られました。よって、ビデオゲームによくあるミッション遂行の使命や、難易度の上がっていくステージはありません。これらを発売した当時は、ハードの性能も上がりポリゴン表現技術で3Dの仮想景色を自由に表現出来るようになった時代でした。その世界を十分堪能するために、制限時間や目的を設定せずに、プレイヤーにとってストレスのないゲームを作りたいという飯田さんの意思が伝わって来ました。

もともと芸術大学を卒業後にゲーム制作に携わり始めた飯田さんは、拡張する表現方様式の一つとしてゲームの可能性を捉えていたそうで、アートの役割には従来の価値観/制度に挑戦していく社会的機能があるという持論の上に制作されたゲームは、敢えて挑発的で時に人を驚かせるシステムが採用されていきました。


そして、話題は2009年にwiiで発売されたゲームソフト「ディシプリン*帝国の誕生」へ。

〜「ディシプリン*帝国の誕生」〜

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん

「ディシプリン*帝国の誕生」は、「太陽のしっぽ」「巨人のドシン」の後に制作された異色な作品です。舞台は厳戒体制が敷かれる監獄・ディシプリンです。プレイヤーは、現実に起こった事件の犯人たちをモデルとした、投獄されている囚人たちと会話することができます。

飯田さんは「ディシプリン*帝国の誕生」の製作前、私たちの世界は残酷なものとつながっていると悟ってしまった時期があるそうです。「ディシプリン*帝国の誕生」を作ろうとしたのも、私たちの本当の日常の世界を知らなければいけないと思い立ったからだそうです。見て気持ちのいいものしか触れない、関わろうとしなければ、いつまでたっても自分中心でしか考えられなくなると考えたそうです。

5月31日(水)「ビデオゲームにおける『遊び』を考えてみる」 ゲスト:飯田和敏さん生活している中でメディアに乗った情報としてしか接する事のない事件の犯人。実際には同じ世界を共有する人間であることを無自覚的に忘れていることをこのゲームでは迫ってみせています。

『映画や本に比べて現場感が違うんですよね。(ビデオゲームでプレイすることにより)自分がその映像空間の中にいるということになっているので、そのテキストが友人との対話レベルで分からなきゃいけないという感覚が(ビデオゲームには)ある。』と飯田さんは言います。

現実世界にある物理的な距離、時空的な隔たりをゲームの世界は易々と乗り越える。「ディシプリン*帝国の誕生」の製作を通して、ぎりぎりのところにも遊びは現れると気づいたそうです。

ハードの性能、ネット技術、ソフトの進化は過去とは比肩できないレベルでその進化は日々進化している中で、「ビデオゲーム=子供の遊び」は既に古い概念となり、ゲームは確実にもう一つの現実世界として機能し始めている。常に完成された権力としての制度を疑うことで、ビデオゲームの遊びの領域を拡張してきた飯田さんのゲーム開発。これからどのようなゲームと遊びが飛び出してくるのかとても楽しみに思えるトークとなりました。

「膜であるヒトの内と外」(永田和宏さんをお招きして)

 2017.6.6(B1事務局 サポートスタッフ 川原)

5月24日(水)、現在絶賛開催中のサーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"~わたしのかなたへ~」の関連企画として、「膜であるヒトの内と外」というトークプログラムを開催しました。

ゲストには細胞生物学者で歌人の永田和宏さんをお迎えしました。細胞膜の研究、そして歌人として著名な永田さん。今回のプログラムでは、まるでひとつの社会を形成しているような細胞の世界を通じて、"わたしたち"の内にある未知なる世界を見つめ、そしてそこから人間社会を見つめ直すようなトークになりました。

会場は超満員!皆さんの期待が伝わってくるなか、始まりました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)
永田さんのお話しは、大学教育論から、細胞のミクロ度合をどう印象付けるか、学問とはなにかといったところから始まり、細胞の専門的な話から細胞膜の働き、細胞で起こっている現象へと進みます。

やがて話は細胞から飛び出して、社会の中の自己と他者とは、グローバリズムと多様性とは、など、話がどんどん展開し、そしてあっという間に終演を迎えました。

今回お話し頂いたどの話題も面白く、頭を刺激するものでした。その中からいくつかご紹介します。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

①大学における教育

「大学における教育は、小中高とは別のものである。極論をいれば、教科書はいらない。研究者は、教科書に載っていないことを、何がわかっていないのかを教えるべきである。答えが必ずあるのではないこと、答えが一つではないことを、社会に出ていく準備として教えることが大切である。」
このお話を聞いて、かつて、大学で講義を受けていた課程では、ひたすら図書館で調べれば、解がありレポートが書けましたが、研究室に入ると全く違い、思った以上にわかっていないことが多くて、わかっていることも結果と考察と検証の上に成り立った、小さな断片をつなげていったものだと感じたことを思い出しました。

 

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

②本当のことを知りたいということが基礎科学の動機である。

「最近、ヒトの細胞数が60兆個から37兆個に訂正されたことは、大きく何かの役に立つ訳ではないが、その事実をうれ

しい、面白いと思う人はいる。知識を学問(学ぶ意欲)につなげるには、感動が必要である。例えば、細胞の数、DNAの長さを地球と比較するなど工夫する。ヒトのすべての細胞を一列に並べると60万キロメートル、一方地球は一周4万キロメートル。」
TEDのプレゼンテーションでヒトの全ゲノム配列のすべて印刷した書物のようなものが登場したことがありました。「A、T、G、C」の文字が並んでいるだけの印刷物です。しかし、初めて全ゲノムの配列のことを知った人には、あまりに膨大なボリュームに驚く人もいるはずです。アートも、役に立つかどうかを目に見える数値としては、測りにくいものです。この点で、基礎科学とアートは共通するところがあります。違うところは、科学が提示するものは、提示した時点においては、普遍性を持った事実であることが求められることに対して、アートの事実は、場所、時間、他者から自由である点だと思います。それゆえに、物事を大胆に変換し、拡張し、五感に働きかけることができます。そして、面白いことに、自然科学は、アートに多くのインスピレーションを与えることがあります。今回の展覧会は、まさにその場になっていますので、ぜひ、体感してみてください。


③細胞の膜の内と外

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)「細胞生物学の視点では、生命の最小単位は細胞。生命は膜による区画から始まり、生きているということは外界から内部を区画していること。細胞が自分の内部とすると、腸内は外部ともいえる。細胞膜は10ナノメートル(細胞を1メートルとすると0.5ミリメートル)と非常に薄い。薄く、脂質2重膜から成り立つため、物質を移動させるゲートが適切に生まれては消える。恒常性の維持のため、膜は激しい変化を繰り返している。」

久しぶりに、専門的な話を楽しく聞いていて、ふと、これはわたし自身に初歩の知識があるから、すっと入ってきているのだと気づきました。知識を持っていると、理解し、考える余裕が生まれ、その次のことに興味も湧くのだと思います。そういった意味では、高校までのある程度の詰め込み学習も意味があると思えました。
同一の状態を保つことは、変わり続けることであるという。一見禅問答のようですが、原子の世界も交換や揺らぎが日常であって、視点がかわると、"わたし"というのはかなりマクロなのだと、相対は面白いと感じました。

トークの終盤からは、細胞膜がたゆみないせめぎあいの中で折あいをつけている姿に、社会における自己と他者、グローバリズム、国境の在り方、国の在り方をなぞらえて見つめるお話もありました。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)ヒトは細胞でできていて、社会は人でできていて、国家は社会からできていて、地球は国家からできていると考えられるとすると、細胞の営みと、国家と地球の在り方が似通うほうが自然なのか?、正しいのか?、そうなると、人間の思考とはなんなのか?、人間の思考はどう生まれるのか?、思考は、単なる物質の移動に以上のものがあるはずか?など、ふわっと別のところに心が連れていかれるような、不思議を感じた時間でした。

会場からの質疑では、学生の自信喪失論やミトコンドリアの話、集団となる時の細胞の話、研究者の悩みなど、様々な質問が飛び出し、本当に、熱く語り明かしたいトピックスが満載のラボカフェでした。

5月24日「膜であるヒトの内と外」ゲスト:永田和宏(細胞生物学者、歌人、京都産業大学 タンパク質動態研究所 所長/総合生命科学部 教授)

ラボカフェスペシャル featuring サーチプロジェクト
オープニングトーク「ニュー"コロニー/アイランド"3 ~わたしのかなたへ~」

 2017.4.7(B1事務局 三ヶ尻/サポートスタッフ川原)

アートエリアB1で3月28日からスタートした企画展「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ~」。4月2日(日)は関連プログラムとしてオープニングトークを行いました。ゲストには、今回の展覧会のプロジェクトメンバーである大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授の吉森保さん、建築ユニットdot architectsから家成俊勝さん、土井亘さん、寺田英史さん、アーティストのやんツーさんをお迎えしました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク01

オープニングトークでは、2015年からの「ニュー"コロニー/アイランド"」展1と2の振り返りと、dot architects、やんツーさん、吉森さんからの活動内容や研究内容のご紹介、そして実際に展覧会場を巡りながらギャラリートークを行いました。

 

〜「ニュー"コロニー/アイランド"」展の振り返り〜

本展は、「ニュー"コロニー/アイランド"」と題した展覧会の第3弾であり、シリーズ最終回となる展覧会です。

本題のトークに入る前に、まずは2015年と2016年の展覧会を振り返りからスタート。

2015年は、「ニュー"コロニー/アイランド" 〜"島"のアート&サイエンスとその気配〜」と題し、プロジェクトメンバーに大阪大学理学研究科 教授の上田昌宏さん、北海道大学電子科学研究所 教授の中垣俊之さん、建築ユニットのdot architects、アーティストのやんツーさん、プログラマーの稲福孝信さんを迎えて、"島やコロニーの実験・創造性"と、"粘菌の知と工学的ネットワーク"をテーマに開催しました。会場では、粘菌を培養するラボと3Dプリンタで中之島の建造物を生成するラボ、"菌核"寺、1/150の中之島型の培地〈仮設の中之島〉と、壁面に投影された〈仮想の中之島〉などが設置され、〈仮設の中之島〉と〈仮想の中之島〉、それぞれで粘菌が異なる都市風景を生成していきました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク02

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク03

続く、2016年の「ニュー"コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」では、アドバイザーとして惑星地質学・鉱物学研究者で大阪大学理学研究科 准教授の佐伯和人さん、民俗学者で東北大学災害科学国際研究所 教授の川島秀一さんにご参画いただき、東日本大震災から5年目を迎える年に、改めて地球の営みとも言える地震による地殻変動などの「災害」について考え、様々な視点から「対話」を試みる展覧会を開催しました。出展者には、3がつ11にちをわすれないためにセンター/せんだいメディアテーク、写真家の畠山直哉さんや米田知子さん、志賀理江子さん、ホンマタカシさん、漫画家のしりあがり寿さん、現代美術家の高嶺格さんや小山田徹さん、加藤翼さん、contact Gonzoなど、国内外で活躍する表現者や公共団体等が集いました。会場では、一軒家を模した空間の随所に、それぞれの作品や活動記録、また過去の災害にまつわる資料が壁紙やファブリック、テレビに映る映像として展示され、会期中には"リビング"や"庭"などで様々なテーマで対話プログラムが繰り広げられました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク04

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク05

そして、今年の展覧会。「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」と題した本展は、"わたしたち自身"に着目します。

プロジェクトメンバーには、2015年の「"島"のアート&サイエンスとその気配」のプロジェクトメンバーでもあったアーティストのやんツー氏、同じく2015年のプロジェクトメンバーであり、2016年の「災害にまつわる所作と対話」では会場設計・施行を担当した建築ユニットのdot architects、そして今回はコンセプターとして大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授の吉森保さんをお迎えしました。

 

〜プロジェクトメンバーによるそれぞれの活動紹介〜

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク05 dot architectsの活動紹介の様子

建築ユニットdot architectsは大阪を拠点に、建築設計事務所を運営されています。店舗や住宅の設計等のいわゆる建築設計事務所が行う仕事をする傍ら、一般的にイメージする設計事務所とは異なるプロジェクトでも参加されています。アートプロジェクトのパフォーマンスに参加し即興で空間をつくったり、展覧会の会場構成や地域の人たちと交流しながらコミュニティスペースの設計をするなど、自身の身体をつかってその場で空間をつくることをされています。今回は、私達の身体をつくるたんぱく質をイメージした細胞的遊戯装置が点在する体内公園「仮説公園」をつくっていただきました。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク06 やんツーさん活動紹介の様子

やんツーさん(アーティスト)は、デジタルメディアを使って作品をつくっています。いかに装置を有機的に動かせるかということに注目しており、装置にセンサーを仕込み、人の数や騒音量などの環境を規定する要因をセンシングして装置の動きに反映させたドローイングマシーンなどを作成されています。このドローングマシーンは自立して動き、抽象的な絵を描きます。そして現在、山口情報芸術センターで展覧会期中の作品では、大きさや種類の様々な展示物(扇風機やカラーコーン、車など)に、インターネットのホームページからアクセスすると誰でも憑依することができ、実空間の展示物をインターネット経由で動す作品を発表しています。

今回やんツーさんには、もうひとつの体内公園「仮想公園」をつくっていただきました。dot architectsが作成した細胞的遊戯装置にセンサーを仕込み、来場者が遊戯装置を動かすことで「仮想公園」の映像空間に反映されます。来場した際は、遊戯装置の動きがどのように「仮想公園」に反映されるのか是非ご注目ください。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク06

次に吉森保さんからご自身の研究についてご紹介いただきました。吉森さんの専門は、私たちの身体を構成する細胞内の事象の一つである「オートファジー」です。「オートファジー」は、大隅良典さんが2016年のノーベル医学生理学・医学賞を受賞した研究テーマです。ニュースなどで聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。吉森さんは大隅さんと共に研究を行い、昨年の授賞式にも出席されました。「オートファジー」は細胞内で不要なものを分解し、また、新たなものを生成する細胞内リサイクルシステムの一部です。「オートファジー」は細胞内の不要となったタンパク質などを膜が包み込み、これが、分解酵素リソソームと融合し、たんぱく質がアミノ酸まで分解する現象です。このアミノ酸は適宜、再びタンパク質に合成され細胞の部品となったり、または、代謝されてエネルギーとなったりします。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク07

吉森さんのトークの中で、「ギリシャ神殿」と「伊勢神宮」の比較がありました。どちらも、数千年以上存在する建物ですが、一方は、一度頑丈に建てられてそのままの建築、もう一方は式年遷宮という儀式のもと、20年ごと建て替えられた建築です。しかし、建て替えられた「伊勢神宮」は、創建当時の姿といわれており、見た目に変化はありません。このことは生物に通じることであり、日々の生物の姿、細胞の見た目の変化は些細なものですが、体内に存在しているアミノ酸~それを構成する炭素、窒素、酸素、水素原子は、数日で入れ替わる劇的なものです。建築と生物の不思議な共通です。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク09 ギャラリートーク

今回の展覧会で展示している「細胞的遊戯装置の仮設公園」は、アミノ酸の種類数と同じくらいの約20種類部材とジョイント方法によって構成されています。遊戯装置がタンパク質、部材がアミノ酸を模しています。「仮設公園」を制作されたdot architectsの家成さんから、展覧会の開催中に「オートファジー」を起こし、3か月の展示の中で部材を循環・再生させていきたいとの話がありました。設営で余った部材は通常展覧会のオープン前に撤去するものですが、細胞内で浮遊しているアミノ酸のように、いつでもタンパク質合成=遊戯装置の組み立てできるように、会場内に置かれています。ご来場の際には、見つけてみてください。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク10 ギャラリートーク

展覧会場のもう一つの要素は、「仮想公園」です。dot architectsが制作した細胞的遊戯装置には、センサーが取り付けられ、来場者が装置を動かすと、「仮想公園」の映像が緩やかに変化してゆきます。仮設公園の遊戯装置と、細胞内の構造をモチーフに「仮想公園」を制作されたやんツーさんが仰られた「細胞のことを考えていくと、あれ?ここはどうなっているだろう、ということにぶつかる」という話には、はっとさせられました。実際に科学は、解明されていないことが、まだまだたくさんあります。細胞も同様です。教科書には、解明された断片のつなぎを、想像イメージで補って記されているにもかかわらず、読んでいると全部わかっているような錯覚に陥っていることが多くあります。「わからないことにぶつかる」というのは、実際に構築する側に立つと、見えてくる物事があると再認識する話でした。

サーチプロジェクトvol.6オープニングトーク11

その他トークの中で、建築と細胞内現象の共通項は、高度経済成長期に作られたインフラの老朽化、建築のメタボリズム運動への言及まで広がりました。一方、デジタル技術の領域では、攻殻機動隊やAIの話題が飛び出し、身体運動と知能成長の関連について意見が交わされました。遠い分野の専門家が集うことにより、考えの輪郭がはっきりしたり新しいものの見方が生まれたりする面白さを感じました。

 

アートとサイエンスがぶつかった現場、そして身体感覚を研ぎ澄ます展覧会、「ニュー"コロニー/アイランド"3~わたしのかなたへ~」を是非見に来てください。

サーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」開幕

アートエリアB1の春の企画展・サーチプロジェクトvol.6「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」が3月28日より始まりました。

当館を活用して、アートや知の可能性を探求(=search)する企画展「サーチプロジェクト」。
2015年からは、「ニュー"コロニー/アイランド"」と題して3回にわたるアート&サイエンスの展覧会を開催しています。
〈これまでの「ニュー"コロニー/アイランド"」展〉
2015年 「ニュー"コロニー/アイランド" 〜"島"のアート&サイエンスとその気配〜」
2016年 「ニュー"コロニー/アイランド"2 〜災害にまつわる所作と対話〜」
昨年、当館を一軒の家に見立てて開催した「災害にまつわる所作と対話」の展覧会が記憶に新しい方もおられるのではないでしょうか?

これまで2年にわたって「島と粘菌の知」や「惑星地球と災害」をテーマにしてきた本シリーズ。いよいよ今年がシリーズ最終回です!
今年の企画は、「ニュー"コロニー/アイランド"3〜わたしのかなたへ〜」と題して、"わたしたち自身"に着目します。

プロジェクトメンバーには、2016年のノーベル生理学・医学賞を受賞された大隅良典教授とともに国内のオートファジー研究を率いる吉森保
建築設計・施工だけに留まらず、「瀬戸内国際芸術祭2016」などの様々なアートプロジェクトにもかかわる建築ユニット・dot architects
デジタルメディアを基盤に、グラフィティやストリートアートなど公共の場における表現にインスパイアされた作品を制作するアーティスト・やんツーをお迎えして展覧会と、会期中には多彩なトークプログラムを展開します。


ではさっそく、会場のなかを少しご紹介しましょう。

入口バナー、看板 注意看板

入口には印象的なピンクのバナーに細胞の営みのひとつである「オートファジー」の画像が配置されています。本展は、わたしたちの体の15%を占めるタンパク質の構造をメタファーにしてつくられた【仮設公園】と【仮想公園】という二つの空間で構成されています。

これらの空間は、「見る」と「遊ぶ」の二つの方法で体験することができます。安全に遊んでいただくために、入口で「ご入場前の注意事項」をよく読んでから臨んでください!

サーチ6ホワイトボード

さて、会場に入ると大きなホワイトボード。そこには会場図とともに、本展のキーとなるアミノ酸とタンパク質の階層構造が大学の講義さながらに記されています。

なんだか難しそうですが、簡単に説明すると......
タンパク質は20種類のアミノ酸でできています。この20種類のアミノ酸の組み合せ方によって何万種類もの異なる働きと役割を担うタンパク質がつくられていきます。そしてそのタンパク質同士がくっつき合うことでさらに異なる役割を担うタンパク質へと変化していきます。(学術的にはこれを1次元構造〜4次元構造として説明します)

そして会場の【仮設公園】には、だいたい20種類くらいの材料とジョイント方法でつくられた「細胞的遊戯装置」が点在しています。

サーチプロジェクトvol.6オープン02 サーチ6会場

この「細胞的遊戯装置」に来場者である皆さんが触れたり、乗ったり、滑ったり、さらに装置を移動したりすることによって、装置に内蔵されたセンサーが反応します。

するとどうなるかというと、壁面に映し出された【仮想公園】のなかでこの細胞的遊戯装置が現実空間とは異なる動きで変化していきます。

つまり、"だいたい20種類くらいの材料"がアミノ酸、それを組み合わせてつくられた「細胞的遊戯装置」がタンパク質、さらに、来場者である皆さんもタンパク質に見立てて、タンパク質同士がくっ付いたりすることで、【仮想公園】のなかでは新たなタンパク質が形成される、というわけです。

 

何はともあれ、まずは会場で遊んでみてください!

というわけでお次は「細胞的遊戯装置」を少しご紹介しましょう。

入口ブランコ

見ての通りの「ブランコ」です。が、身近でブランコをする機会も街中ではなかなか無いと思います。からだの感覚を開いて、是非ひと漕ぎしてみてください。いつもと違った身体感覚を思い出せます。

シーソー

不思議な形をしていますが、「シーソー」です。両端の下に付いている筒は柔らかい素材で出来ているので、体重を掛けるとかなり弾んで、すごい浮遊感です。バウンドのさせかたによってはかなり激しいシーソーになるので注意です! 日常生活ではシーソー的な身体感覚もあまり経験しないですよね。

その他にも、動く平均台やジャングルジムなど、なかなかスリリングな装置が盛りだくさんです。
(安全に注意しながら遊んでくださいね)

サーチプロジェクトvol.6オープン03 サーチプロジェクトvol.6オープン04

一方、壁面に投影されている【仮想公園】はどんな感じでしょう?

映像の中には、会場内の「細胞的遊戯装置」が漂っています。そのなかを歩き続ける一人のおじいさん。会場にある「細胞的遊戯装置」の動きに反応して、この【仮想公園】はダイナミックに変化していくわけですが、これがどのように変化し、そしておじいさんは一体どうなるのか!? それは会場に来られた際のお楽しみとさせていただきます。

サーチプロジェクトvol.6オープン06

そんな仮想空間に入り込む体験ができるのが"VRブランコ"です!

ヴァーチャルリアリティのヘッドセットを付けてブランコに乗るという、なんとも浮遊感あふれる装置です。会期初日から大人気です。
(体質等によっては体験していただけない場合がありますので、体験前に会場の注意書きをご確認ください)

サーチプロジェクトvol.6オープン05

先にも書いたように、これらの「細胞的遊戯装置」は、それぞれがアミノ酸でできた「たんぱく質」をイメージしていますが、体のなかにはタンパク質になる前のアミノ酸も浮遊しています。

というわけで、会場の片隅には資材(=アミノ酸)がプールされているところも。

アミノ酸プール

この「アミノ酸」を原料に、6月25日までの会期中にたんぱく質の「装置」が更に増える、かも???

自分という意識やからだの感覚と向き合う本展。一度ならず何度でも、この「体内公園」に遊びに来てください!

※お怪我だけなさらぬよう!動きやすい服装でお越しいただくことをおすすめします!

   


今週末4月2日(日)にはプロジェクトメンバーを迎えてのオープニングトークを開催します。こちらも必聴です!
ラボカフェスペシャルfeaturingサーチプロジェクト
オープニングトーク「ニュー"コロニー/アイランド"3 〜わたしのかなたへ〜」

日時:4月2日(日)16:00ー18:00
定員:50名程度(当日先着順・入退場自由)
ゲスト:吉森保(大阪大学 生命機能研究科/医学系研究科 特別教授)、dot architects(建築ユニット)、やんツー(アーティスト)
カフェマスター:木ノ下智恵子、久保田テツ、塚原悠也(アートエリアB1運営委員)

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